●嵐山駅前の変化、その196(ホテル、駅前広場の桜)
虚になれー! こう寝言で言ったそうだ。1年ほど前のことだ。家内に言われて思い当たることがあった。夢の中で誰に向かって言っていたのか、もちろん覚えている。



その相手をたしなめるというより、案外自戒の念の表われかもしれない。筆者は謙虚な方と思っているが、これは他人が判断することであって、自分で言うことではない。それでも、60になって今さら謙虚になっても仕方がないという思いもある。他人に嫌われようが、好きなように気ままに振る舞っても、残りの年月はそう長くない。それに謙虚もいいが、それが過ぎると、せいぜい「あおの人はおとなしい」「上品ぶって」といった見方をされるが落ちで、大していいことはない。それどころか、妙な役まで背負わされて損だ。謙虚と阿呆と同義と考えていてちょうどよい。ザッパの曲に「Meek Shall Inherit Nothing」と題するものがある。「おとなしい人は何ももらえない」 実にザッパらしい考えの曲だ。引っ込み思案でいると、さっさと図図々しいのが全部かっさらって行く。われ勝ちに貪欲にならねば何も得られない。だいたいそれが現実だ。そして、わがままで目立っていた方が、謙虚の猫かぶりをしているより、まだ愛嬌があっていいという考えが大勢を占める。したがって、謙虚など意識しない方がいい。傲慢に生きても本人は嫌われていることを知ろうとしないし、知ったところで痛くも痒くもない。ならば、好き勝手にするのがいい。サラリーマンならばそうも行かないが、定年になれば、あるいは自営業であれば、誰に気を使うこともない。いや待てよ。今はネット時代であるから、傲慢な自営業者はすぐにネット上に非難の言葉を書き込みされるか。いやいや、ごくごく正直で謙虚な人に対しても、その正反対の毀誉褒貶を書き込みする輩が必ずいるので、ネットの評判など気にする必要はない。ともかく、謙虚などクソ食らえだ。ところで、冒頭に「謙虚」の言葉を用いたのは、昨夜のTVのニュースで、警官が飲酒運転を検挙するのに、数値を水増しした疑いがあって逮捕されたことを思い出したからだ。早速今までに「検」の文字を冒頭に使ったかを調べると、使っていた。そこで思い出したのが「謙虚」で、「謙」はまだ使っていないことがわかった。それにしても、警察官は検挙率を上げるノルマがあるのかどうか、計測数値をごまかして罪を作ったとすれば、謙虚さが足りないどころか、警察はますます恐ろしい団体と思わざるを得ない。とにかくMeek(気が弱い人)ほど関わり合わないことで、弱い者いじめかのように罪人にされてしまう。権力を持った人は先生と呼ばれる職業や医師を挙げてもいいが、こういう人たちには謙虚第一主義であってほしいが、それは理想であって、現実は違うだろう。ニュースで報じられることは氷山の一角とよく言われる。飲酒運転を検挙する警察官の行き過ぎもまた、ごく普通に行なわれているのではないか。
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 人気が高まって芸能人が傲慢になることは珍しくない。昔、漫才師の西川のりおが売れに売れていた頃、関西のあるTV番組で高慢な態度を見せた。自分の人気によって番組が持続し、毎回出演する相棒的な作曲家もそのおかげで出演出来ていると真顔で言った。耳を疑う発言で、その日のことはよく記憶する。それはほとんど西川のりおの凋落の始まりで、その後ほとんどTVに出なくなった。そういうごく普通の芸能人に謙虚さを持つべしと忠告するのは野暮だ。そんな意見に耳を貸さないほど売れているのであるから、つまり金が儲かっているのであるから、本人は王様気分だ。そのため、忠告はやっかみとひねくれるに決まっている。そして、その程度であるからすぐに人気が落ちる。それでも一度は大いに売れたのであるから、相変わらず人の何倍も自惚れが強く、謙虚のかけらもないだろう。芸能人はそれでいい。錯覚しながら人生をまっとうする。この自惚れと謙虚は、芸術家にあってはどうか。絵画や彫刻は物を言わないから、作者が傲慢の塊であったか、謙虚さの権化であったかはわからない。作品をじっと見ているとそれはわかって来ると言えるが、その思いは人によって異なるし、どの人の考えが最も真実に近いかは誰にも判断出来ない。また、傲慢か謙虚か、そう簡単にひとりの作家の本質を割り切ってしまうことが出来るはずがない。ここには言葉がひとり歩きし、言葉を優先しがちな人間の悪い癖がある。傲慢でもありまた謙虚でもあるというのが芸術家の姿で、そういう複雑な心を持っているのは芸術家に限らない。傲慢の塊のような人がふと謙虚さを見せる時が何とも格好いいではないかと思えるほどになれるのであれば、芸術作品の見方も若い頃とはかなり違って来る。先に筆者は謙虚な方と書いたが、一方では自信家でもあって、誰にも負けない何かを持っていると思っている。そういう態度を見せたことはないが、そういう思いで作品を作る。そのことをさして傲慢とは思わない。それほどの自信がなければ物作りは出来ない。だが、精魂込めて作ったものでも、あそこが気になる、ここをこうすればよかったといったよい思いがすぐに頭をもたげる。この自惚れの傲慢さと、自制ないし自省は、自己に対する「甘い」見方と、「辛(から)い」思いの謙虚と言い代えてよい。そこで昨日の話につながる。
 以下の節は昨夜載せようと思いながら没にした。消さずにいたので、復活させる。これは甘いのか辛いのかと言えば、辛くて渋い作品と言うべきだが、毎年2月下旬から3月上旬の頃に聴きたくなるのが、ラヴェルの『クープランの墓』だ。これを連日聴いている。去年書いたが、モニック・アースという女性の演奏が好きだ。最初は軽過ぎるかと思っていたが、ここ数年聴き込んで手放せなくなっている。女性特有の華麗さがよい。ラヴェルのピアノ曲は女性的な部分が多いと言おうか、とても洒落ていて、女性が演奏する方が曲調が豊かになる。CDのブックレット裏面にピアノを演奏している彼女の横顔を見せる上半身の写真が載っている。60歳くらいだろうか。服装や表情、全体のたたずまいがとてもシックでよい。人生の苦味もたっぷり知った表情で、とても魅力を感じる。横顔ではさほどわからないが、目と口が大きく、個性的な顔をしている。人形のようにきれいな女性では、ラヴェルの曲は演奏出来ないだろう。出来ても似合わない。彼女の『クープランの墓』のどの曲もいいというのではない。3,4曲目が特によく、それを聴きたいばかりに全体で25分ほどの演奏を全部聴く。ところが、今夜は久しぶりにギーゼキングの演奏を聴きたくなり、それをBGMにしながらこれを書いている。モニックの演奏が60年代末期であるのに対し、彼の演奏は1954年で、筆者が3歳の頃だ。録音が古いので物足りないかと言えば、そうでもない。ラヴェルが作曲したのは第1次世界大戦直後の数年間で、それに近い年ほどラヴェル時代の空気を反映していると思える。そうなると、新しい録音ほどつまらなくなる。この組曲は戦争で死んだ知友たちに各曲が捧げられた。それだけでも甘さからはかけ離れた辛口で渋い作品であると言ってよい。ラヴェル最後のピアノ曲で、最高傑作ではないか。この組曲の全曲を気に入る名演があるだろうか。ないとなればその名演を想像するしかないが、それはとても甘い時間で、またこの曲を聴いている時は、周囲に花が満ちている気がする。大衆をマインド・コントロールする思いはラヴェルにはなかったであろう。自己と対話し、また亡くなった人を思いやる気持ち、過去の遺産への敬愛が中心にあった。そして時に自信過剰で傲慢な思いを抱き、また謙虚にもなったに違いない。そういうラヴェルの芸術に心酔することもまたマインド・コントロールされていると言えるかもしれないが、その教祖たる芸術家がとっくの昔に死んでいるのであるから、コントロールされても生活上の支障はない。今日の写真は去年3月31日の駅前ホテルだが、もう1枚は新しくなった駅前広場に植えられた枝垂れ桜だ。それが花をつけた。背後にわずかに建設中のホテルが入る角度を狙った。この桜が円山公園にあるものほどの大きさになるには半世紀以上かかる。もちろんその頃まで生きていないが、その姿を思い浮かべることは出来る。
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by uuuzen | 2012-03-07 23:06 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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