●嵐山駅前の変化、その185(ホテル)
のようにつながった道路を思うと自分の未来がどんどん開けて行くような気がする。だが、その道路には人が歩けない高速道路があるから、夢の半ばは萎む。



筆者はよく見知らぬ街を歩く夢を見るが、車の運転が出来ないこともあって、自動車で移動する夢はめったに見ない。その代わり、地上から2メートルほどの高さを、水の中を泳ぐような格好で空中移動する夢をたまに見る。それがすいすいというのでもない。時々舟を漕ぐように両手に力を込めねばならないから、目覚めた時にはかなり疲れを感じる。ああ、夢の話を書き始めると、この1年ほどの間に見た、特に記憶に強い場面が雪崩れのように脳裏に湧き上がって来る。それらをみんな水に流し、昨夜3時頃に目覚めて考えたことについて書く。昨夜は眠りが浅かった。驚愕の出来事が影響し、それで熟睡出来なかった。その驚愕の事件については書くことは出来ない。あまりに私的なことで、また今後の推移を見守る必要もあるからだ。それが突如降って湧いたような出来事であるにもかかわらず、最近の筆者が毎日聴いている曲を思うと、それに見事に符合していることにまた驚く。今、リピート機能で聴いているが、毎日100回は聴いているだろう。聴きながら酔う。こんな経験は何年もなかった。それはさておき、昨夜も少し書いたが、その事件を筆者の本能は予想していたのかもしれない。そして、そのように考えると、人間は重要な出来事についてはある程度予知出来る、あるいはその心づもりのような心境に先に耽ることが出来るのではないかと思う。地震の予知を、「次世代スーパー・コンピュータ京」を使ってやろうとしているというニュースを今日目にした。それを見ながら思った。科学ではなく、人間の本能を磨く方が何事にも役立つのではないか。そして、その本能を研ぎ済ませるには、坐禅がいいのかもしれない。ジョージ・ハリスンは毎朝5時に起きて自宅の庭に接した場所で坐禅したというが、坐禅は禅だけのものではないのだろう。長年かかって禅に集約された来ただけのことで、禅が生まれるより前に、人間は長時間座ることの意義を知っていたのではないか。科学の力もいいが、それに頼り始めると、次々とがんじがらめになり、科学は終わりがない。あるとすれば人間滅亡時だ。そして、その滅亡が案外科学を発達させた結果によるのではないか。津波による原発の被害はそれを明白に示した。
 人間を幸福にすることが科学の最大の目的のはずだが、それが時に大きなしっぺ返しを人間にするのは、科学のある分野がまだ未発達なことと、技術が未熟なためだ。ではそれらが頂点に達したとして、人間は全員幸福になるかと言えば、おそらく全くそうではない。科学がもっと発達すれば、先に書いたように、人間は羽をつけずに空に浮かんで移動出来ることになるかもしれない。だが、それが歩くより何倍も疲れるのであれば、ほとんど不要な能力だ。疲れないとしても、おそらく何かに負担がかかったり、しわ寄せが出来ている。一方、不要な能力は、潜在的にあった方が、普段の生活が快適に送れるという考えもある。たとえば、預金が1億ある人と、10万円しかない人とでは、前者の方が毎日を気楽に過ごせると考えるだろう。車にしても同じで、ベンツと軽では、いざ高速道路を長距離走った時に差が出る。そういうように、人間は過剰とも言える能力をほしがる。だが、これは単に無駄である場合が多い。子どもに高学歴をつけることが、親としての財産分けのようなものだと信じている人は多いし、そういう経済力のない人でもそれを望んでいる。ところが、高学歴の人がどのような仕事に携わり、どういう生活を送っているかとなると、それらは誰が見てもうらやましいというものではない。人間が生きて行くのに、高学歴はきわめて限定的に役立つパスポートに過ぎず、組織に入ってしまえば大学でつけた知識などほとんど不要だ。つまり、ほとんどの人の場合、それは余剰的なものだ。簡単に言えば無駄に近い。それを言えば、人間の生活そのものが無駄ではないかと、身も蓋もない反論があろう。江戸時代の大坂では、丁稚から番頭にのし上がり、能力のある者が隠居して学問をした結果、先駆的な仕事をした例が少なくない。大学がたくさん出来た今の方がそういう仕事が出来る可能性が増し、また実際に独創的な仕事をする学者が多いのかもしれないが、そのごくわずかな学者を生むために、大半の学生は無駄な時間を過ごす。そして、彼らは社会に出て、誰がやっても同じような、効率のよい金太郎飴のような存在であることを強いられる。
 網のような道の話だった。筆者は時々ムーギョ・モンガへの道を思い浮かべる。当然ムーギョの向こうにはどういう町並みがあるかを知っているが、せいぜい東山までで、それを越えて山科に入るともうわからない。だが、知ろうと思えばさほど難しくない。そのようにして、日本中のつながった道を踏破することは可能だろう。それは実際は非現実的な行動だが、その行為の意志を妨げるものはない。それはいいとして、道や街角を思い浮かべながら思い至ることは、道ひとつ、川筋一本を隔ててがらりと雰囲気が変わる町並みが多いことだ。これが不思議というのではないが、その一種の断絶性がとても意外で、面白い。文章で言えば、段落のようなものが町並みにはあるのだ。音楽で言えば転調だ。その町並みの断絶性が、妙に味のある場合があり、そのちょうど中間のごくわずかな地帯に筆者は関心がある。さて、以上が本日の話の枕だが、今日は枕だけで終わってしまいそうだ。それでは気が済まないので、本題に入る。その前に書いておくと、今日の写真は去年2月14日の撮影だ。路面が濡れている。また小雪が降っているのがわかる。今日も日本は大雪だ。京都でも粉雪が降ったが、積もるほどではなかった。だが、あまりの寒さにムーギョに行かなかった。冷蔵庫に買ったものがあれこれ詰まっている。小芋の皮を剥いて煮たり、米をといで炊いたりしている間に家内が帰って来たので、台所仕事をバトンタッチした。筆者は包丁を握ったり、煮炊きは嫌いではないが、ふたりが作業する空間がない。
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 一昨日、2階のWINDOWS XPのパソコンでGOOGLE EARTHのSTREETVIEWを2,3か月ぶりに見た。これは世界の公道沿いの風景を連続的に見せるサーヴィスで、日本では大都市が網羅され、現在はそれをつなぐ道路が地方都市にまで広がりつつある。それで、去年秋にはまだなかったいわき市が、全部の道路が見られるとうになっていることに気づいた。驚いた。まだ数年先かと思っていたからだ。おそらくこの1,2か月に載せられたのだろう。江名に棲むMさん宅を真っ先に確認したのは言うまでもない。GOOGLE MAPによって、大地震当日の衛星からの写真は去年の5月頃から見られるようになっていたが、平面では実感が湧かない。それがSTREETVIEWで立体的に見ることが可能になった。空からの写真であれこれ想像したのとは違って、実際に道を走る車に搭載したカメラで撮影した道路沿いの光景であるので、そこに立っている気分になれる。リアリティが一気に増した。去年の晩夏から初秋の撮影らしいのは、道を歩く人の服装からわかる。江名港を正面に見る家並みはほとんど更地に変わっている。それを除けば、大地震の爪跡を確認するのは難しい。Mさん宅の母屋は道から少し入ったところにあるので、全体が確認出来ないが、屋根のブルー・シートはごくわずかな部分にしかないことがわかる。Mさん宅から港までの道を画面で辿ってみた。すると、江名の町並みは、想像していた以上にさびれていた。それが心に深く染みた。そう言う筆者も、時代遅れのボロ家に住んでいるが、自分のことは見えないものだ。ともかく、高齢者が増加する一方の日本は、いずれどこも江名の町のような雰囲気になる。江名は日本全体の数十年後を予測していると言ってよい。そのMさんの家の前の道を今年は歩くことになると思うが、電車に乗らず、わが家から歩いて行くならば、家並みのいくつの断絶性を味わわねばならないだろう。だが、その断絶性こそが、意味があり、生きていることを実感させる。歩いてどこにでも行った江戸時代やそれ以前の時代の人々は、毎日生きている実感が大きかったであろう。
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by uuuzen | 2012-02-02 23:29 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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