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●嵐山駅前の変化、その197(ホテル)
地が10数年前にかなり拡張されたようで、「平成十年」と刻んだ新しい墓が目立った。日蓮宗もあれば真宗もあり、またキリスト教も混じっていて、信仰の自由が垣間見えた。



不思議な形のものもあった。それが何かをしばし考えたところ、ゴルフボールをかたどったものであることがわかった。ところが墓石の周囲に雑草が繁茂し、しばらくお参りされていないようだ。墓を建てたはいいが、子孫が遠方に移住したりすると、よくそういうことになる。雑草はすぐ隣りの墓に広がり、迷惑をかける。その雑草を見ながら、「墓はいらんな」と家内の身内がつぶやいた。五聖地もの墓地を10年ほど前に購入したのに、結局一昨年亡くなった御主人は生前そこに墓を建てなかった。権利はまだあるが、かといって墓を建てる予定もないので、手放すかどうか迷っているとのことだ。手放せば大金が無駄になる。そう言えば、筆者の母も20年ほど前に京都のある場所で墓地を購入した。筆者に相談しなかったこともあって、その購入の話が身内でこじれ、母はその墓地を手放すことにした。買って1か月ほど経っていた。契約によって、1円も戻って来ずで、200万をドブに捨てたも同然となった。今ならクーリング・オフの制度によって、消費者の権利がうるさく言われるが、当時は墓地業者の言いなりであったのだろう。それにしても解約すると申し出て、200万円全額を没収とはひどい話ではないか。まさに墓などいらぬという気持ちにもなる。今日は家内の姉の四十九日の法要が、1週間ほど早めて行なわれた。筆者は当初参加するつもりがなかったが、義姉には生前親しくしてもらったし、また2週間ほど前に初めて義姉の夢を見たこともあって出席することにした。義姉は数えで73で亡くなった。今日読経した70代半ばのお坊さんは義姉の遺影を見て、「えらい美人さんでしたな」と話題にした。そこで家内が、「わたくしは妹です」と笑顔で言うと、「ああ、やっぱり。美人さんですね。」と家内にも言った。なかなかよく話すお坊さんで、真宗のお教についての説明もたくさんしてくれた。また、読経は1時間近くあったろうか。かなり長かった。正座し続けたが、足はしびれなかった。義姉は生前奈良のとある有名な歴史のある浄土宗の寺にお参りをし、そこで特別な人だけが受けることの出来る戒名を授かった。それが義姉の自慢であったのに、その寺から来てもらって葬式をすることにはならなかった。遺言でもあれば別だが、子孫のつごうもあって、遠方の寺には頼みにくい。結局戒名は真宗のものがつけられたが、生前義姉が受けていた浄土宗の戒名の一字を用いたので、せめてもの望みは達成されたと思うしかない。奈良のその寺は残念がったが、義姉の戒名を過去帳に載せるということで、墓はその寺にはないが、魂は半分はそこにあるようなものだ。
 義姉が出て来た夢について書いておこう。遺影に映っている義姉の笑顔は、通夜に行った時に、数枚あった候補のうちから筆者が選んだ。義姉の特徴的な、得意気な笑顔だ。夢にはそれと同じ顔をした義姉がキモノ姿で出て来た。その左隣りに義姉の娘が振袖姿で立っている。右手には息子のお嫁さんが、やはりキモノ姿で立っていた。だが、3人とも地味なキモノで、特に義姉は喪服のような黒っぽい色だ。義姉のみがにこにこしながら筆者を向いている。その様子に気づいた家内が、筆者の左横で騒ぐ。「こーちゃん、早く写真撮ってあげて!」 よし来たとばかりに一眼レフのカメラをつかみ、レンズを向ける。そして、眼前にあるガラス戸を開ける。ガラス戸はピカピカで、それがあることに気づかなかったが、レンズを向けた途端にそれがファインダーの中に見えた。戸を急いで両側に開け、カメラをかまえてシャッターを押すと、それが下りない。「シャッターが切られへん!」と言いながら、また強く押そうとする。ロックがかかっているような状態で、やはり同じことだ。慌てて3,4回繰り返し、そしてひとまず諦めた。すると、義姉だけがすっと右手を向いて、静かに歩み去った。その後ろ姿を見送ったところで目が覚めた。ら筆者なりに考えたことは、義姉が確実に成仏したということだ。それにしても、はっきりとした笑顔だけ残して去っていたので、目覚めた時、気分は悪くなかった。死者であるので、シャッターが下りなかったのだろう。昨夜書いた『オルフェオ』ではないが、死者の姿を見たいと思っても、それはかなわない。夢に見るだけであって、また夢の中で写真に撮り、それを確認することも出来ないのだろう。筆者が興味を抱いたのは、3人ともキモノ姿であったことだ。キモノ姿の女性の夢は今までに見た記憶がない。キモノの夢はお金を得るなど、いいことがあると何かで読んだことがある。実際にそういうことがなくても、悪い夢でないことで安心する。だが、夢の出て来たキモノは、3人が夕闇を背景に立っていたこともあって、かなり暗かった。その暗い中で、義姉の娘の振袖は、あちこちの金箔が眩く光っていた。
 義姉の遺骨が納められた墓は、義姉の息子の家のすぐ近く、高槻の山手にある。墓からJRと阪急の線路が遠くに見えた。ということは、走る電車の中からいつでも義姉を見ている気分になれる。墓石の風化具合から、墓地のほんのわずかな区画のみが江戸時代からあるようで、そのほかは、最初に書いたように平成に入ってからのものだ。まだまだ山を切り開いて墓地を造成するのだろう。それは、阪急の駅前がここ20年で見違えるように区画整理され、高層マンションがいくつか出来たので、人口が増えたことからも想像出来る。その駅の名をここには書かないが、義姉の息子の家に筆者が訪れたのは、20年ほど前に一度きりだ。その頃、その家は阪急電車の中から直線距離で200メートルほど先にはっきりと見えていた。それがいつの間にかマンションの陰になってしまった。駅前は影が感じられない、真新しくでうすっぺらな建物が林立したのに、義姉の息子の家は西国街道沿いにあって、その付近だけはまだ江戸時代そのままの落ち着いた空気が漂っている。そこからわずか1,2分歩くと、きわめて現代的な、どこにでもあるような新しい街角に変わる。20年ぶりにその家を訪れて、20年前のままを感じたというのに、駅前近辺は畑がすっかり消滅し、新しい道がいくつも出来て、全くの別世界になった。駅前はどこも変化を続ける。さて、今日からまたしばらくは阪急嵐山駅前の写真を載せる。今日の分は、去年4月3日の撮影だ。
●嵐山駅前の変化、その197(ホテル)_d0053294_23491925.jpg

by uuuzen | 2012-04-01 23:49 | ●駅前の変化
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