●『DWEEZIL ZAPPA Live―‘In The Moment’―』 その2
然は一目では言うが、一聴では使わないのは、一度聴いただけでは音楽はよくわからず、また誰もが同じようには感じないからだろう。それにザッパがよく気づいていたように、音は嘘をつくことが出来る。



これはデジタル時代になって画像、映像もそうなった。見えているもの、聞こえているものが、実際にそのままの形で存在したものとは限らず、加工が施され得る。ザッパのステージを生で見ることは一目瞭然の現実の体験だが、その録音はもはやそうではない。そのそうではないことを盾に取ってザッパはレコード作りをした。その一方でライヴ録音をそのままアルバムとして発表することにも考えが及んでいたのは、生のステージならではの、つまり観客の息を感じての思いがけない演奏の高揚を期待したからだが、全くミスのないあるステージの録音がえられたとしても、それをアルバムとして発表することはもうすでに現実そのままではない。『F.O.H.』の「その1」の写真を載せたが、『F.O.H.』のジャケットはカル・シェンケルがザッパのCD『DOES HUMORS BELONG IN MUSIC?』に揃えて描いたもので、またその『DOES HUMORS……』のイラストは、同アルバムの再発に際してザッパが依頼した。この再発盤の方が音に迫力があり、またわずかに演奏が長いので、ほとんど初回盤を聴くことはないが、それでも再発盤の音がすっかり気に入っているのではない。図太くて迫力のある音に仕上がってはいるが、どこかゴツゴツ、ボコボコした感覚がある。それは初回盤にはないが、CDが発明された頃の発売でもあって、全体に音が頼りない。先日その2枚を聴き比べながら思ったのは、同じ録音テープでもこうも違う音としてCDが作られることだ。ライヴ録音であっても、それはたったひとつの現実とは到底言えないことになる。生演奏であっても、会場のどこに座って聴くかで音が違い、またエフェクターやマイクその他、電気的に処理される音はどうにでも改変することが出来る。そして、とにかく1枚のLPやCDに音が缶詰状態にされたとしても、それを再生する装置でまた音が違って聴こえる。これは書いたかどうか、最近オーストラリア製のCDプレイヤーを買った。その音が全体に柔らかく、ほかのプレイヤーとはかなり違って面白い。それをスピーカーを変えればまた違って来るから、音は全く一聴瞭然とは言えない。それはともかく、ザッパの音楽を長年聴いている者でなければ、その本質がわからず、また楽しめないかと言えば、そうではないだろう。どの曲にもザッパらしさはあるはずで、わずかな曲を繰り返し聴くことで、その音の独自の世界の味がわかる。ザッパの音楽を知らない人にそれをどうして伝え得るかを考えて最近1枚のCD-Rを焼いたが、それについては明日書く。
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 『F.O.H.』にはドゥイージルによる短い説明が載っているが、『I.T.M.』にはもう少し詳しく思いを書いている。文章の題名は、『「In The Moment」としたい理由』で、以下に本文を逐語訳する。「2006年にZPZは誕生した。その時以来、さまざまな音の地形を探検する機会を持って来た。それは父の音楽の外観だけではなく、父が耳のための空気の彫刻へと変異させるために空気の粒子をよく果敢に指揮したサウンドのDNAの内部に潜んでいるメタ・データもだ。思うところ、これらの記念碑の構築方法は自由な思いの即興と音色の霊感であった。
フランクの音楽の文脈の中でソロを演奏するには、この方策をくっつけなければならないことは知っていた。質問はこうであった。その創造的な空間の中で自己をいかに表現出来るか。答えはこうであった。サウンドにそこへ連れて行かせるとよい。フランクはかつここう言った。「音楽は時を装飾する。」 この2枚組CDは自分自身の地帯を装飾することに費やした時間のわずかな部分を表している。
どの曲もバンドとわたくしが「瞬時に」を獲得した例となっている。サウンドの幅広い多様性がこれらの瞬時に利用されていて、またこの過程で自分自身の声を発見したかのように感じている。演奏はわたくしの広大なFOH-Front Of House-参考図書室から選ばれた。伝統的に、FOHミックスはさまざまな欠陥を抱え、レコードの素材として発売するのに充分なバランスを持っていない。そうではあったが、これらの特別のFOHミックスは優れた詳細なサウンドを持っていると思う。ゆえに、これらのCDでは素材のためのマルチトラックのセッションは持たず、音楽的瞬間がここに実際生じたという唯一の公的証拠となっている。
この、最新3年間のツアーから好みの瞬間をいくつか編集したものを楽しんでほしい。この特別限定CDセットをショーにやって来てくれてこれらの瞬間を可能にしてくれた人たちすべてに捧げる。」
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 いささか固い文章になったが、このアルバムに収録したギター・ソロには自信があるようだ。「サウンドにそこへ連れて行かせるとよい」は、サウンドが曲のムードを作り、その中でソロがどう表情を持って連なって行くかは自明のことという意味に捉えればよい。これはギターの音色もあるが、ドゥイージルが演奏している間のバンドの演奏の役割が大きい。また、そのバンドが奏でる演奏はフランクのオリジナルどおりでなくてもよい。オリジナルを模倣しながら、そこから派生する音色もまたそのオリジナルが持っていた世界であり、そのようにして演奏は少しずつ変わって行く。昨日書いたように、フランクとかつて共演したナポレオン・マーフィ・ブロックはドゥイージルの演奏はフランクの考えを理解していないと考えているが、一方でギター・ソロの腕前をほめているのは、矛盾があるのではないか。『I.T.M.』に含まれるのは、フランクのソロを完全コピーした演奏ではない。つまり、融通が利いている。どの曲もヴォーカル曲の中間ソロから取られたと書いたが、実際はインストルメンタル曲もあって、たとえば「キング・コング」のソロがディスク1に含まれる。同曲はフランクにとって各メンバーが順にソロを奏でるのに便利で、晩年までレパートリーに含め、それは最初の録音とはかなりかけ離れた演奏となった。そのことを知るドゥイージルは、同じ曲を取り上げながら、父がやらなかったアレンジを施している。それはメンバーが違うから当然ではあるが、フランクが残したアルバム中の同曲を忠実にコピーしなかった。そのため、ナポレオンの意見は少々誇張が混じる。「これらの記念碑の構築方法は自由な思いの即興と音色の霊感であった」は、父の音楽が記念碑としてそびえており、それと同じ高さで立派なたたずまいのものを建てるには、「自由な思いによる即興と音色への霊感」が必要だとドゥイージルはZPZを結成する前から知っていた。ただし、その「自由な思いによる即興」というものが、自分のギターには適用されても、他のメンバーに対しては極度の逸脱を許さなかったのだろう。その極度がドゥイージルとナポレオンでは考えが違った。だが、これも昨日書いたように、メンバーの自由度が高かったのは、天才的才能が集まった70年代前半までで、それ以降次第にフランクはメンバーをロボットのように扱った、つまり技術抜群でザッパの指示に忠実に動くことを欲した。そうであるからこそ、シンクラヴィアを導入もした。
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by uuuzen | 2012-05-14 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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