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●嵐山駅前の変化、その208(ホテル)
しくしてもらった記憶は幼い頃からある。同じほどにいやな思いもしているはずだが、それらはなるべく思い出さないようにして、優しくしてもらったことを思い出すように、人間の心は出来ているのではないだろうか。



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いやな記憶を忘れないでいると、顔つきまで歪んで来て、誰が見ても「いやな人」ということになる。そのため、いやなことをされた相手を憐れむようにすると、やがてあまり思い出さなくなる。今日も昨日に続いて、ちょうど1年前に撮った駅前ホテルの写真を載せるが、昨日とあまり変わらない。文章までいつもと同じではよくないなと考えながら、さて何を書くべきか。展覧会や映画など、何か特定のことについて書くのでない場合、かえって頭を抱え込む。冒頭の一字も未使用のものがなかなか見つからず、パソコンの白いWORD画面の前で30分ほど何もしないでいた。すると子どもの頃に優しくしてくれたおじさんの笑顔や声が浮かんで来た。すぐに「優」を冒頭の一字に使ったかと調べると、意外なことに未使用だ。それでようやくこれを書き始めることが出来た。ついでにその優しい言葉をかけてくれたおじさんについてまずかく。大阪に住んでいた頃、300メートルほど離れたところにA君一家が住んでいた。A君とは小中合わせて同じクラスになったことはないが、A君のすぐ近くにY君がいて、彼とはクラスが同じであったこともあってA君もよく知るようになった。だが、本当はY君を知るよりもっと前にA君を知った。それはA君の父親による。その人は結核で長期入院していた。当時筆者は小学2,3年生であった。母は家から1キロほど離れた病院に勤務していた。比較的大きな病院で、ベッド数は100から200だったと思う。結核患者が多くいた。筆者は放課後、何かの用事で母がまだいる病院に行く必要がたまにあった。勝手がわかっていて、玄関からさっさと入って行く。その姿を、待合室でたむろしていたA君のお父さんやそのほかの大人が見て、「大山さんの息子さんやで」と筆者に聞こえる声で話した。A君のお父さんはこんなことも言ったことがある。「こーちゃん、あんまり病院に来ない方がええで。小さな子は菌をもらいやすいからな。なるべくさっさと帰りや。」 このことを母に言うと、同じ意見であった。病院に行くたびにA君のお父さんに会った気がする。子猫や子犬をかわいがるように筆者の頭を撫で、これ以上の笑顔はないという表情をしてくれた。当時は筆者もかわいかったのだろう。A君は大柄で勉強はあまり出来なかったが、とても温和な性質であった。A君には5,6歳上の兄と姉がいて、ふたりとも今でもよく顔を覚えている。A君は中学を出て高校に行ったのかどうか。その頃にはお父さんは亡くなったと思う。20歳少し前にはA君はトラックの運転手になっていた。A君は筆者の上の妹が好きで、もし許せば結婚したいと思っていたのではないか。20歳を過ぎてからたまに筆者に会うたびに、A君はしきりに妹のことを訊き、そして誉めた。だが、妹はやがて京都に嫁いだ。その頃、お互い生活のリズムがすっかり違ってしまって、筆者はA君と会わなくなった。Y君とは数年に一度は会う。去年は娘が京都で結婚するので出席してくれないかと電話があった。Y君はすでにA君の近くには住んでいないが、情報は集まるらしく、筆者がA君のことを訊ねると、同じ家で元気で暮らしているとの返事であった。
 A君のお父さんのことを長年経ってから母に話したことがある。母もA君のお父さんからは、小学低学年の筆者が母を訪ねて病院にやって来ることをよくたしなめられたらしい。親切な気のいいおじさんであったというが、それは子どもの筆者でもわかった。筆者は今この年齢になって、幼い子どもに優しいおじさんと記憶されたいと思うが、残念ながら、あまりそういう子どもに出会う機会がない。自治会長をしているので、地蔵盆の時などは子どもたちに顔を売るには絶好の機会で、また彼らは筆者のことを覚えているようだが、優しく話しかける時間が限られている。いや、それは問題ではないはずだ。A君のお父さんに見つめられ声をかけられた時間は、全部合わせてもおそらく5分に満たない。それでも強烈に覚えているのは、例外的なほどに筆者を優しい思いで見つめ、また声をかけてくれたからだ。筆者の幼少期はそういう大人にめぐまれていた。指折り数えて次々に思い出すことが出来るし、鼓舞された言葉や笑顔を今でも鮮明に記憶する。そういう大人はほとんどは死んだはずだが、筆者の心の中ではいつも蘇らせることが出来る。ところが、そういう大人の中に父は混じっていない。父を本当に意識する重要な時期に、父は筆者の前からいなくなった。その消失感が筆者のその後の人生をあらゆる意味で変えた。ま、それはいい。今日の文章を書く前に思い出した別のことがある。これも人の優しさだ。10数年前、筆者は自分の個展会場に、出版されて間もない『大ザッパ論』を4,5冊積んでおいた。誰か買ってくれるかもしれないとの考えからだ。30代半ばか、身なりからしてそう裕福でもないような女性が入って来た。そして本に気づいた。筆者が書いたものと知ると、中身を調べもせずに1冊ほしいと言った。どう見ても彼女が読んで面白い内容ではない。そのことを多少ほのめかしたが、彼女は5000円を出した。そのことを思い出すたびに筆者は、「悪いことをした」という罪の意識にさいなまれた。ほしくない相手であっても、とにかく売りつける商人の考えが筆者には理解出来ない。買った人が本当に喜んでこそ、売り手も幸福であるべきだ。それが今では何も売らずに、騙して金を巻き上げる若者がいる。さきほどのネット・ニュースに、そうしたおれおれ詐欺のグループが逮捕されたとあった。30億ほどの金をお年寄りたちから巻き上げたというから、これは終身刑ものではないか。話を戻すと、彼女は筆者のどこを見て本を買ってくれたのか。その優しい行為に感動したが、彼女は後で本を読み始めてすぐに投げ出したはずで、それを思うと、胸がちくちく痛んだ。ところが、この半年ほどは「悪いことをした」との思いがかなりうすらいだ。工作舎の石原さんが東京の古書店で『大ザッパ論』が価格の倍以上の値段で売られていることをメールで伝えてくれた。ネットの「日本の古本屋」で調べると、どの古書店にも在庫がない。10数年間に新たなザッパ・ファンが生まれ、彼らが探しているのだろう。再版していないので、今後も価格は上がるかもしれない。あるところでは1万5000円の値札がついていた。出版当時の3倍だ。このことを、筆者の個展会場で買ってくれた若い女性に何かの拍子に知ってもらいたい。そのことで彼女は、筆者から買ったことを後悔から得した思いに塗り替えることが出来るのではないか。筆者はそう考えることで彼女に対して申し訳ない気持ちを拭い去ることが出来る。彼女が買った本に筆者はサインをしておけばよかった。前にも書いたが、『大ザッパ論』にサインをしたのは5冊のみだ。そのため、それら5冊はサインのないものより、わずかでも価値が出るかもしれない。
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by uuuzen | 2012-05-24 23:59 | ●駅前の変化
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