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●『祈りの国、近江の仏像-古代から中世へ-』
れた姿の清盛らが出て来るので、NHKの鳴り物入りで始まった大河ドラマを兵庫県の知事が批判した。いくら時代考証を徹底させるとはいえ、ドラマを楽しむ人は必ずしもそういう面ばかり気にして見るのではないという理由だ。



これはひとつの意見としてよくわかる。それを承知でNHKは時代考証を尽くす立場を採っているのであろう。韓国ドラマにも時代劇は多い。李朝の後期ならまだしも、高句麗の時代を描いたドラマでは、時代考証を徹底するにも肝心の資料がきわめて少ない。そのため、ドラマを見ていると、ほとんど噴飯ものの小道具が頻出する。だが、そういうことを気にしないのであれば、ドラマは毎回ハラハラドキドキさせられ、とにかく楽しい。そういう韓国ドラマのある種のいい加減さをよく知るので、NHKはその反対に可能な限り考証を徹底する立場を採るのだろう。だが、やはり限界があって、衣装や小道具など、それぞれの専門家が見ると、これはないだろうと声を上げたくなる場面がよくある。韓国ドラマは最初からそういうことを見越して、時代考証はそこそこにし、ドラマで何を訴えたいかを、つまり現代においてその昔のフィクション混じりの出来事が人々にどういう積極的な思いを抱かせるかを主な目的に制作している。それはもちろん簡単に言えば娯楽だが、それだけに終わらない、社会的にあるべき理念と言うべきものを感得させようとする。そこに儒教性が表われていて、それが日本とどう差があるのかが筆者の関心事だ。NHKの大河ドラマが清盛を取り上げるのは、去年3月の大震災を考えてのことであろうし、人々に前向きの力を与えることが出来ればとも考えているに違いない。だが、時代考証を徹底させる思いは、フィクションを可能な限り排除することに根底ではつながっているし、そうなれば、清盛がどういう生涯を送るかは誰でもほとんど知っていることであり、ドラマを制作して鑑賞する意義がどこまであるのかを思う。筆者はNHKの大河ドラマは見たことがない。昔の有名人を取り上げてもどういう結末になるかわかっているからで、ほとんど時間の無駄と考えるからだ。それならフィクションを楽しむ方がよい。それはより創造力を要する。そういう創造性にまた国民性が出ると思う。韓国ドラマは歴史上の人物を取り上げるにしても、フィクション性を大幅に持ち込む。兵庫県知事がそういうドラマを望んでいるのかどうか知らないが、兵庫が舞台になるドラマだけに、画面をもっと美しいものにしてほしいと考えるのは理解出来る。
●『祈りの国、近江の仏像-古代から中世へ-』_d0053294_1225363.jpg 清盛のドラマを枕にしてこれから話がどうつながるのかわからない。今夜は去年11月19日に滋賀県立近代美術館で見た展覧会について書く。2か月も前で、しかもあまり関心のない仏像の展覧会であるので、まともなことは書けない。当日は朝から雨で、出かけるのが億劫だったが、明日が最終日という会期最後のぎりぎりでもあり、また夕方からは金戒光明寺で波動スピーカーの音楽会があったので、用事を一度にたくさんこなすことが出来ると踏んだ。その日はJRで出かけた。そのため、家を出て渡月橋をわたって嵯峨に向かった。その写真をパノラマで載せる。美術館脇の県立図書館横のレストランで昼食、その後以前から気になっていた調べものを図書館で済まし、そして美術館に行った。調べものは京都の図書館にはない資料だ。さて、手元の図録を見ながら、展示された仏像を思い出している。最後の部屋にあった仁王像の二体が大きさから言っても特に印象深い。これは最初は近江の寺のものであったが、秀吉が伏見に移し、秀吉の没後にまた近江の地に戻った。そういう経緯を知ると、よくぞそれが眼前にそびえていると感心する。500年以上の歴史をこの二体は睨んで来た。そう思えば人間の生涯はまことに短く、この仁王像の前に立っただけでも雨天をついて出かけた価値があった。筆者は仏像の専門家でもまたファンでもないので、見所がわからない。造形的にどうかという感じはすぐに持つが、手を合わせて拝みたくはならない。そうそう、正月の1日は母の家に行ったが、途中のバスの乗り換えの際、背後の店のウィンドウ内に手を合わせた気彫りの置物があった。同じ形は河井合寛次郎も陶磁でよく作った。この手を合わせる形は今では造形作家があまり表現しなくなったものではないか。仏像にはそれがよく見られる。顔は個性が強くて好悪があるが、手は顔ほどに表現に差がなく、仏像の手を見るのはほっとするものがある。仏師も彫る際にそうであったのではないだろうか。手抜きをしたというのではない。その反対だ。顔のように個性が強く出ないものであるだけに、顔以上に神経を使ったと思える。そういう気配りが仏像の手、特に掌や指には見られる。それはともかく、手を合わせた木彫りはタイのもので、また現在も半お土産的に作られているものであろうが、それを思えばタイは日本以上に信仰の篤い国と言ってよい。筆者が今年最初に撮った写真がこのタイの木彫りだ。それに惹かれたのは、作品として美しく、またほしいと思ったからだ。そして、その一方で思ったことは、今日と、そして明日になると思うが、展覧会の感想をいつどのように取り上げるかであった。
●『祈りの国、近江の仏像-古代から中世へ-』_d0053294_12145659.jpg
 清盛の時代、天皇は武士の力を思い知って行く。そして、後鳥羽上皇が、武士を侮って起した承久の乱の失敗によって隠岐島に流されたのをきっかけに、世の中は武士の支配に変わる。上皇の荘園は没収され、また上皇についた貴族はみな没落する。そうそうまた思い出した。どの放送局か忘れたが、昨夜TVを見ていると、天皇の後継ぎ問題に関して、口数の多い、筆者の嫌いな御用評論家が、宮家を復活させ、そこから養子を取って天皇の後を継がせることが女性天皇を作ること以前にやるべきことと意見していた。宮家が戦後廃止されたのは、アメリカの圧力であり、日本の本意ではなかったという考えからだ。この宮家から天皇を出す意見にどれだけの人が賛成するのだろう。GHQの圧力でなくなったものを全部復活せよとその評論家は言いたげであったが、2か月ほど前の討論番組に出て、別の評論家に暴言を吐き、言葉の呂律が回らない醜態を晒していた。とうてい人格者とは言えないこういう人物が偉そうな顔をして出るので筆者はなるべくTVを見ないようにしている。それはともかく、承久の乱は万単位の兵が争い、しかも上皇のいる京都に雪崩れ込んであちこちに火を放つなど荒らし回った。国の上層部の一握りの者たちの争いによって被害を蒙るのは、いつも名もない庶民だ。仏像は人々の祈りのために彫られるもので、それに手を合わせて拝むことは、左右の掌がそっと一致するという象徴的な形からわかるように、何事も仲よくがよく、大勢の人が巻き添えを食らうような争いが起こらないようにと願うことも含まれる。八坂神社やゑべっさんに筆者が行って手を合わせて内心唱えた内容は、金が儲かりますようにとか、名が出ますようにとかいったことではない。ただ来年もまたこの場所に同じ思いで立つことが出来ますようにということで、簡単に言えば変化のなさへの望みだ。先のタイの木彫りも同じような願いを込めたものだろう。平穏無事であることのありがたさは、老いるほどに実感する。となれば、仏像への本当の関心や理解は、老齢になってから進むと思った方がいいかもしれない。いやいや、それは筆者が健康で、あまり不幸でもない人生を歩んで来た意見だろう。これもTVの話題だが、今日の午後、NHKで『小さな旅「ひと筆 よりそって~福岡県篠栗町~」』を興味深く見た。20代半ばで夫を亡くした女性が、巡礼者に無料で持ち返ってもらう色紙を30年ほど描き続けている。あちこちで目に留めた気に入った言葉に、虹と笑顔の女性のような仏像の上半身を描き添えているが、それがなかなかよかった。またその女性と話をするためにたまに訪れる30代半ばの女性は両親をなくしてひとり身で、お互い惹き合うものがあるのだろう。そうした人々が心のよりどころを求めて、仏教に帰依するというのではないが、何らかの願い、祈りに宗教が関与するのは古来事実であり、それが日本では神であり仏であった。
 ようやくこの展覧会について書く番になった。滋賀県の各地にある仏像をこの美術館に集めて展示することは10年に1回は行なわれている。奈良には奈良国立博物館がその役割を果たしているが、滋賀はひとまずこの美術館くらいしかふさわしい場所がない。美術館内の明るい部屋で仏像を見ると、拝む対象としてよりも、作品として見る思いが勝る。それはそれでまたいい。作品としての質が高ければ、ありがたみも増すから、仏像が白日のもとに晒されるのはいいことだと考える向きは多いだろう。だが、その作品としての質というものが、客観的に下せることが出来るだろうか。美人の基準が人によって微妙に差があるのと同じで、いくら名品と呼ばれる仏像でも、あまり気に入らない人はある。となれば、そうした名作をひとまず基準とし、それに比べてある箇所の均衡がやや崩れている、あるいは個性的である場合、それは名作より劣るとみなすことは正しくないことになる。その欠点らしきところによってその仏像の持ち味が発散しているのであれば、それは基準作とは比較が出来ないそれなりの名作ということになる。そして、この個性を優先すると、名作と呼ばれるものが逆に面白味のない作になったりする。つまり、仏像が作品であるならば、どのような分野の作品とも同じようなことが言えるはずだ。また、仏像は木彫りもあれば鋳造もあり、制作技法によっても見所が違うし、いつ作られたかという時代性も魅力を左右する。それに、人々の信仰を得ながら風雪を耐え抜いて来て、現在眼前にあるという、その奇蹟とも言えるありがたみが、人々の祈りの歴史に重なって迫って来る。さきほど図録の解説を読むと、平安時代から室町時代までの在銘像を主に展示するとある。ざっと読んで筆者は半分も理解出来ないが、だいたい4つに分けて書かれている。まず、地域社会の偶像の受容の観点から神祇信仰の問題を取り上げる。神祇信仰は今で言えば、筆者が八坂神社やゑべっさんで拝むことを含むが、仏教が入って来る以前にあった信仰だ。仏像にそうした神祇信仰が見られる作例が、最初に数像展示された。どれも紛れもない仏像だが、神社に安置されて来たもので、神仏習合の面から考えるべきものだ。次に、10世紀から始まる比叡山延暦寺の各地への進出だ。これは説明が不要だ。3つ目として、延暦寺の進出後、主に13世紀には地域に根づいた仏像が生まれたことを書く。これは像の内部の銘記や納入品からわかることだが、仏像を作って寺に納めた人たちは家族がいくつか集まった縁者たちだ。それだけ人々は祈りを中心とした暮らしを営んでいたことになる。4つ目は13世紀後半から14世紀にかけて寺院の復興、中世社会に適合する寺院の再生が行なわれ、それに伴なって新しい仏像が生まれたことを取り上げる。寺院の復興というのは、承久の乱などを思えばよい。寺が焼かれても、人々はそれを元に戻そうとし、さらには以前よりもっと立派なものをと願った。
by uuuzen | 2012-01-12 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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