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●嵐山駅前の変化、その187(ホテル)
金を支払うために確定申告をするが、この記入が毎年面倒だ。ネット申告という方法が4,5年前に出来た。ところが、これをするには前もって登録する必要があり、とても面倒だ。



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それに、おそらくパソコンはWINDOWS95や98では駄目ではないか。これが2番目に面倒だ。ネット申告は税務署も手間が省けるので、いくらかの控除がある。だが、もともと収入の少ない者にとってはそれはどうでもいい。筆者の場合、何を経費にするかで毎年悩むが、経費になるはずのものをほとんど計上していない。交際費もない。それで20年近く前だが、税務署から派遣された税理士が同情し、助言してくれたことがある。だが、それも収入がたくさんあっての話だ。筆者の場合はどうあがいても入って来るのが少ないので、経費についてほとんど考えなくてもかまわない。そんなことを毎年思いながら還暦を過ぎたから、人生はまことに早い。早過ぎる。昨日王将で食べながら家内が言ったのもそれだ。この40年ほど、ずっと外食と言えば王将かそれと同じ程度の店ばかりで、少しも進歩がなかったと揶揄する。だが、ものは考えようだ。王将にも行くことが出来ない身分になることもあり得るではないか。老いるにつれて経済的に不自由を感じなくなるのは、人間としては理想的な境遇だが、みながそうではない。むしろその反対が多いかもしれない。若い頃の苦労は買ってでもしろと、昔よく言われた。その言葉の裏には、若い頃に苦労しておくと、老いてから経済的にゆとりが出る暮らしが出来るという世間一般の思いがあった。だが、それは人生が50年といった短い頃の話だ。今は老いるとそれなりに出費が嵩む。病気になる可能性が増大するからだ。中年の頃には羽振りがよかったのに、老境に入ってすっかり貧乏暮らしという例は案外少なくないのではないか。若い頃に懸命に働き、中年になって家を建てても、巨大地震ですっかり財産を奪われることもあろうし、人の将来はどうなるか予測がつかない。王将で食べることに、家内はいつまで経っても改善しない生活水準を嘆くが、そこには若い頃とは違って大きな変化が理由として含まれる。つまり、仕事や日々の生活で疲れることが多くなり、つい愚痴っぽくなる。それを筆者が受けてもっと仕事に精出すべきだが、個人で創作の仕事をしていると、営業活動がまず出来ない。たいていの作家はそうだろう。作家はお金のことは考えず、周囲に営業する者を置き、それに売らせたり、またその価格の折衝をさせる。それが理想だ。筆者の場合は家内にそれをやってほしいのだが、さっぱりそういう能力がない。人見知りをするタイプと言おうか、まだ筆者の方が営業には向く。それがひとまず出来ないのであれば、誰か雇えばいいが、その人のための当面の給料をどうするか。筆者は仕事の速度が通常の3倍は速いと自負しているので、注文さえあれば、営業マンのひとりふたりの給料はどうにでも捻出する自信はあるが、不況の今はそれはほとんど夢物語だろう。あるいは、こんな時勢でも儲けている作家はいるのかもしれない。
 儲けるという意識が筆者にはない。王将でギョーザ2人前と天津飯をたまに食べることで満足だ。還暦になってからよく人に言うことに、これから何年頑張れるかというのがある。70までとしても10年しかない。もうじたばたしても始まらない。気に沿わぬ注文仕事をこなすより、自分が好きなように制作する方を取る。昔友人は筆者の仕事を、「やればやっただけ儲かると」言った。その言葉がとても意外であった。そんな気が全くなかったからだ。「やればやるだけ」は、「注文仕事を」というただし書きが前についている。筆者は最低限そういう仕事はほしいとは思うが、本当は自分の好きな仕事だけしたい。それは、制作期間中は無収入であり、そして材料費も馬鹿にならないから、たいていの人はすぐに挫折する。また、注文仕事があることは、そこそこ有名で、仕事に定評がある場合だが、染色作家なるものはそういう状態にまで届いていない。そのため、筆者は注文仕事はほしいが、それが望めないので、半ば暇つぶしに創作活動をして来たと言うにふさわしい。簡単に言えばやることがなかったからだ。それでも普通は、そんな儲からないどころか、散財的活動をするより、どこかに働きに行くだろう。それを筆者は全くやらなかった。家内がその代わりに働いてくれたが、収入はアルバイトに毛が生えた程度だ。それなのに、また親からもらった財産があるわけでないのに、裸一貫、今まで誰からも借金せずにここまで生きて来られたのが不思議でならない。預金がいくらあるかなど計算したことがないが、今のままでは、10年後には王将で食べることも出来なくなっている可能性が大きい。にもかかわらず、筆者の心はいつも晴れている。どうにかなるさ。今までどうにかなって来たことだし。ま、そんな感じだが、これは心身がまだ元気であるからかもしれない。それがいつ下り坂を意識し、絶望の淵が見えて来ることになるやもしれない。とはいえ、今はそんなことは全く考えていない。誰しも明日どうなるかわからないが、その保証のない状態に身を置くことが、せめてもの筆者の矜持であるかもしれない。売茶翁もそうであった。立派な寺に住む僧侶の十中八九は腐敗していると売茶翁は指摘した。それは今も変わらないか、もっとひどいだろう。現在仏教離れが深刻であるとすれば、僧侶の生活が庶民に比べて保証の度合いが大きいからではないか。もちろん貧乏寺も多いが、無税であるし、概して楽な暮らしをしているように傍からは見える。寺が地震で倒壊しても、檀家から集金していずれまた立派な本堂が建つ。庶民はすべて自己負担だ。だが、一生安泰の経済状態は、案外味気ない気がする。さて、今夜の写真は去年2月21日の撮影で、陽射しが明るくなっているのがわかる。もうそろそろ梅が開花し始めるか。楽しみだ。
by uuuzen | 2012-02-04 23:58 | ●駅前の変化
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