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●『京大日食展 コロナ百万度を超えて』
既日食と金環日食の違いや、またそれらがどうして起こるのかを記憶している人は、小学校の理科の授業が好きであったはずだ。



●『京大日食展 コロナ百万度を超えて』_d0053294_1173962.jpg部分日食は筆者が小学生の時にあった。みんなで運動場に出て、深緑色の下敷きをかざして見たことを覚えている。その正確な年月日を先ほどネットで調べたがわからなかった。また、部分日食であるので、日食眼鏡は必要ないのだろうが、昔はさほどうるさく言わなかったのかもしれない。先ごろの金環食では500人あまりが目の異常を訴えたというから、悪影響はあったわけだ。だが、この半世紀ほどに日本の状況がいろいろと変わり、目が悪くなりやすくなったのではないだろうか。先ほどTVで海外に住む日本人妻の特集番組を見ていると、マサイ族の男は視力が10という。それが家の中で電気の灯りを用いるようになってからは暗がりが見えにくくなったそうだ。つまり、視力が落ちた。文明の進歩はこのように人間が本来持つ能力を奪うものと見てよい。これも今日のTV番組で知った話。神戸にある世界最速のコンピュータ(今はアメリカのIBMが1位を奪った)を利用すれば、20年か30年先にはあらゆる病気の治療法が瞬時にわかり、まるで医者いらずの時代が来るかのようなことを伝えていた。大型コンピュータがあればそれだけ便利な時代になると言われても、それはそのコンピュータがなくなればお手上げ状態になることであって、とても不自由ではないか。人間は素っ裸で生まれて何ら携えることなしに死なねばならないのに、その裸ひとつを忘れて場所も取るモノとしてのコンピュータをうるさく言う。その番組では、自分の行動をカメラで全部記録し、それをコンピュータに記録して将来自分の人格が他者と会話出来るようにと考えているアメリカの研究者も映った。それも大型コンピュータあっての話で、それが壊れるなりすれば元も子もない。形あるものはすべていずれは消えると思うべきであるはずなのに、大型コンピュータは永遠不滅と錯覚している。原発もそうであった。絶対に壊れることがない。それがどうなったかだ。人間や動物が生殖を繰り返して命をつないで来たのは、それが最も合理的であったからだ。そこに壊れる可能性が大で、電気も食うコンピュータに何もかも委ねる生活というのは、命と道具を同一視しているような態度ではないか。コンピュータによって何から何まで近未来のことがわかるという時代には暮らしたくない。とはいえ、今はもう知らず知らずのうちにコンピュータが社会を支配し、その便利さを享受している。
 今日取り上げる展覧会は先ごろの金環食の前日まで兄弟総合博物館で開催され、19日に見に行った。30分ほど見て次の目的場所へ行くつもりが、チケット売り場で係員が午後1時半から30分ほど講堂で3Dメガネで見る無料説明会があるのでそれに参加しないかと言った。時計を見ると40分ほど後だ。それでその鑑賞券をもらった。後で気づいたが、時計を1時間見間違い、1時間40分ほど時間があることに気づいた。そのため、たっぷりとこの展覧会を見た。メモを取らなかったので、細かい資料的なことは書けない。まず、これはいつも感じることだが、京大にある博物館であるので、他の大学の動きや関係は紹介されない。これが不満だ。この展覧会だけ見ると、京大が天文学に関して日本唯一の優れた大学と思ってしまいかねない。だが、東京には有名な天文台があるし、また東大がある。それらの活動の紹介は今回何もなかった。大学は研究では連携していないのか。それは分野によるのか。そういったことを紹介することはタブーなのか。展覧会を見ながら、そういう内部事情が頭をよぎった。会場には母親に連れられたいかにも賢そうな小学生が数名いた。彼らは将来は科学に関心を持ち、京大に入って学者になるかもしれない。そういう時、どの大学がたとえば天文学で一番先端的な研究をしているかを調べるだろう。だが、子どもの時に京大博物館で見た展覧会の記憶が大きく、京大を目指すのが普通であろう。そんなことを多少でも思って京大博物館はこうした展覧会を開催するのだと思うが、他の大学の成果をも展示するのは国立科学博物館の役割であって、大学はそれぞれ自分のことだけ考えておけばよいという意識なのかもしれない。さて、展覧会の内容は大きく分けて次のようであった。1「古代日食」、2「渋川春海と天文・暦学」、3「京大日食観測隊」、4「現代の太陽観測」、5「京にゆかりの宇宙科学者たち」。コーナー1には、ある画家が描いた想像の絵が数点展示されたのが目を引いた。日食が驚きを持って迎えられたことの再現図だ。たとえば週刊朝日百科の「日本の歴史」で、古代をいろいろと図示するイラストを思えばよいが、キャンバスのアクリルで本格的に描かれていた。また、『古事記』の天の岩戸は実は日食を表わしたものという説、平氏を勝利に導いた合戦時に現われた金環食などの紹介があった。これらは現代のコンピュータによって過去の日食がいつどこであったのか逆算出来ることによる評価だが、昔から日食は驚きで迎えられたことがわかる。平氏が金環食が生ずる日時を知っていたことは、当時の天文学の高さとそういう学者を味方につけていたことを示し、情報を制する者が時代を支配するという構図は今に始ったことではなかったことがわかる。それゆえ、日本は世界一のコンピュータを常に開発せねばならないと思っている。そして、そこに落ち着くためには、過去の研究、業績をこうした展覧会によって一般の人たちに紹介し、夢を抱いてもらうと同時に、大学という研究機関の重要性をわかってほしいということだ。
 コーナー2で感心したのは、渋川春海を主人公とした映画『天地明祭』が撮影されたことだ。天文学ファンなら誰でも知るだろうが、渋川の名は一般にはあまり知られていない。若冲が生まれる頃に亡くなった人物で、江戸前期に活躍した。そういう渋い人物を描く映画が作られたとは知らなかった。その映画にセットとして用いられた「大渾天儀」が展示された。天体観測装置で、高さ3,4メートルある。4本の柱に支えられた、目盛のついた球状の多重リングで、柱にはそれぞれ昇り龍の彫刻が取りつけられている。渋川は京都生まれで、才能を買われて初代の江戸幕府の天文方に任命される。今でいう国立天文台館長だ。京大としては日本の天文学が京都から始まったことを言いたい思いもあるのだろう。ついでに書いておくと、その後天文方となる高橋至時や間重富は大阪人で、上方の学者が日本の近代天文学の礎を作った。また、当時の天文学は暦を作るのが大きな目的で、改暦など暦の発行に関しては京都の公卿で陰陽をつかさどっていた土御門家が明治維新を迎えるまで権力を握っていた。当初日本の暦は中国のそれを用いたが、ずれがある不自由から、日本独自のものを作る必要が唱えられた。そうした中から渋川は土御門家に学び、また味方につけながら、正確な暦を生み出そうとし、目的を遂げた。そして、江戸幕府に召抱えられるようになってからは土御門家の旗色は悪くなったが、一方でさすがの貫禄も見せて成果を上げる。そういったことは今回の展覧会で紹介されなかったが、簡単に言えば、東京天文台の基礎は京都の学者が作ったということで、その点はもっと広く知られたいいのではないか。ついでに書くと、伊能忠敬については小説も映画もあって日本で知らない人はないが、京都や大阪の天文学者がいたからこそ、伊能の業績があった。伊能が過大評価されているとは言わないが、先駆者にもっと光が当たるべきではないか。そこには、現在の東京が日本文化の中心になっていて、京都大阪は単なる地方都市として軽んじる向きがある。話を戻して、コーナー2はさまざまな暦も展示した。初めて知ったが、戦後「世界暦」という動きがあった。アメリカが反対して結局採用されず、忘れ去られた形だが、また議論されていいのではないか。この暦は年度によって曜日が変わることの不便を改めようとしたもので、イタリアで19世紀に原型が考え出された。おおまかに言えば1月1日を日曜日とし、大晦日と6月31日を無曜日とするなど、曜日を固定化するので、毎年カレンダーは同じもので済む。それではカレンダー屋が大いに困ることになるし、またこの暦には欠点もあるから、暦は絶対的なものが定めにくいと言える。それもあってか、伊勢神宮など、神社では今でも独自の暦を毎年発行しているところがある。また、文盲の人のための絵暦もあって、江戸時代の盛岡で使われていた1枚刷りの複製が民芸的な趣があって楽しかった。このコピーをもらって来た。「夏至」は芥子の実の絵の右肩に点がふたつ描かれている。「冬至」は三重の塔の基礎部分が琴柱(ことじ)になっている。ついでに書いておくと、般若心経にもこのように絵を用いたものがある。このコーナーはほかに中国、朝鮮、日本における星座の図がいろいろと紹介された。東洋の天文学はそれなりに奥が深く、もっと関心を抱きたいと思う。
 コーナー3は観測隊が撮影した数本の映像がリピートで上映されていた。みな無声で、全部見た。1936年の北海道中頓別での皆既日食の記録映像は最も長かったと思う。京都からは山科にある花山天文台が参加し、チェコやオーストリアからも観測隊がやって来て、田舎が一躍有名になった。黒耀石を用いた記念品や絵はがきなどが売られ、記念スタンプを捺す出張郵便局まで出来た。また京大はペルーでも日食の観測を行ない、そのことがあってから現在まで両国で関係が続き、今では立派な望遠鏡を設置した京大の観測所がある。これは時代が変わっても一度築いた関係を積み上げて行く国際交流のひとつのよき見本で、今すぐに成果がなくても、将来を見据えてじっくり研究を続けて行くことの大切さを示している。日食観測はこのように外国にまで行かねば成果が得られない場合が多いが、天候が左右し、せっかく何年も前から準備しても、雲にさえぎられて観察不可能に終わる場合もある。そうした例もこのコーナーでは紹介されていた。また皆既日食の観測となると、京大の教授が現役時代にそれを行なえるのは1回か多くて2回であろうから、天文学の研究はひとりの力では遅々として進まないように感じる。そこで大学という権威が必要なのだ。この展覧会は副題が「コロナ百万度を超えて」とある。コロナは皆既日食で見られるもので、チラシの黒い太陽の周囲に広がる金色の不定形な帯がそれだ。これは5月21日の金環食では見られなかったが、コロナを印刷したかったのは、京大の学者がコロナの温度を百万度以上であることを研究発表したからだ。それが正しいことはその後証明されているが、研究は進み、今では太陽について多くのことがわかっている。それがコーナー4でなされた。最後に書いておくと、午後1時半からの3D眼鏡を用いての説明会は、定員40名が全部揃った。日食がどのようにして生ずるかの説明から始まり、太陽系の形、銀河系の形、そして宇宙の形まで立体映像で見せてもらえた。映像はコンピュータで作り出されたもので、たとえば地球から見える星座が数万年後にどう形が変わるかなどもわかる。宇宙を手にした人間は現在も過去も自在に移動出来るといったところだが、それほどに広い宇宙のことがわかっているにもかかわらず、地球の、そして個人の明日のことがわからない。そんなことを思いながら宇宙天体ショーの30分が終わり、講堂を出てチラシを1枚もらった。上段に「京都千年天文学街道 特別企画 2012年6月6日(水) この日、金星が太陽の前を通過する!」と大きく印刷される。このことは先日の金環食で何度もTVで報じられたが、金星は太陽を大きく隠すほど地球に近くない。太陽を人の顔とすると、小さなほくろにもならないのではないか。そのため、買った日食眼鏡を使っても見えないだろう。
by uuuzen | 2012-06-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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