●『BEEFHEART BAT CHAIN PULLER』その3
人というにふさわしいビーフハートは、詩と音楽が兄弟の関係にあることを思えば、音楽家となったことは当然だが、ビーフハートの曲ではマジック・バンドをしたがえない、ビーフハート個人の朗読による詩そのものが、最も印象に強い。



ビーフハートは黒人のブルース歌手ハウリン・ウルフばりの低音で歌うことのほかに、アルト・サックスやハーモニカを演奏する。ザッパに言わせると、それらは音楽家のものとは言えない拙い自己流であり、職人的技巧を示すものでは到底ない。そういうビーフハートがアルバムを何枚も出せたのは、ビーフハートが口笛でメロディを奏でたり、スキャットしたり、またピアノでその断片を演奏したりするのを、マジック・バンドのドラマー、ジョン・フレンチが楽譜に書き留めたりしたからだ。そうそう、今回の新譜のマジック・バンドは第2期と書いたが、これは誤解を招く。本作以前にもメンバーを交代しており、正確に言えば第3か4期に当たる。また、ジョン・フレンチは82年の最後のアルバムまで在籍したのではなく、本作が最後になった。デニー・ウォーレイは75年のザッパのツアーに参加し、そこでビーフハートにも出会ったが、それまでは彼の音楽を聴いたことがなかった。それがザッパからマジック・バンドに移るように薦められ、本作の録音に参加した。ビーフハートはもうひとりのギタリストとして、同郷のよく知るギタリストのジェフ・モリス・テッパーを連れて来たが、テッパーは82年まで在籍する。あまりに変わっているビーフハートの曲のギター・パートは、猛烈に練習しなければ覚えられないもので、そのことがギタリストの挑戦意欲を掻き立てたようだ。それにビーフハートには叙情的な2分程度のギター曲があって、それをライヴで演奏する時には、ギタリストにスポットライトが当たり、自己顕示欲を満たされた。そうしたギター曲もまた、ビーフハートの脳裏にあるものを、楽譜にしたり、また演奏して他人が聴くことの出来る形にする才能が身近にいたことで実現した。
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 そうなれば、たとえば作品のクレジットはビーフハートとフレンチの共作として記されるべきだが、ビーフハートもフレンチもそう思わなかったところ、上下関係が揺らぐことがなかったことを意味している。ビーフハートにすれば、忠実な部下集団としてのマジック・バンドを持つことが出来て幸福であったと言える。それは、マジック・バンドのメンバーたちは、自分たちは楽器を演奏する能力はあっても、ビーフハートのように内面に豊饒な詩情を蓄えていないことを理解していたからだ。男社会は不思議なところがある。初対面の最初のごくわずかな時間で相手の才能を値踏みするところがあり、一瞬にして上下関係が定まる。その点においてビーフハートはあまりにも強烈な個性があって、誰しも一度それに触れると、容易にそこから目を逸らすことが出来なかったのだろう。そのようにして、たとえばフレンチは長年ビーフハートの側近となった。また、ビーフハートは自信家であったから、マジック・バンドはそれこそ手品のように誰とでも交換可能であり、自分の詩情を最大限に背後で盛り立ててくれる人材であれば誰でもよかった。この点はザッパのマザーズと同じだ。ただし、ザッパの詩情は人間への風刺により傾き、ビーフハートは人間を含む世界全体に関心があり、風刺を特に得意としたことはない。画家でもあったため、その詩はきわめて彩り豊かで、五感を刺激するものとなっている。アメリカの鄙びた大地の空気を思わせるその詩情は、奴隷の黒人がアメリカに対して感じ、初期のブルースで表現したものに酷似する一方、白人としての一種の贖罪が背景にある意識からか、生物全体の歴史やそれと現代文明との奇妙な齟齬を含めた関係を見つめたものに思える。そのため、曲はフォーク・ソング的であることよりも、都会文明の象徴のようなエレキ・ギターのロック音を主とし、そこにミュージック・ビジネスの世界では誰も歌わないような詩を乗せた。その味わいは、時としてヒッピー時代のLSDを用いて書かれたような幻覚性が強いように思うが、ビーフハートはザッパと違って麻薬を用いたのだろうか。そのことは知らない。
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 それはともかく、筆者はビーフハートの詩の世界を吟味いたことはがないので、ビーフハートの詩を論ずるには、それらを精査し、アメリカの詩の歴史を熟知する必要もあって、全く手にあまる。ただし、ビーフハートの絵画に似た世界であろうことは間違いない。「BAT CHAIN PULLER」という題名にしても、これを明確にイメージ出来る人はごく少ないのではないか。筆者にしても、その詩をまともに読んだことがなく、「BAT」を野球のバットかあるいはコウモリのどちらであるかわからなかったほどだ。まさか前者ではないので、後者と思い、そしてそれが鎖になっていることはコウモリがゾロゾロと出て来るのかと思ったが、PULLERとあるので、何か引き手を操作することでコウモリが続々と現われる器具のようなものを連想した。その長年の謎が、今回のCDのブックレット表紙のイラストでようやく明らかになった。とはいえ、それもまたビーフハートの思いとはずれがあるかもしれず、実際のところはわからない。イラストでは、細い鎖の末端にコウモリのボロボロの縫いぐるみが取りつけられている。これは言うなれば、蛍光灯のスイッチの鎖だ。その末端には誰しもよくマスコットを取りつける。筆者もそうしている。『何だ、そんなことであったか。』と納得するものの、『まさかそんなチャチなものについて歌うか?』という疑問が湧く。そして、コウモリは比喩で、鎖の引き手は工場で使う重いものを釣り上げる大がかりなものではないかと思い、ようやく歌詞の全体を訳してみる気になる。『SHINY BEAST』にその詩は載っている。以下に内容を見る。直訳と意訳を取り混ぜるが、それでも意味を把握しにくいかもしれない。なお、繰り返しやそれに相当する部分は省く。
「BAT CHAIN PULLER A CHAIN WITH YELLOW LIGHTS THAT GLISTENS LIKE OIL BEADS ON ITS SLICK SMOOTH TRUNK THAT TRAILS BEHIND ON TRACKS ‘N THUMPS」(コウモリをぶら下げる鎖の綱。鎖は油のビーズのようにギラギラして黄色に輝き、上部の滑らかな箱の中にゴツゴツと当たりながら通って行く。)「AH WING HANGS LIMP ‘N RETRIEVES BAT CHAIN PULLER BULBS SHOOT FROM ITS SNOOT’N VANISH INTO DARKNESS IT WHISTLES LIKE A ROOT SNACHED FROM DRY EARTH SOD BUST’N RAKES WITH GREY DUST CLAWS ANNOUNCES ITS COMING INTO MORNING」(翼はぐにゃりとしては元に戻る。コウモリをぶら下げる鎖の綱。電球の真中はパッと光っては暗闇に消える。それは乾いた大地から盗まれた球根がピーピーと鳴くかのよう。灰色の集塵袋つきの無様な胴と鍬が、朝になると活動を始める。)「THIS TRAIN WITH GREY TUBES THAT HOUSES PEOPLE’S VERY THOUGHTS AND BELONGINGS BAT CHAIN PULLER AH GREY CLOTH PATCH CAUGHT WITH FOUR THREADS ‘N THE HOLLOW WIND OF ITS STACKS RIPPLES FELT FADES’N GREY SPARKS CLACKS LUNGE INTO CUSHION THICKETS」(人々の思いと所有物を収める灰色の管状の電車。コウモリをぶら下げる鎖の綱。4本の縫い目で囲われた灰色のフェルトの当て布が積み重なり、その虚ろな風の中で、布の波立ちは次第に弱まり、灰色の火花がカチッと音を立て、衝撃緩和材を突く。)「PUMPKINS SPAN THE HILLS WITH ORANGE CRAYOLA PATCHES GREEN INFLATED TREES BALOON UP INTO MARSHMALLOW SOOT THAT WALKS AWAY IN FAULTY CIRCLES CAUGHT IN GREY BLISTERS」(オレンジ色のクレヨンで描いたような区画を見せてカボチャが丘に広がり、緑色に膨れた木の風船がマシュマロの煤の中に浮かぶ。それは灰色のあぶくの中に捉えられた歪んだ円の中に消え去っている。)「WITH TWINKLING LIGHTS’N GREEN SASHES DRAWN BY RUBBER DOLPHINS WITH GOLD YAWNING MOUTHS THAT BLISTER ‘N BREAK IN AGONY’N ZONES OF RUST THEY GILD GOLD SAWDUST INTO DUST」(ゴム製のイルカが描かれた緑色の窓飾りの中で灯かりがキラキラ光り、彼らは毒づき、苦痛を馴らす金色の口を大きく開けて、埃の中で錆びた地帯でおがくずに金メッキをする。)
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 以上からわかるように、コウモリとは、たとえばゴミ焼却場のゴミをつかむ巨大なコウモリ状をしたクレーンの先端部分を思えばよい。「翼はぐにゃりとしては元に戻る」は、つかんでは放す動作を表現したもので、鍬状のつかみ部分をコウモリの翼にたとえている。だが、この詩は全体として工場内を描写したものかと言えばそうでもない。工場の外に広がるカボチャ畑の丘やその中に風船のように丸く点在する樹林を描写しながら、視線はメッキ工場で働く工員に収斂する。工場の機械を描写するにふさわしい曲のリズムは、ビーフハートが当時乗っていたスウェーデンの車ヴォルヴォのワイパーの動きに触発されたもので、そこから工場での機械や工員、そして周辺の景色を色鮮やかに描写するようになったところに、まさに詩人としか言えない着想が見られる。上記の詩から明らかなように、「灰色」など、同じ言葉が繰り返し使われ、語彙が豊かには一見思えないが、閃光や音、油の匂いまで動員した内容で、現実描写でありながら、それがそのまま断片的な夢の強引な接合のようにもなっていて、超現実主義と一種独特なロマン性の合成物とたとえられそうに思える。さて、最後に今回のCDで一番好きな曲について書いておこう。「THE THOUSANDTH AND TENTH DAY OF THE HUMAN TOTEM POLE」(人間トーテム・ポールの1010日目)で、これは82年のアルバムで発表された。『DUST SUCKER』で驚いたのは、75年の段階ですでにこの曲が収録されていたことだ。この曲は6分弱の長さがあり、前半に伴奏を伴なってビーフハートの詩の朗読があり、後半は伴奏のみとなる。ビーフハートの曲の伴奏はどれも変わっているが、ここでは異なった素早いリフをいくつも連ねるタイプではなく、もっと遅い演奏で、休止を随所に伴ない、しみじみとしながら、何か真実の深淵に立ち会うような味わいに富む。後期の代表作と筆者は考えるが、この詩もまた内容を吟味したことがない。ザッパのレーベルからビーフハートの録音が発売されるのはこれが最初で最後のはずであるから、ここでその全訳を載せておこう。
「The morning was distemper grey of the thousandth and tenth day of the human totem pole(人間のトーテム・ポールの1010日目の朝、それは灰色の泥絵具だった。) the man at the the bottom was smiling he had just finished his breakfast smiling(底の男は笑っていた。朝食を済ました笑顔。) it hadn’t rained or manured for over two hours the man at the top was starving (2時間以上も雨が降らず、食べ物を与えられなかった。てっぺんの男は腹を空かしていた。) the pole was horrible looking thing with all of those eyes and ears and waving hands for balance (ポールは目や耳を持って恐ろしいものに見え、両手をバランスを保って広げていた。)there was no way to get a ‘copter in close so everybody was starving together (ヘリコプターが近づく方法はなかった。それでみな一緒に飢えていた。)the man at the top had long ago given up but didn’t have nerve enough to climb down(てっぺんの男はとっくの昔にあきらめていた。だが、下に降りる勇気がなかった。) at night the pole would talk to itself and the chatter wasn’t too good obviously the pole didn’t like itself (夜、ポールは自身に話しかけようとした。そして、おしゃべりはうまく通じなかった。明らかにポールは自身が好きではなかった。)it wanted to walk it was the summer and it was hot and balance wouldn’t permit a skinning to undergarments(それは歩きたかった。夏だった。そしてとても暑かった。保たれたバランスは、下着姿になることを許したくなかった。) it was an integrated pole and it was taking on a reddish brown cast exercise on the pole was isometrics kind of a flex and then balance(それは完全なポールだった。赤茶の配役を引き受けさせられていた。ポールの動きは全身に及び、やや柔軟性があり、それからはバランスを保った。) then the eyes would all roll together the ears wiggle hands balance there was a gurgling and googooling heard a tenth of the way up the pole approaching was a small child with a Statue of Liberty Doll(そして、目は全部一緒に回り、耳はぴくぴく動き、手はバランスを保った。ごぼごぼごろごろの音が聞こえた。ポールの10階の高さに、小さな子どもが「自由の女神」の人形を持って近づいた。)」 この詩にはアメリカの歴史が反映されていて、ビーハートはアメリカ・インディアンのトーテム・ポールを見つめる一方で、その後に入って来た白人を見ている。ビーフハートは話し好きで、長い話の中で何度も脱線しながら、また本筋に戻ったという。悠久の雰囲気をまとう仙人のようなビーフハートは、年齢を増すほどに理解出来るように思う。筆者もそろそろそんな境地にありたい。
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by uuuzen | 2012-03-21 23:06 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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