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●『古密教 日本密教の胎動』
副題は「空海はここから始まった」。チラシにある書いてあるように、平安時代の空海が唐からもたらした密教ではなく、それ以前の奈良時代に伝えられていた密教を紹介するものだ。



●『古密教 日本密教の胎動』_d0053294_22584185.jpg古密教は雑密(ぞうみつ)と呼ばれるそうだが、これまで看過されがちで、まとまった展示物による紹介は初めてのことという。空海が伝えた密教の紹介はこれまで大きな特別展が何度か開催され、密教すなわち空海という認識が出来上がっているので、こういう企画は虚を突かれる思いがする。この展覧会の直前に奈良県立美術館で『個性の競演』を観て、蕪村そっくりの古間(本当は石へんに間と書く)の絵に接し、蕪村の絵とほぼ同じ個性が蕪村が誕生するのと入れ代わりに世を去っていたことを思い、どのような完成したものでもそれ以前に似たものが素朴な形にしろ存在するものであるという認識を新たにしたが、密教も同じで、空海ばかりに光が当てられるのではなく、それ以前にすでに密教が日本には存在して活発な動きがあったことを展覧会を通じて知るのはよい機会だ。何でも基礎というものがあり、それがしっかりしていなければそのうえに大きな建物が立たない。空海が偉大な存在であるのは疑いのない事実だが、日本が全く密教を知らないところに空海がそれをいきなり伝えても、はたして同じように日本に広まったかどうかはわからない。空海が入唐して去年はちょうど1200年であったが、そういう記念すべき時期を鑑みての今回の展覧会は、空海に強い縁のある和歌山や京都に対しての奈良の意地というものが感じられもするが、それはそれでとてもよいことで、奈良は奈良でしか出来ない展覧会をどんどんとやるべきだ。空海は奈良における密教を知ったおかげで、密教を志すに至ったから、もし奈良時代の密教がなければ平安以降の仏教は全く違った形となっていた。そのためのこの展覧会の副題であり、空海ファンも観ておくべきものと言える。
 美術ファンではあっても仏教美術に興味が持てない人は多いと思う。しかし、たとえば阿弥陀来迎図を見れば、そこにシュルレアリスムとしか言いようのない幻想的表現があることに気づくし、同時期の平安仏画の渋い色合いに一旦魅せられたりすれば、その影響がその後の日本絵画にどれほど影響を与えているかを知ってますます気になる。このように、仏教美術への興味の抱き方はいろいろとある。抹香臭いものと拒否せずに、まずは造形的に関心を抱くことから入るのもひとつの方法だ。宗教に関係した造形であるために、本当は単なる造形作品ではなく、聖なるものとして崇める対象と考えるのが本当だが、それをどこかで意識しつつ、取り合えずはあくまでも造形作品ということで好き嫌いで鑑賞するのもよい。そのうちに他の造形作品にない迫力ある作品に巡り合い、信仰の力というものをいやでも認識する時が来る。偉そうなことは言えないが、筆者は機会があればなるべく敬遠しないで仏教美術もどんどん観る態度を持っているつもりだ。京都に住んでいると、幸いなことに国宝クラスの仏教美術に比較的たやすく接することが出来る。これは少し話題が外れるが、昔から筆者は折りあるごとに平安仏教のさまざまな絵画を本で観ることにしている。主にその色合いに興味があるからだが、それを自分の仕事にどうにか使えないものかと思っている。だが、まだ自在に操れる境地には至ってはいない。日本の絵画の歴史をどんどん遡って行くと、色彩的には平安仏画、模様的には正倉院の宝物に行き着くと考えるから、作者個人の名前が伝わってはいなくても、仏教美術の造形は日本美術の大きなひとつの源流であって、それを無視してはその後のあらゆる美術もないとさえ言いたい。
 また、当然のことながら、仏教美術は絵画だけではない。仏像は彫刻であるし、中には浮き彫りもある。そして経典は書道であり、紙の工芸品でもある。また仏具は金属工芸の彫金であったりするし、そのほか木工や漆など、あらゆる美術造形のジャンルや手法が仏教美術にはある。そう考えると何らかの造形に携わっている人にとって、仏教美術が参考にならないはずがない。それほど奈良から平安、鎌倉にかけては仏教が大きな存在であって、造形する人はすべて仏教に関係して表現したと言える。今では信仰の自由を得て無宗教を唱える人が多く、仏教美術が革新性を持つことはもはやとっくになくなったが、信仰がないところに育つ造形は何を立脚点にしてどういう思いを人に伝えたいかを常に求めら、また自問することになり、狭い自己の苦悩表現に陥りやすいと言える。かと言って今さら仏像を彫ったり描いたりは出来ず、造形家はまこに不安で小さな世界の中に逡巡しているばかりと言えなくもない。逆に言えば、奈良時代や平安時代の造形家は仏教に包まれて幸福な制作活動の生涯であったことになる。それが正しいかどうかわからないが、少なくとも個性表現のために奇を衒う必要もなく、誰もが同じようなものを描いたり彫ったりする中で技術を高めることに専念すればよかった。これは今で言う芸術ではないという意見があるかもしれないが、誰もが同じものを作っていてもその中には自ずと差が出て来るもので、その差にこそ芸術性が宿ると考えることも出来るから、個性が出ていればそれがすなわち芸術であるとは断言しないことだ。個性が出ていても、それがただ野卑であることは少なくはなく、芸術とは到底思えないつまらないものはたくさんあるからだ。
 奈良国立博物館の会場にはたくさんの人がいた。奈良県美を訪れた人がはしごをしてこの館にも来ていると思ったが実際はそうではなく、この展覧会だけを目当てにやって来た人が多いことがわかった。1「古密教伝来」、2「変化観音-救いの形」、3「陀羅尼の教主」、4「古密教の経典」、5「悔過(けか)-古密教の儀礼」、6「山の修行者」、7「古密教から空海へ」という全部で7つの展示コーナーに分けられ、説明文もほどよい長さでわかりやすくしてあった。図録は2300円程度で安かったが買わなかった。この博物館では昔『檀像展』が開催されたことがあるが、今回は1、2のコーナーにまず檀像、主に十一面観音立像、が何点も展示された。鑑真が日本にやって来た時、仏師も伴って来たであろうことが説明の中にあったが、大きな仏像は持って来ることが出来ないから、白檀などの香りのある木に彫った比較的小さな仏像が招来された。これを元に日本各地で大きく拡大した仏像が彫られ、そうした作品も今回の展示では光が当てられた。チケットにある仏像もその一例だ。空海は仏の宇宙観を視覚化した両界曼荼羅図を招来し、それまでにはなかった憤怒の表情の菩薩を広めるなどしたが、完全に体系化したものにありがちな窮屈さといったものはまだ奈良時代の雑密にはあまりなかったように思う。そうした世界がやがて整理整頓されて行くのは必然だが、まだそうならない状態にあるものはそれなりのよさを持っていたはずで、そういったことが今回の展示からはよくわかった。ひとつずつ観て行くとみなそれなりに興味深いものばかりであったが、体系化した純密で使用する法具の三鈷杵や五鈷鈴の原型である饒(にょう)がたくさん展示されていたのは特に印象に残った。真言密教における三鈷杵は先端が鷲の爪のように尖っていて、武器と言ってよい形をしているが、それがより古い時代にはかなり丸みを帯びるなど、武器としては役立ちそうになく、また形もかなり違っていたりもする。中には鋳造する時に出来るバリがそのままくっついて三つに分かれていないものまであって、そうしたおおらかな造形は、純密の造形の厳しさとは違った奈良時代ならではの、もっとゆったりとした優しさのようなものを伝えるが、どれもそれなりの個性があって観ていて飽きない。
 「悔過」のコーナーには切手にもなった薬師寺所蔵の「吉祥天像」があって、想像していたよりもあまりに小さい絵なので意外であった。しかし、正倉院に所蔵される樹下美人図屏風によく似たその女性像は、平安仏画にはない堂々たる形と華麗とも言える色合いで、改めて奈良時代の国宝の貫祿を認識した。大きい絵だけが立派ではないことをよく証明する作品だ。次の「山の修行者」のコーナーは、これもよく展覧会が開催されるように、山岳信仰の造形を紹介するもので、お決まりの「役行者」の木彫りがあった。個人蔵ということで、今回の展示では例外と言ってよいが、こういう作品を持っている人は招来老いた時にどこかへ寄贈することを考えないのだろうかと思う。それはさておき、コーナー中央にかなり目立つように、滋賀の石山寺に残るぼろぼろになった蔵王権現立像の心木や断片が展示されていた。片足を上げたいつもの蔵王権現の形をしているが、内部の骨組というものはかなり生々しい。そしてこれらが石山寺の創建当時の本尊であることを知ってなお驚いた。石山寺の最初の建立が天平時代であることを今回初めて知ったが、何度か訪れている寺であるのに、今まで一体何を観ていたのかと思う。奈良の東大寺の建立に活躍した良弁(ろうべん)は密教を信奉していて、その良弁が尽力して石山寺が建ったというから、奈良仏教の僧の力は意外なところにまで及んでいた。いや、意外と言う方がおかしい。今回の展覧会では栃木や福島からも仏像が持って来られていて、当時の日本は仏教によって遠くまで共通した文化を共有していたことがわかる。地方の僧は奈良の有力な僧に論争を挑むなりして、それなりに活発な活動をしており、奈良ばかりに密教が存在したのではないことがよくわかった。空海もそうだが、僧は山辺で修行し、天皇や皇族の病を治すために呼ばれたりして、やがて大きな権力を持つに至る者も出て来るが、山には特別の力があって、そこで生活して特殊な霊能力を身につけるというのは今でもそれなりに理解出来ることであり、ましてや奈良時代であればなおさらそういった過酷な状態に身を置いて修行する者が、そうではない普通の人々とは決定的に目の輝きからして違っていたであろうことは充分に想像出来る。今では仏教の僧は普通の人と変わらぬ都会生活をしていて、その分ありがたみがすっかり失せてしまったが、自然の中で修行を重ねた者が聖なる力を独自に身につけるというのは、たとえそれが真実ではなくても、社会のシステムとしては合理的なことで、人々も納得する。苦しい修行は誰しも出来ることではないからだ。そんな山の修行者がどのような法具を持って、どのように悔過という儀礼を行なっていたか、今回の展覧会では簡単ながらうまく説明されていた。
 会場はこの特別展だけでは埋まらず、半分は『親と子のギャラリー「ほとけさまのお花-蓮-』と題した展示で占められていた。館蔵品から見せるものではなく、各地からめぼしい蓮の花にまつわる仏教造形作品を借りて来て一堂に並べるもので、これもよかった。だが、夏休みにもかかわらず実際は子ども連れがほとんど見られず、しかもこの会場はいつもライトをかなり落として暗いために、子どもにとってはかなり退屈な展示空間だろう。それによく知った人が口頭で説明してくれなければ、こうした古い作品はなかなか見所がわからない。喜んでいるのはむしろかなり年齢を重ねた大人であった。特別展会場の新館前の池には蓮がたくさん植わっていることもあって、仏教美術のひとつの入門の鍵としてはかなりの好企画であった。1「浄土のお花」、2「ほとけさまを飾る」、3「仏法の象徴」という3つのコーナーに分けられ、展示品はどれもよく知られているものだが、国宝と重文が半数以上も占めているから、おまけの展示としては壮観であった。法具のあちこちに蓮がデザインされているのを改めて観て思ったことは、まるで19世紀のアール・ヌーヴォー・デザインさながらで、1000年以上前にすでに無名の工人がエミール・ガレやルネ・ラリックといった才能をすでに開花させていたと言ってよい。歴史が進んで何でも創造出来るようになったと自惚れるのは大きな間違いで、むしろ手仕事においては人間はアイデア的にも技術的にも退化しているか、あるいはそれが言い過ぎならば、ただ単に繰り返している。仏教美術を侮ってはならない。あらゆる源がそこにはある。
by uuuzen | 2005-08-17 23:00 | ●展覧会SOON評SO ON
●『館蔵品展 個性の競演』 >> << ●『マーカス・フィスター絵本原画展』

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