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●嵐山駅前の変化、その201(ホテル、円形階段、駅舎から広場)
の丸印をつけて行くような気分で毎日このブログを書く。それで溜まった思いが少しずつ減って行くのではなく、日々新たに書くことが湧いて来る。生とはそういうことだ。



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死ねばこのブログは更新されないが、生きているのに更新しない場合は、死んでいることと同じになる。それを思えばこそ毎日書く気になるのかもしれない。さて、済印をつける毎日の内容とは、特別に言っておきたい、そしてまとまった形を持っているべきだが、このカテゴリーに関しては、その名前とは無関係なことを書いていることがほとんどであるため、済印の格は少々劣り、書き終わっても気分はさほど落ち着かない。気分を落ち着かせるために書いているところが大で、書かないでおくと、何か忘れているようで落ち着かない。これは一種の病気と言える状態かもしれない。ブログをやっていない頃、筆者は手紙魔であった。それが今はぴたりとそれをしなくなった。となれば、かつての大量の手紙は、相手のことを思うより、自分の気晴らしの部分が大であった。受け取った方は迷惑な話かもしれない。それでこうしてブログに書くと、誰かに読まれようがそうでなかろうが、とにかく日々ふつふつと湧いて来ることに済印を捺しているようで、それなりに充実感はある。それは義務感を果たした思いと言っていい。誰からも強いられていないので、義務を思うのであれば、やめておけばいいという意見がきっとあるが、自ら強いる義務があっていい。そこで思うのは、たとえば植物だ。人は花を美しいと言う。ところがその花を支えているのは茎であり、また花に似合った葉がついている。栄養を摂るために、花や茎を支えるために根も必要だ。これは動物にも言える。美人顔とよく言うが、その美人には足の裏があり、内臓もある。目立つ部分だけが意味があるのではなく、隠れている部分も重要だ。これを人間社会に当てはめることが出来るだろうか。昨夜はそんなことを考えた。人間社会を植物にたとえると、目立つ花は芸能人や有名人か。芸能人の人気が短いことを思えば、まさにそうだ。花になりたいと憧れる人は多い。ところがそうではない人もいる。みんな花になればそれを支える茎や葉、根がなくなって、花は存在出来ない。全部が花ということは、それはもはや花とは呼べない。やはり花になる人と、葉や茎になる人がある。
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 そこで思うのは、花が葉や茎に感謝することで、また葉や茎は花の美しさにありがたさを感じるべきだ。それを人間から言われずに、植物は古世代からして来ている。「花」という漢字は「草が化けた」という形をしていて、これは花が本来の姿ではなく、草がそうであることを示して面白い。花こそが命と見る向きに、どこか冷や水を浴びせる。実際の命は草であって、これは葉や茎、根を指す。花に比べて圧倒的に地味だが、それこそが本物で生命の根幹だ。そして、そう思えば、花と同じほど、葉や茎が重要なものに見えて来る。それでも花の方がいいと誰しも思うから、植物は無理して草を花に化けさせる。それは植物の義務の遂行だ。なぜこんな話になるのか自問すると、今わが家の裏庭に牡丹が見事な蕾を4,5個つけ、それが燃える宝珠のような形をしていることをここ1週間から10日、毎日眺めて嬉しいからだ。先日キャプテン・ビーフハートのCDについて3日間解説を書いた。ビーフハートの曲には、「蕾」という言葉がよく出て来る。ビーフハートは花好きであった。ザッパにはそういう自然を見つめる眼差しはなく、歌詞はどれも人間についてであった。ビーフハートがザッパとは違って人間嫌いであったとは断言出来ないが、人間以上にそれを取り巻く自然に関心があったのではないか。筆者もどちらかと言えばそうだが、人間に対する見方が年齢とともに変わることを最近思う。先の比喩を使えば、花のような人間に関心があるのはいいとして、葉や茎のような人も同じほど大切ではないかとの考えだ。花のような人も、単に草が一時的に化けただけで、立派と見る必要はそうない。そこでさらに思うのは、生きている人にとって、生者と死者は平等で同じほど価値があることだ。死者とは済印を捺された存在と言えるが、現実問題として、その死者の面影や生前になしたことは、生者に思い起され続ける。済印は、過去に葬られて顧みる必要のないことを意味するのではない。それは有名人でなくても同じで、自分の身内や友人を思えばよい。何を書きたいのか自分でもわからなくなって来た。話を少し戻してつなげると、花のように目立つ人ばかりがいるのではないことだ。昨日自治会のことについて、公平、平等であるべきと書いた。どの世帯も同じ分だけ会費を支払っているのであるから、権利も義務もそれは当然だ。ただし、現実に各世帯を見ていると、時間を持てあまし気味にしている人でも、目立つことが嫌いというか、出来ない人がある。そういう人に無理に大きな役を押しつけることが公平で平等とは言えない。そうした人が葉や根のようにたとえられると言ってしまうと偏見になるが、目立たずに縁の下でそれなりの役割をしてくれるところからはそう言ってよい。また、そうした人とは違って、暇も金もたっぷりあるのに、何ら重要な役を引き受けない人もある。それは茎や葉ではなく、また土とも言えないが、そういう人もいるのが現実であることを受け入れたく思うようになった。何事も定規で引いたように現実の物事は進まない。とはいえ、何らかの決まりは必要だ。
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 済印に戻る。物を使い終われば捨てるなどの処分をする。それは済印がついたことでもある。ところが、誰しもその済印をまだ完全に捺し切らない間に世を去る。そこにたとえば臓器移植の考えが芽生えた。死んでも、即座に臓器全部がそうなるとは限らない。生体でもそうであるから、無機物ではもっとそうだ。死後に、生きていた時に使っていた物などをそのまま残す。死ねば後のことはわからないと、生きている人は言うものの、自分だけが知っているあの本のあの箇所の大切な思い出が、誰にもわからないまま、古書となるか、ゴミとなることを思って辛くなる。これは、所有者が亡くなれば、その所有物も死ぬと言ってよく、いつか価値のわかる人の手にわたると思って諦めるしかない。実際、かつての持ち主以上にその物を理解する人がある。これを思えば、済印がついても、それで済まないことを伝える。先の死者も生者も同じと書いたのはそういう意味でもある。そして、死者と生者がさして変わらないとすれば、生とはどういうことかと考える。生きているからこうして書くことが出来、書いた後は済んだことで、新たな何かに関心を移し、それについてまた書く。生とは、そのように思いを遂げて行くことだ。死者はそれが自らの手では出来ない。死者が生きているのは生者の思いの中だけで、生者が死者を新たに作り変えて行く。先に書いたように、それは有名な死者に限らない。その有名人にしても、その周囲には大勢の無名の人がいたし、また有名人の作品には、有名人だけが登場するのではなく、むしろどこにでもいる人を描いている。生と死、有名無名、花と茎や葉などなどを思いつつ、済印をつけて新たな考えを抱く。さきほどNHKのTVで、見知らぬ団塊の世代が集まって歌声喫茶などを開いて楽しんでいる姿を伝える番組があった。だいたい筆者より数歳年長で、その数年がまたたく間に過ぎ去ることを思えば、そうした人々の第2の人生とでもいったことにそれなりに興味がある。だが、筆者はみんなで集まって歌うことを楽しいとは思わない。さまざまな人がいるから、TVに映っていた歌に興じる人々を疎む気持ちは毛頭なく、むしろそういう人たちもいて、世界が多様になってよい。それはそうと、そうした団塊の世代の集まりに参加する人は、9割が女性という。筆者の自治会にも、以前喫茶店を経営していた団塊の世代の夫婦がいて、2月に奥さんと話したところ、店として使っていた場所を、無料で地域の人が集まる談笑用に提供したいと聞いた。男性も参加していいが、奥さんの言うところでは、男は働いていた時の役職などを自慢する人が多く、嫌いとのことであった。男性は定年後は見知らぬ人とサークルを構成しにくいと見える。自分が花であった時のことを忘れられないからか。葉や茎、根のような人とも気軽に分け隔てなく話す人が好かれる。それを意識してやると、『外にはいい顔をして、内では傲慢』と言われかねず、心を広く持ち、済印のついた人と言われないようにすることは案外難しいようだ。以上で今日の投稿に済印を捺しておこう。何か肝心なことを書かない間に終わってしまった気がしているが、これは死の間際でもきっと同じだろう。済印をつけたことでも、済んでいないという思いが残る。未練というほどでもない。何か言い残したことがあると感じるからこそ、また新たなことが湧いて来る。さて、今日の4枚の写真は去年4月14日のものだ。
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by uuuzen | 2012-04-06 23:25 | ●駅前の変化
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