●嵐山駅前の変化、その169(駅舎から広場、桜の林)
さんというのは何歳から言うのだろう。翁というのは還暦を迎えれば使っても様になると思うが、筆者は2,3年前からそれを使いたく思った。今年還暦を迎えたからもう堂々と使ってもいいだろう。



自分を翁だと思ってしまうと、何だかすっきりする。1年ごとに確実に老けて行くのがわかるが、それを言えば何歳の時でも同じで、20歳と21歳、21歳と22歳では違う。その頃はわからなくても、他人からは微妙にわかる。また、老いるほどによくわかる。その頃を辿って来たからだ。それで思うのは、70、80、90になった時のことだ。疲れが増し、ボケ度も比例して増大、何もいいことはない。だが、20歳でも人によって若さがさまざまであるから、老いるほどにもっとそうなる。こんな老いる話ばかりでは書いても読んでも楽しくないので、なるべく避けたいが、昨日書かなかったことを今日はやろう。先日妹の家に行った時、リビングに老人Hさんが座っていた。会ったのは10年ぶりだろうか。近所の人で、妹とは昔からの知り合いだ。Hさんは今年95歳という。とても元気だ。まだ自転車に乗ってあちこ行くらしい。手先が器用な人で、細かい細工物が得意、新聞のチラシを利用していろんなものを作る。それは筆者の母も同じで、とにかく何か手を動かすかしていなければならない性質だ。筆者もそういうところがある。手先の器用な人はボケにならないかと言えば、そんな保証はない。だが、手は頭とつながっていて、細かい作業をすると、頭がよく働く。その意味でボケは遠のくだろう。そんな感じはする。特にHさんを見ているとそうだ。さすがにもう95なので、耳が遠く、目も充血して悪いようだが、意識ははっきりしている。もともと賢い人で、子どもたちはいい学校に進んだようだ。温和で律儀な人柄で、誰からも好かれる。そのHさんは、妹によればここ1週間ほど、全く眠れないという。心配事が生じたのだ。そして、それを妹に話しに来るが、妹は耳を貸すだけでどうすることも出来ないといった様子。ついには弁護士を雇って裁判に持ち込もうかといった話まで出ているのだそうだ。そこで、困っているHさんの話を聞くことにした。Hさんは何やら奉書のような長い巻紙に領収書のようなものをびっしり貼りつけている。それと、そしてパソコンで印刷した手紙を見てほしいと言う。まず手紙を読むと、それはHさんの先祖が眠る近くの寺に毎年納めている護持金と墓の守り代の請求だ。しかも6年前のものが未払いになっているので、それを払ってほしいと書いてある。
 Hさんは、自分は毎年そのお金を滞らせたことがなく、6年前の1年分を支払っていないことはあり得ないと言う。ところが巻紙に貼りつけた領収書を見ると、6年前の分が2枚ない。それではいくら頑張ってもHさんには分がない話ではないか。ところがHさんは確かに払ったはずと言う。そこで手紙をじっくり読むことにした。この手紙は住職が書いたが、2枚のうち後半は寺の台所の苦しさを書いた一種の弁明で、Hさんの件とは無関係だ。大事なのは1枚目だが、これが実にわかりにくい。Hさんが理解出来ないのは無理もない話で、筆者は2回読んでようやく意味がわかった。それをまとめると、6年前、確かにHさんからお金を受け取ったが、奥さんが帳簿を間違えて、次年度の領収書をわたしてしまった。それまでは年度末払いであったのが、領収書の間違いにいつ気づいたのか知らないが、寺側は、いわば勝手に年度始め払いに切り替えた。となると、6年前の時点で寺はHさんから3月末に2回もらわねばならない。今まで後払いしてもらっていた分と、次年度からの先払い分だ。それをなぜ寺はHさんに言わなかったのか知らないが、今年になってその6年前の2回分のうちの1回分を支払えと言って来たのだ。Hさんにすれば毎年ずっと3月末払いで通して来たし、記憶では6年前に2回分を請求されたことはないようだ。なぜ6年も前の分を支払えと言って来たかの説明、つまり上記のことをHさんに言うと、即座にそれは納得した。だが、それならそうで6年前に言うべきであるのに、今頃とは何か、その理由を説明してほしいと言う。そこまでは筆者にはわからない。ともかく、寺が間違って領収書を切ったのであるから、それを機に勝手に年度始め払いにするのは檀家は納得出来ないだろう。一番いいのは、領収書を書き変えることだ。6年前の分が抜けているというHさんの貼りつけた用紙を持参し、年度の数字を順に1ずつずらして訂正印を押せばそれで済む話だ。またそれがもっとも合理的かつ親切で、急にある年から年度始め払いにしたので、その年だけ2年分寄越せとは、話がつごうよ過ぎる。そう考えた筆者は、Hさんを連れて寺の住職に直談判しに行くことにした。早速Hさんは案内してくれた。徒歩5分ほどだ。
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 寺は大きくない。それに老化が激しい。手紙の2枚目の泣き事は理解出来る。あいにく法要があって、出直さねばならない様子であったが、奥さんが取り次いでくれた。筆者と同じほどの年齢だろうか。知的な顔の住持だ。簡単に自己紹介し、要領よくこちらの思いを伝えた。つまり、Hさんは毎年1回長年払って来て、そのことが習慣づいている。そのため、また95という高齢でもあって、そちらのつごうである年から先払いと言われるのがどうにも理解が出来ない。領収書を切り間違ったのは仕方ないとして、そのことを契機に前払いしてもらうというのは、支払う側にすれば納得しにくいことで、今までどおり、年度末払いの形にしてもらえまいか。そのためには、この6年分の領収書の年度を1年ずつ遅らせて記入し、そこに訂正印を捺すだけでいいはずで、それはこの場でもすぐに出来るのではないか。この話に即座に住持は納得し、笑顔でそうしましょうと返事した。ところが、傍らのHさんは、納得出来ない様子。6年前のものをなぜ今頃支払えと行って来たのか、そのことを説明しろと迫る。いつものHさんとは違ってかなり興奮気味だ。法要の客が本堂にいるので、そのまま話を続けては悪いので、Hさんを促してその場を引き上げることにした。出かける前、同じ質問をHさんは2,3度繰り返すので、筆者はこう意見した。おそらく寺は6年前にHさんに言ったが、なぜその年に限り2年分を支払わねばならないのかと疑問に思い、そのまま放置した。あるいは寺がHさんの懐を考えて、つまり親切心から請求をしばらく見合せた。それがいつ支払ってもらえばいいかと迷いながらも、6年も経てば積み立てたとしても1年当たりわずかな金額になるので、それで今年になって請求したのではないか。ところが、寺の肩を持ったようなその意見にHさんは耳を貸さなかった。あるいは、そこまで考えるのがもう面倒になっているのだろう。今回のこの件でHさんは寺に詐欺だと言ったようだ。寺はそれに反撃して手紙を書いて来た。それが先の2枚で、そこには、「理解出来ないかもしれませんが」とか「詐欺だと言われて悲しい」という文章があり、ていねいにもその下に波線を引いてあった。だが、Hさんの言う詐欺はHさんの側に立てば理解出来る。年1回支払うべきものを、ある年だけ2回というのは、どう考えておかしい。しかも寺の間違いが原因ではないか。Hさんは、自分はもう95で、来年は死ぬと思うから、それを察知した寺は早く6年前のものをほしいと思ったのだろうと言う。今までどおり年1回後払いであれば、Hさんにすれば来年の3月末に支払い、来年度中に死んで、もう1回分は支払わずに済むと考えているようだ。
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 寺も経営に苦しいのはわかる。特にその寺は檀家が貧人ばかりで大変らしい。曲がったことの嫌いなHさんは、寺のそんな事情はさておき、納得の行くことを聞かせてほしかったのだ。弁護士まで雇って裁判すると言うほどに思いつめ、全くの寝不足にまでなってしまい、わずかに話を聞いてくれる妹に毎日のように会いに来ては同じ話をしたらしい。妹は妹で忙しいので、事情はよくわかっていたが、どうすることも出来ないと思っていた。そこで筆者が10年ぶりに会って、すぐに寺に談判に行ったのだが、帰り道のHさんはがらりと雰囲気が変わって晴れ晴れしていた。そして、10分後にまた妹宅にやって来て、手作りの品物を3つほどくれた。いずれも新聞のチラシで作ったカラフルな小物入れだ。同じようなものは母が大量に作って、置き場所に困るほどであるから、ありがた迷惑だが、それを言えばHさんに悪いので、笑顔でいただいた。Hさんはそれを手わたした後、久しぶりにパチンコしに行くと言って自転車で去った。老いるとちょっとしたことで心配して夜も眠られなくなる。人生にはそういう揉め事は地雷のようにたくさん待ち受けているし、筆者も何度もそういうことに遭遇した。だが、どうにか処理し、そうして揉めた人とは仲よくなっている。こっちの態度がよくわかったのだろう。気の合わない人と仲よくなるには年月がかかる。仲よくする必要はないが、道で会ってお互いいやな思いをするというのは精神衛生上悪い。したがって、筆者には現在そういう人はいない。正確に言えば、先週はある人に注意した。数年の間悩まされ続けていて、一度町内会議で意見し、本人も理解したのに、馬耳東風のまま同じことが続いた。他人への迷惑を考えない馬鹿野郎がどこにでもいるものだ。ところが、そういう連中に限って、どこそこの偉いさんと自慢を吹聴している。全くの笑い者になっていることを自覚せず、人を見下げるボケがいることを信じたくないが、現実にいるのであるから仕方ない。だが、先週は頭に来たことがあった。それで言いに行った。それで一応は態度が改まったが、またほとぼりが冷めればわからない。いつでもヤクザ言葉で怒鳴ってギャフンと言わせる用意はあるが、何しろ自治会長であるから、あまり下品は許されない。だが、そんな常識の片鱗もない相手には、そこそこ脅し的な言葉でないと通用しない。それでも、そんな例外以外にも、挨拶を返さない人がたまにある。そして、そういう人がまた地元ではかなりの有名人だ。ところが、不思議なもので、筆者が「なんやこいつ」と内心思っている人は、必ずと言っていいほどあちこちで悪い評判を聞く。それが面白い。人はよく人を見ている。あたりまえのことだが、常識というものがまだ働いている。昨日に続き、去年大晦日の写真を、3枚掲げる。
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by uuuzen | 2011-11-27 23:51 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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