●ムーンゴッタ・2012年5月
目かもしれないと思っていた今日の満月、先ほど9時頃に雲の間からすっかり顔を覗かせた。今日は市バスの一日乗車券を買い、昼間に美術館に行った。家内とは途中で落ち合った。



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美術館からの帰り、筆者のみトモイチとムーギョに立ち寄った。買い物を済ませて外に出たのが8時20分頃だ。月は厚い雲に覆われ、どこに上っているのかわからなかったが、立ち止まってきょろきょろすると、雲の縁が細い線になって光っている部分があった。その大きな雲がようやく去った。昨夜も月は顔を見せず、今月は危ういなと思っていたので、なおのこと嬉しい。いつものごとくわが家から歩いて100歩ほどのところで撮影したが、最初の1枚は駐車場の車の屋根上に映し込んだ。車のメタリックな様子は現代の甲冑みたいなもので、満月は女性だ。この対比は昨夜の投稿を思い出してのことだ。毎月変わり映えしない満月の写真では退屈と思いながら、文章の方で変化をつければいいと考えているが、それも毎月、いや毎日同じような調子だ。そのことが筆者のブログの人気のなさの理由であることはわかっている。はははは、今ドゥイージル・ザッパのアルバム『RETURN OF THE SON OF…』のディスク1の2曲目「ANDY」が鳴っていて、ちょうど「Is there anything good inside of you?」の歌詞にさしかかった。この「何かいいことある?」は、この曲が発表された頃、大いに気に入り、「何か変わったことある?」の言葉を誰かれかまわずにあいさつのように言ったものだ。友人Nは「変わったことなんかない方がええ」と、これまた口癖で返事した。そのNもいなくなり、筆者の周りから少しずつ知った人が消えて行くが、いつか自分も他人からはそう思われることが、近頃ごく自然に感じられる。それはともかく、『RETURN OF THE SON OF…』は去年6月に2日にわたって解説を書いた。最近『F.O.H.』が気に入ったので、同じ2枚組のライヴである『RETURN OF THE SON OF…』を改めて聴いている。これがとてもよい。そのため、「その3」の解説を書こうかとも考えている。そう言いながら書かないで終わるが、それほどにここ1週間は毎日聴いている。そして、この年齢になっても大きな音のロックが好きなことを再確認しているが、これは死ぬまで変わらないだろう。変化がもうない年齢に達しているはずで、あっても悪い方向だ。つまり「衰え」だが、生命や活力が滅びて行くのはあたりまえで、無理な抵抗をしない方がいい。自然が何よりだ。若者に近づこうとする必要はない。そうそう、これは不思議な感覚であったが、最近20代半ばのすこぶる美しい女性と話をした。素直な女性で、こちらの話によく耳を傾けてくれたが、筆者は早くその女性との話を打ち切りたかった。しゃべっていて何となくイライラが募った。その理由は、おそらく筆者の話に耳を傾けてくれても、その半分も関心がないことがわかっていたからだ。また、女性の若さが、筆者にはとても残酷なものに感じられた。恐いのではない。女性のあまりの若さに関心が持てないのだ。筆者は美人大好きで、若い女性も好きだが、それはそういう対象から離れて思っているだけでよい。実物が身近にあると、むしろ嫌悪感が募る。それだけ筆者は老けたのだ。
d0053294_0445425.jpg 家内は毎日とても早起きで、筆者が眠っている間に仕事に出かけることが多い。今日は休みであったが、いつものように早く起きてTVを見ていた。その音がかすかに耳に入って来るが、眠りへの思いが強く、いつものように起きたのは9時半頃だ。家内はTVを見ながら筆者を起そうと思ったらしい。筆者が好きな有馬稲子が出ていたからだ。70代後半の彼女は昔と変わらぬ美しさで、またとても元気、その変化のなさに家内は驚いたと言う。芸能人だからと言い切ってしまえないものがあるだろう。家内は有馬稲子を見ながら、60歳の筆者が老いたなどと言うことがちゃんちゃらおかしいそうだ。そこで男と女は違うと反論しても話が進展しないので口をつぐんだ。それはともかく、久しぶりに有馬稲子を見たかったな。おばあさんの有馬稲子だが、20代半ばの美女より魅力がある。そのように70代後半になっても心も体も若いように見られるのはいい。しかもそれは無理していると思わせてはならない。自然体でそう見えるべきで、これは心がまず満ち足りている必要があるだろう。筆者はどちらかと言えばその方だと思っているが、たまには腹立たしいことがある。それが今朝あった。あまりに癪に障るので、これをどう処理して相手をぎゃふんと言わせてやろうかと午後から今までずっと考えている。その相手というのが、有馬稲子と同じほどの年齢の男で、同じ老齢でも人はこうも違うかと思わせらられる。それは当然だ。老齢になるほど、人は大きな差が出て来る。人から嫌われる人はますますそうなるし、好かれる人も同じだ。老人になるほどに角が取れて温和になるという保証など全くない。その逆だ。そうそう、先日島京子が富士正晴のことを書いた本を読み、富士の文章からは見えないことが多々わかってとても面白かった。そのひとつにこういうのがあった。富士の家の近くに大きな工事があって、工事人夫の飯場が建った。富士はその前を通ることを避けて遠回りした。それを一緒に歩いていた知人が不思議に思って訊ねると、富士はそうした場所には接近することすら恐いと語った。これは、自分への理解が最初から完全に欠如しているような人種には近づかないという態度だ。よけいなストレスを抱えたくなかったのだろう。筆者もその口だが、頼まれて自治会長を4年もするほどであるから、見知らぬ人に交わって世間話をすることを嫌ってもいない。だが、それは無防備過ぎる。どこに意外な落とし穴があるかわからない。それも含めて楽しんでやれと思うほどに心に余裕を持っているつもりではいるが、筆者の手に負えないほどの悪意が世の中にはあることを実感もする。「ははあ、なるほど、富士正晴が飯場の横を歩くことさえ避けたのはこういうことか」と納得するわけだ。蔑視から言うのではないが、工事現場の人夫は富士の書く文章には生涯無縁であろうし、また文筆家に対してだけでなく、尊敬などという思いをまず持たない。それどころか、嘲笑や揶揄だけはしっかり忘れない。そういう連中と富士は一切の関わりを最初から持つつもりもなく、顔すら見たくなかったのだ。だが、世の中はそういう無学文盲に等しい人が9割以上を占めている。そういう人たちを一切避けるのであれば、富士のように竹やぶに囲まれた陸島のような場所に住まねばならない。ま、そういう生活もいいではないかと最近はよく思う。そういうところに住んで満月を愛でるのはいいだろう。
d0053294_0451386.jpg 富士正晴の話の続きをもう少し。富士は電話魔であった。やはり人恋しかったのだ。だが、それはみな文学仲間か学者で、いわゆる無学文盲に等しいような人物は皆無であったはずだ。友人知人ばかりは、作ろうとして出来るものではない。富士がそのように大勢の電話の相手を持ったことは人徳としか言いようがない。筆者は電話をほぼ全くかけない。かかっても来ない。そのためにもケータイを持たない。持ったところで番号を知らせる人がいない。いてもかかって来ない。そういう筆者がこれからますます老人になって孤独をどれほど感じるのだろう。こればかりは想像がつかない。先に書いたNは大変なさびしがり屋でたまに筆者が訪れると、足を揺するなりして喜びの態度を全く隠さなかった。それはNの生い立ちに関係があるが、幸いと言うか、筆者はNほどには悲惨な過去を持っていなかった。だが、筆者も普通人には考えられないほどのハンディのある幼少年期を送り、その陰の部分にNは自分と同質のものを見たのだろう。だが、Nと筆者が徹底的に違ったのは、筆者は初対面でもすぐに誰とでも仲良くなれることだ。これは無防備である証拠だ。そのために手痛いことに遭うこともしばしばであったが、本能的に相手が自分の敵か味方かのどちらになるかは瞬時に判断することが出来たし、今もそう思っている。そして、敵と見える人でも平静を装って接することが出来るが、その無防備さ加減をいいことに、相手は遠慮なしに攻撃をし続けて来ることがある。それになびかずに無視すればいいが、そこまでまだ人間が出来ていないこともあって、ストレスを抱えてしまう。そうは言いながら大したことはないのだが、そういう一種の大らかさのような筆者の態度が、Nには信じられない性質に映っていた。「世の中にいい性質の奴なんかおるか? そんなもん、絶対におれへんで」というのがNの考えであったから、Nには筆者以外に心を許す相手がいなかった。いい性質の人間などいないと思えばそのように人生は進むし、筆者はNの考えに対して反論もしなかった。だが、世の中のすべてが意地の悪い連中と思って生きることはとてもつらかったのではないか。ま、Nはたまに筆者相手に飲むことが楽しく、ほかに心を許す友を持つ必要がなかったのだろう。フランク・ザッパもNと似たところがあった。ザッパには友人はいなかった。ザッパの友人になるには、ザッパと同じように創造的な才能が必要であったし、また実際にそういう人がいてもライヴァル視して友にはなり得なかった。だがザッパは孤独を感じなかったに違いない。やることがたくさんあって、つまらぬ人とつるんでつまらぬことに費やす時間がなかった。それは富士正晴とはかなり違うように見えるが、似たところもある。自分が一番と思っていることだ。そういう自意識の強い者だけが歴史に名を留める可能性がある。さて、今日は3枚の満月の写真を掲げるが、3枚目はムーギョ、つまり松尾方面に向かう小川沿いの道だ。そのような夜に買い物に出かけることがほとんどだ。
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by uuuzen | 2012-05-06 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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