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●嵐山駅前の変化、その211(ホテル、脇道、円形階段)
れた足は気持ち悪いので雨降りはムーギョにあまり行きたくない。新しい靴でも30分ほど歩くと爪先あたりから水気が侵入している。



紐靴が好きで、その紐を通す穴なのか、その構造が、革靴であっても水の入るのを防ぎにくいのだろう。天気のいい日に近所を歩く時に履く靴は中国製の安物だ。2年前、ネットで20足まとめて買った。同じものが大阪の天神橋筋商店街で1足300円ほどで売られていた。筆者が買ったのは送料込みでその半額ほどであった。学生がよく履く定番商品と同じデザインで、ぱっと見は安物には見えない。格安品であるから粗製乱造具合は我慢せねばならない。3か月ほどで靴の周囲の接着が弱くなって剥がれて来るが、半年ほどはどうにか持つ、あるいは持たせる。剥がれかけた箇所を貼りさえすれば長持ちするが、ゴムの接着剤が必要だ。そんな接着剤が確か家にあったかと思って先日重い腰を上げると、出て来たのは雨樋の接着用で、ゴムには使えない。それでそのまま履いているが、雨の日が困る。今日は雨の中を郵便局に行くのにどうしようかと思っていると、家内が2年ほど前に息子に買った靴があることに気づいた。明るい茶色でホーキング製、5000円ほどの品だ。息子は格好悪いと言い、一、二度履いて放置した。以前筆者も試しに履くと確かに格好悪いが、履き心地はよい。頑丈に出来ているので、雨の日には特に持って来いだ。それで今日はそれを履いて二度郵便局を往復した。色も形も格好悪い靴と思っているので、いい気分ではない。それにしても5000円の革靴を履かずに150円の中国製のスニーカーを愛用するとは、どうも考えが間違っているように思うが、ま、雨の日はこの不細工な靴を履くことにしよう。不細工と本人は思っているが、他人は60のおっさんの足元を注意してみない。ましてや近所を歩くのではなおさらだ。だが、筆者はおじさんの靴が気になり、TVでも注目する。たいていは模様の入ったウォーキング用のスニーカーを履いていて、それが服装とマッチしていない場合が多い。どう見ても天神橋筋商店街で1000円かそれ以下で売っているような品物だ。毎日履くし、また数か月持てばいい消耗品であるので、それで充分と言えるが、筆者はもっと老いてもそのような靴は履きたいとは思わない。と言いながら、少しはましな靴かと言えば、格安の中国製であるので、なお格好悪いのかもしれない。
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 最近遠出する時の服装はほとんど同じだ。着るものはたくさん持っている方だと思うが、どうしても好きなものに偏る。今は白の綿の長袖シャツをよく着るが、これはもうかれこれ20年ほど着ているのではないだろうか。襟つきの同様のシャツは30か40枚、あるいはもっと持っていると思うが、一度も着たことのないものが半数にはなるだろう。今もっぱら着ている白のそのシャツは、安く買った。なぜ気に入っているかと言えば、長年の間に綿がこなれて着心地がよくなったことと、ボタン・ホールの縫い糸が白ではなく緑色であるからだ。ボタンを締めるとそれはあまり見えないが、わずかに見える緑色が何となく楽しい。そんな白のカッター・シャツであるので、正式なところ、つまりスーツの下に着用するのはふさわしくないが、たまにそんな風に着ることもある。この白シャツを着ながら思うことに、誂えで同様のシャツを仕立ててもらい、ボタン・ホールの縫い糸を赤にするのはどうかだ。だがそう考えてすぐに女でもあるまいしと否定する。あるいはボタンごとに色を変えればどうか。それでは全く子どもじみる。それはさておき、白のシャツでもごくわずかに色を用いていることで、着る方はくだけた感じになれる。その白シャツの上にジャケットを羽織るが、これは濃紺で数年前に買った。とても気に入っていて、春と秋はこればかりだ。ほぼ同形で黒も所有するが、まだ新しいので窮屈だ。筆者は長年同じものを着るのが好きなようだ。この濃紺のジャケットは買った当初は今より太っていたせいもあって、かなりタイトで、身だしなみにうるさい母は文句を言おうとじろじろと何度も見た。そうそう、10年ほど前か、濃いえんじ色の半袖のシャツを買い、それを初めて着た時、母はそんな小さなシャツは着るなと恐い顔で言った。それで数年は着ないままであったが、3,4年前からまた着始めた。今は瘠せたこともあって着心地がよく、母も文句を言わなくなった。ついでに書いておくと、そのシャツはREATS TAILOR ZAZOUSというブランドで、20代の若者向きだ。とても60のおっさんが着るようなデザインではないが、近所を歩く時にはいい。先に書いた黒のジャケットも同じブランドで、とてもタイトなデザインなのでスリムな体でないと着るのは無理だ。話を戻して、濃紺のジャケットはもう数年着続けているので、特に背中の下の方がテカテカになって格好悪いと家内は言う。だが筆者には見えないし、同じ形のものはもう売っていないであろうから、大事に今後も着るつもりでいる。メーカーは忘れたが、三越百貨店に入っている特別のブランドだ。袖の長さといい、着丈も胸囲もみな誂えたかのように筆者にぴたりだ。家内に言わせると、着馴染んだからで、言い換えれば型崩れをしたということだ。この紺のジャケットの下には必ず同じ紺のズボンを履く。紺のズボンは10本ほどあると思うが、やはり同じものばかり着用する。よれよれになっているので家内は似合わないと言うが、履き具合がいい。ザッパに会いに行った時に初めて買ったイタリアのブランドで、その後ずっと同じブランドのものばかりを着ている。靴もそうで、ついでに帽子もと思うが、それは売っていないようだ。それにしても筆者の格好は遠出用といっても普段着と同じで、TVに評論家や大学教授が出る時に着ているようなパリッとしたスーツがない。あっても数年に一度も着る機会がない。
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 話題を変える。梅雨時は湿気が増し、皮膚の下で眠っている水虫菌が増殖する。今年もまたそういう季節になって来た。水虫を悪化させないためには、家の中にいる時は靴下を履かずになるべく素足のままでいた方がいいが、それでも広がる。つい気になって皮をめくると、指までが水虫菌に冒される。水虫用の薬のコマーシャルを先日TVで見て、それを買って治療しようかと思わないでもない。ところが、先のゴム用の接着剤と同じように、繁華街に出ても思い出さない。これはどうにか凌げているからだろう。本当に困れば忘れない。水虫退治の薬は確かに効果があるが、最初だけだ。使用を続けても完治しない。しぶといごくわずかな菌が皮膚の下に潜り、それが翌年はさらに広がる。昨夜足の爪先の水虫皮をめくりながら思ったのは、どこか遠い乾燥した砂漠の国にでも行けば、すぐに水虫が直るかということだ。そのように想像すると、梅雨時の水虫の広がりは、毎年の行事のようなもので、我慢出来ないことでもない。筆者は終日家にいてしかも裸足であるから、水虫の害は革靴を履きっ放しのサラリーマンとは違ってまだましと思うが、実際はどうなのだろう。それに女性でも水虫になるのだろうか。女性が水虫に悩んでいる姿は男以上に哀れで、そんなことがないように祈る。今午後7時過ぎで、急に空が曇って来た。いつもならムーギョに出かける時間なのに、雷雨がやって来そうだ。不細工なホーキングの革靴を履けば爪先が濡れることはないが、買い物袋を提げて傘を差すのはしんどい。で、今日は出かけずにこれを書き進む。今日の写真はちょうど1年前、6月12日の撮影だ。同じ日のものがもう1回分あったはずなのに、保存ファイルを探しても出て来ない。それが出て来た時のことを考えて、今日はその写真の枚数を含んだ5,6段落にしたいが、無駄話をさらに続けることはいくらでも出来るとしても、読者が面白くない。一昨日のネット・コラムに、ブログの文章は起承転結ではなく転を省いた起承結でよいと書いてあった。それを読みながら自問した。筆者のブログは起承転結で言えばどうなっているか「起承転々々結」か「起転々」と言うにふさわしく、忙しい現在人には向かない。長い文章を読ませられた挙句、何も益するところがない。ネットは、すぐに調べてすぐに目的の答えを見つけるといったように、速度が命だ。それをのらりくらりとどうでもいいことを羅列しては、誰でも最初と最後だけちらりと見るといったことになるだろう。筆者自身がそういうように他者の記事を読む場合が多い。それから推しても筆者のブログがまともに読まれていることを想像するのは難しい。
●嵐山駅前の変化、その211(ホテル、脇道、円形階段)_d0053294_131613.jpg

 さて、昨日は裏庭の雑草を数日ぶりに抜いた。蔓性のやっかいなものが50センチほどに伸びていた。20本ほど抜いた後、今年植えた紅梅白梅の苗木を見ると、どちらも数個の直径3センチほどの青い実が出来ている。北野天満宮の植木市のおばあさんは、実は出来ないと言っていた。それは嘘だったのか。2年前まで裏の畑には樹齢20年ほどの梅の木が4本ほどあって、そのうちの2本に実が出来た。残りの木にひとつも実がつかなかったのかどうか記憶が定かではないが、ついたとしてもごくわずかであったはずだ。隣同士に植わる木でも、実がついたりつかなかったりする。それを知っていたので、苗木売りのおばあさんの言うことを信じたが、1年目にして実が数個ずつ出来るのはどういうことか。1年目であるから出来たのかもしれない。大きくなるにしたがって実らない可能性はある。それはさておき、青い実をもぎったものかどうか、もぎってもわずかでは梅酒にはならないし、そのまま食べることも出来ない。次に思ったのは、梅の木に当たる日差しの少なさだ。植えた頃はそう思わなかった。ところがこの3,4か月で裏の畑にはすっかり家が隙間なく建った。そのため、日差しがあまり届かなくなった。おまけに大きな合歓木の枝が全世界を覆うがごとく広がっている。家内はそれを見るたびに悲鳴を上げ、切れ切れとうるさいが、今は小川の水嵩が高く、枝を払うとそれが小川に落ちて下流へと流れる。それにせっかく花の蕾をたくさんつけたばかりであるので、今切るのはかわいそうだ。秋が深まってからでもいい。それよりも梅の木に太陽の光を届かせないのは椿だ。以前書いたが、先月この椿を思い切って上から1.5メートルほどを切った。庭の外に出ている枝はそのままにしたが、それを切らないと梅に日差しが当たりそうにない。それで椿には悪いが、昨日また大幅に剪定した。取り払った枝は梅の木の横に積んだ。今日ゴミ袋に入れるつもりが雨だ。もう少し乾燥させてパリパリにさせてからでもよい。35リットルの大袋ふたつ分にはなるだろう。狭い土地にあれこれ植物があるので、日差しの具合は植物にとって死活問題だ。おまけに雑草はちょっと油断するとすぐに伸びて、椿や合歓木のてっぺんにまで絡む。そうなればすっかり除去するのは難しい。裏の畑に建った家は3600万円が中心だが、どの家にも庭がない。それ用のスペースはタイルやコンクリートとなって駐車場に使われる。そのため、植木好きの主はプランターを数個並べて草花を愛でる。それを思えば筆者は贅沢だ。その代わり、今は大きな蜂や百足、かたつむりや蚊、蜘蛛やダンゴムシ、それに蛙にトカゲと、えらく賑やかだ。おまけに時にそれらが部屋の中に入って来る。一番やっかいなのは百足やナメクジ、それに水虫だ。昨日は椿の枝を背伸びして切っている間にのこぎりを小川の流れに落とした。2,3メートル流れて底に留まってくれたからよかったが、水嵩が多いので、片足は膝までずぶ濡れ。また水虫の増殖に手を貸してしまった。筆者の爪先は水虫畑だ。
by uuuzen | 2012-06-12 23:59 | ●駅前の変化
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