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●嵐山駅前の変化、その181(ホテル)
脳を使って小さなセルロイドの舟を、水を張った洗面器の中でぐるぐると走らせる遊びが、昭和30年代前半にあった。樟脳はナフタリンみたいなもので、母からは防虫剤と聞いた。今も売っているのだろうか。



そんな素朴な、科学実験のような遊びでもうひとつ思い出すのは、蛍光塗料を塗った小さな土仮面を売るおじさんだ。今から思えば40歳くらいか。そんなおじさんが公園にやって来て子どもを集め、鞄から取り出したそんな玩具を売っていた。筆者も母に1個買ってもらったことがある。光を閉ざした帽子の中でそれを見ると、ムンクの『叫び』に似た人の顔、あるいは仮面が、赤や青、黄緑色などの線に輝いて見え、しかも独特の臭いがあった。そうした蛍光塗料は放射性物質で、発癌性があるらしく、今は使用禁止になっていると聞いた。そう思えば、昭和時代は危険なものが周囲にたくさんあった。石綿は平気で扱っていたし、井戸水を使ってアイスキャンデーや冷やしあめを売る店では、下水口にオレンジ色の水垢がびっくりするほど多くこびりついていた。あれは鉄錆ではなく、砒素系の何かだろう。それに、当時はまだ下水道はなく、大阪市内の便所は汲み取り式であった。バキューム・カーが出来る以前、昭和30年を少し過ぎた頃は、鉢巻きをしたおじさんがトラックでやって来た。大きな柄杓で各家庭の便所口から大便小便を汲み取って桶に注ぎ、それを天秤棒の前後にぶら下げてひょこひょことバランスを取って歩いては、道に停めたトラックの荷台に斜めにかけた板を登って、板で囲った荷台内部にぶちまけていた。もちろん多少の便汁は道に落ちる。今から考えると不潔このうえないが、それがせいぜい半世紀前まであったことを忘れない方がよい。また、当時のゴミ箱は木製が普通で、中には同じ形をしたセメント製もあったが、ゴミは分別などせず、生ゴミも含めて内部に放り込んでいたから、夏にはよく蛆虫がわいた。そういう衛生状態なので、当時は蝿が多かった。今はほとんど見かけないが、日本中がクリーンになってアトピーが増えたのは誰しも知る。昭和30年代は子どもがとても多かったので、町中が人でひしめき合っているといった状態で活気があった。それがいいのかよくないのか知らない。当時すでに教育ママという言葉はあり、学習塾に通わせる親は少なくなかった。いや、多かったと言うべきだろう。筆者は貧しかったので、幼稚園に行かせてもらえず、また塾なるものには一切行ったことがなかったし、参考書も小学生の頃は買ったことがない。中学になってからも1教科に1冊、しかも薄いものを自分で本屋に行って買っただけだ。そんなような教育状態であったから、ま、このような凧のような人生を歩むことになったが、当時熱心に塾に通い、一流大学を目指した連中もう定年を迎えて諦念状態だろう。
●嵐山駅前の変化、その181(ホテル)_d0053294_23453156.jpg

 先日電話をよくくれる大阪の小中学校時代の友人Kが友人Tを連れてやって来た。Tは東大阪に住み、筆者とは初対面だ。その日はほとんどTと話をした。よく話す人で、今63歳、発明が趣味という工場経営者だ。その点Kと同じで、仕事をお互い融通し合っているらしい。また、どちらも億単位の売り上げをする社長だ。Tは、人生に総決算的な何かをバンと打ち上げたいが、筆者もそうような心境ではないかと同意を求めた。いちおうそう思うと答えておいたが、60歳でこれまでの仕事の総決算的な何かを成し遂げたいのは、サラリーマンでなければ誰しもだろう。だが、その思いは60から始まると言ってよいもので、それが70や80に向けてますます高まり、また実際に成果も大きくなって行くのが理想だ。だが、そうならずに下降線を辿る場合もあろう。ただし、どちらも長生きしての話だ。体も頭もまだ元気は60代半ばに、人生を代表する仕事と呼べるものを確立しておく必要はあるが、そういう考えが誰にでもあるとは言えずない。思えるのは幸運なロマンティストに限るか。仕事に生甲斐を見出すタイプで、男なら誰でもだいたいそうだろう。ところが、仕事に熱心なあまり、家を顧みず、気づいた時には妻から離婚を切り出されていたりする。Tは儲けのほとんどを特許料に投入し、いつか自分の発明が大企業に使われることを夢見ているとのことで、実際その可能性が大きい発明がいくつかあるらしい。63と年齢を訊く前は筆者や友人と同じ60かと思ったが、それほどに若く見える。髪もまだ黒く、肌の艶もいい。これは始終頭を使って発明のネタを考えているためだろう。ネット検索すると自分の名前がたくさん出て来ると言ったので、早速調べてみると確かにそうであった。特許で大儲けしたいというのでもないようで、とにかく自分の発明が広く世間で使われることにロマンを抱いている。それにしても、工場を経営しながら発明に凝ることは、奥さんの寛容さが欠かせないのではないか。あるいは諦めか。そのどちらでもあるだろうが、結局は愛ということだ。
 TはKや筆者と同世代で同じ大阪生まれなので、考えがよくわかるが、世代がバトンタッチして今後は理解を越えた世代が世間を担って行く。樟脳を使ったセルロイドの舟の素朴な動きなどに関心を持たずとも、もっとハイテクの遊びがある。今の若者は上司とあまり酒を飲まなくなっているという。それにアルコールの売り上げも昔に比べると落ちていると聞いた。若者が会社の上司と仕事が終わってからも付合いをさせられるのはうんざりという気持ちは筆者には半分はわかる。これは上司による問題でもある。いやな上司なら一緒に飲みたくないし、そうでない場合は、話は弾む。だが、今は昔よりももっと自分の時間を大切にしたいという若者は多いだろう。会社が終身雇用性でなくなって来たことに大きな原因があると思える。能力があればさっさと給料のいい会社に行くという考えが、昔のようにドライとは言われなくなった。アメリカ式になったのだ。今の日本はよくも悪くもアメリカを徹底して模倣して来た結果の姿だ。そうそう、先日笹尾周平展を見に京都芸術センターに行った際、玄関脇にの石像があった。久しぶりに見た。筆者の小学校にはこれがあった。これが全国的に邪魔物扱いされ始めたのはいつからであろう。あまり邪魔にもならないと思うが、子どもが柴を背負って歩きながら本を読む姿というのは、教育上好ましくないという考えだ。だが、それは考え過ぎというものだろう。ちょんまげを結った着物姿の子どもとなると、それが江戸時代の人物であることは、誰にでもわかる。江戸時代の話が今はふさわしくないというのであれば、京都の存在意味もない。また、子どもが仕事をしている姿がよくないというのであれば、子どもに家事を手伝わせるのも禁止せねばならない。今の教育者、教育界はどうやらアホだらけのようだ。二宮金次郎の石像は、子どもが寸暇を惜しんで学ぶべき姿を捉えていると説明すればそれでいいではないか。実際今の子どもには遊びのために寸暇しかなく、大量の時間を学校と塾に奪われている。塾に行けない貧乏人は、社会の脱落者となり、昭和30年代にいた肥汲みのおじさんのような仕事しかない。みんなそれがいやで、少しでも手を汚さないクリーンな仕事に携わるクリーンな人間になりたい、ならせたいと思っている。それを思えば、今こそ二宮金次郎の石像が役立つではないか。柴を背負って歩くのは体造りにもいいし、柴は無理であるから、どっさりと本を背負って歩かせ、また歩きながら読書を薦めるのもいい。そのように促進しても決してそうならず、みんなケータイ片手にメールを読むか、ゲーム機で遊ぶ。寸暇を惜しんでひとりでそうした孤独な遊びをするしかない多忙な時代なのだ。そんな子が大人になり、60になり、どんな人生の総決算を思って何か大きな業績を残したいと思っているだろう。今日の写真は阪急嵐山駅前ホテルの去年2月5日のもの。
by uuuzen | 2012-01-28 23:45 | ●駅前の変化
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