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●『おん祭と春日信仰の美術』
止されるとそれを犯したくなるのが凡人で、昨夜のネット・ニュースだったか、ニューヨーク・フィルの演奏のさなか、ケータイ電話が客席で鳴り、演奏が中断されたとあった。



●『おん祭と春日信仰の美術』_d0053294_23523059.jpgいっそのこと、その人物に高額の賠償金を支払わせればよい。マナーの意味を理解しない人物はどこにでもいて、筆者がブログにたまに書くように、展覧会でも平気で大声でしゃべったり、また鳴って来たケータイ電話に出て長々と喋り始めるおばさんを見かける。それはさておき、今日取り上げる展覧会は、去年12月18日に『磯江毅=グスタボ・イソエ』展の後、奈良国立博物館で見た。同じく鳥博士さんから送ってもらった招待券による。この博物館は、毎年お水取り展とこの展覧会を開く。冬場は観光客が激減することもあって、ほぼ常設展と化したこれらふたつの展覧会は、奈良で長年続く行事を宣伝するにもよい。もうひとつ恒例となっているのは、言わずと知れた正倉院展だ。つまり、秋の『正倉院展』が済むと12月の『おん祭展』、そしてそれが終わってからすぐに『お水取り展』だ。『お水取り展』については去年書いたので、今年『おん祭展』を取り上げるのはちょうどよい。予想どおり、来場者は非常に少なかった。家内の両親は奈良の出身で、母方の親類は三条通りに住んでいる。従兄弟会なるものを作って1年に1回はどこかに旅行に行くが、忙しい家内はそれに参加したことがない。そのため、奈良に出ても親類を訪問しない。奈良は日帰り出来るので、宿泊する機会がない。昔九州出身のある女性が、お水取りのお松明を見るために奈良市内に1泊すると言っていた。筆者はお松明を見たことがない。その気になれば見に行くことはいとも簡単と思っているので、興味がうすいのだ。奈良の祭りとして、春日のおん祭が12月中旬に開催されることもほとんど知らなかったも同然で、筆者は祭りにあまり関心がない。
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 おん祭は12月15日から18日にわたって開催される。この展覧会を見に行った日はその最終日に当たっていた。ネットで調べると、当日は「後の祭り」と言ってよく、若宮神社で午後に奉納相撲や能があった。若宮神社は春日大社の南にある。そこまで足を延ばしていないので、祭りの気配は全く感じなかった。また、この祭りは17日がメインで、若宮神社では遷幸の儀に始まって還幸の儀まで24時間祭りが行なわれる。一方、お渡り式の列が正午から興福寺境内北東隅から西に向かって進み、近鉄奈良駅前を通り過ぎてJRの線路近くまで行き、そこを南下、そして三条通りを今度は東に進む。猿沢の池辺りに着くのは午後1時半頃だ。春日大社の参道をそのまま若宮神社まで行かず、興福寺近くのお旅所に午後2時半に到着、その後夜の10時半まで、お旅所祭がある。会場の最後にはその様子を撮影した写真がたくさん展示されていた。猿沢の池のほとり、奥に天平ホテルを臨む場所に立って撮影された写真が目立った。それを見れば、巡行の様子がだいたいわかる。どうせなら映像の上映があればよかったが、17日に実際に奈良に来て見るべしということなのだろう。若宮神社での遷幸、還幸の儀は、撮影禁止だ。ライトを照らすことも禁止されているという。真っ暗な中でしずしずと執り行われるのが、いかにも神社の祭りらしい。神に関することはあからさまではよくないのだ。だが、きっとケータイのカメラで撮るのが何人もいるだろう。
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 おん祭りは若宮神社の創建から始まった。1136年から一度も欠かさずに行なわれていて、去年で876回を迎えた。こういう長い伝統の祭りはほかにあるのだろうか。昨夜書いた日吉の山王祭も長い歴史を持つが、図録の説明によると、御輿が初めて造られたのは791年とされるものの、定かではないとある。1115年に造られたのは確からしい。となると、おん祭より古いことになるが、現存する最も古い御輿は1638年とされる。また、おん祭のように中断することなく、毎年続いて来たかどうかは書かれていない。ここで昨日の続きを少し書いておく。『日吉の神と祭』展の会場後半は山王祭の華麗な屏風がたくさん並んだ。そこに祇園祭と対で描かれているものがあった。これは、祇園祭と山王祭が延暦寺を介して結びついていたためとある。「日吉山王垂迹神曼荼羅図」に、日吉の神々の下に祇園、北野、赤山の姿が描かれていて、そのことは延暦寺との深い関係からとされ、祇園祭と山王祭は一体のものと受け止められていたという。だが、現在では祇園祭は毎年数十万人の人出があって、必ず全国にTVニュースでそのことが報じられるのに、山王祭はほとんど京都人は関心がないように見える。これまた話が脱線するが、『日吉の神と祭』展を見に行くのに、去年春に家内と歩いた道をそのまま行ったが、アーケードの商店街で、春には入ることの出来なかった大津祭の鉾が展示される無料の資料館が開いていて、内部を覗いた。2階建てで、鉾は吹き抜けの空間にややせせこましく飾ってあった。全部で13基だったか、鉾の説明書きがあり、またパンフレットも充実していた。係員の中年女性相手にあれこれ話を10分ほどした。大津祭は10月の中旬に鉾の巡行が行なわれる。季節のいい頃であるのに、TVでその様子が報道されているのを見たことがない。祇園祭と同じようない豪華で古い染織品を鉾にまとわせるのに、祇園祭ほど有名でないのはなぜかと、係員に訊いた。大津の豪商は、北陸の米を琵琶湖を利用して運ばせて財を成し、そして祇園祭に負けるとも劣らない鉾を揃えたのに、やはり歴史の圧倒的な差と言おうか、祇園祭の模倣のようなところが人気が今ひとつであることの理由かもしれない。また、同じ大津に山王祭があるので、その陰に隠れている状態かもしれない。
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 脱線続きに書く。今朝TVを見ていると、三田村何とかという俳優が若い女性と一緒に旅をする番組があった。それが日吉山王祭の中心地の坂本であった。駅前から比叡山に向かって歩き、途中2か所を立ち寄り、ケーブルカーの坂本駅から頂上、そして根本中堂その他を見て歩いていた。筆者は比叡山を2,3度車で上ったことがあるが、ケーブルカーを利用したことがない。坂本から大人片道860円だったか、ちょっと高い目だが、眺望が素晴らしく、一度行って見たくなった。ケーブルカー内で三田村から声をかけられた中年男性がいた。京都市内に住む人で、初めてケーブルカーで比叡山を登るという。それを見ながら、京都は大阪にも滋賀にも関心がうすいことを今さらに思った。だが、『日吉の神と祭』展にあった「日吉山王・祇園祭礼図屏風」を見ると、室町時代は京都と近江の祭がセットで考えられ、双方の地の人々は現在よりもっと交流が深かったのでないか。それは延暦寺の勢力が強く、また人々が信心深く、お祭りを楽しみにしていたからでもあろう。JR坂本駅前あたりは、三井寺付近と同じように、人影はまばらで、そこで大きな祭りが開かれることを想像するのは難しい。だが、今朝の番組を見ると、日本の石垣の8割を造るという石工の穴太集団が今も住んでいて、そういう人たちの後世への技術伝達のためにも、山王祭はなくすわけには行かないし、またなくならない。昨夜書いたことと関連するが、昔から代々同じ場所に住んでいる人たちは、新しく出来た自治会とは別のつながりを持ち、それを大切にしている。それをよそ者、新参者は排他的と謗るかもしれないが、排他的でなければ伝えにくい事柄や風習がある。そうした人々は講を作って、ある行事を昔ながらに今後も伝えて行く義務を負っている場合がままあり、その例が山王祭であり、またおん祭だ。祇園祭も同様で、中心的なことは代々続く中京の町衆が執り行なう。これを筆者は、筆者に無関係な祭りで、あまり関心がないと言うのだが、数百年続いて来た伝統はそう簡単に形態を変えるわけには行かないことはわかる。昔のまま、全く同じ形のものを繰り返して続けて行くことは、信仰が変化しないという意味合いでも欠かせない。おん祭では、大陸から伝わった舞楽から中世に興った田楽・猿楽も正しい形で伝承されているという。この、何でも保存して行くという精神は世界的に見ても稀有のもので、中国や朝鮮の比ではない。おそらく大陸から伝わった舞楽を中国や朝鮮の学者が研究するには、日本に来なければならない。
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 さて、この展覧会の展示物だが、売店で数年前からの図録を手に取って順に見ると、8割ほどは毎年同じだ。また、新たに出品されるものはほとんどないようで、2,3年前に出ていたりする。ぞのため、図録は図版の使い回しが出来て、制作は便利だ。1冊1500円だが、駅近くの古書点では2,3年前のものが500円で数冊出ていた。古いものを買ってもほとんど同じだが、今年の出品で特に目を引いたのが、「鳥獣戯画」の断片だ。断片とはいえ、長さは1メートル以上はあった。これを掛軸に仕立てていたが、おん祭とどういう関係があるのだろう。「鳥獣戯画」を所蔵する京都の高山寺の古文書も出品されていたので、若宮神社と関係があるのだろう。展示の中心は、やはり「春日宮曼荼羅」ではないか。これはチラシやチケットに目立つように印刷されている。それほど美しいもので、日本画の原点がある。この宮曼荼羅は定型化していて、山の中に朱色が眩い社殿がいくつも鳥瞰的に描かれる。同様のものは、日吉山王宮曼荼羅にもあるが、その数は春日よりはるかに少ないらしい。そう思えば、松尾大社にはそのような曼荼羅があることは聞いたことがない。京都市中の少し外れでは、山の中という雰囲気が乏しいからか。おそらく宮曼荼羅を見てそこに行ったような気分になるより、実際に足を運ぶことがたやすかったからではないか。上賀茂神社や下鴨神社に宮曼荼羅がないのも同じ理由だろう。そう思うと、宮曼荼羅が描かれた春日、日吉山王、そして熊野は、今でも山深い印象があり、人の影を普段あまり見ないことが正常と言える。『日吉の神と祭』展には、さまざまな日吉山王宮曼荼羅が展示された。多かったのは本地仏曼荼羅と垂迹神曼荼羅、すなわち、仏像や神像をたくさん描いたもので、風景画のように社殿を鳥瞰的に描いたものではない。図録によると、模本や類例がなく、孤高の存在であるという。春日宮曼荼羅にも本地仏曼荼羅と垂迹神曼荼羅はあるが、仏が出て来ない、また神像を描かない風景画としてのものがよい。また、奈良、春日と言えば昔から鹿であり、春日鹿曼荼羅と呼ばれるものもある。おまけに鹿に貴人としての神が乗っている図もあり、春日信仰は山王信仰より、雅さが多い印象がある。だが、山王祭を描いた、金箔を多用した屏風のようなものが春日信仰にはほとんどないので、豪放さには欠ける。それは、真夜中に遷幸の儀が始まって還幸の儀が終わることや、御輿を担いで褌姿の男たちが練り歩くということがないからか。だが、おん祭には毎年20万人が訪れるというから、見所は多く、華やかであろう。筆者は12月半ばは毎年慌しい気分になり、奈良に行って祭りを鑑賞する気分にはなかなかなれない。見に行くことを禁止されたならば、きっと行きたく思うのかもしれない。
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by uuuzen | 2012-01-14 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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