●嵐山駅前の変化、その168(脇道、円形階段)
けという言葉は侮蔑語であろうが、病気でもある老人の痴呆にも同じ言葉を使う。これをどうにかせねばならないという思いは昔からあるようだが、なかなかいい言葉がない。



今では「気違い」という言葉も禁句になって、本を読んでいてその言葉が出て来ると時代を感じる。「呆け」も禁句にしようという動きがあるのかないのか知らないが、他に適当な言葉がないようで、NHKでも「ボケ老人」という言葉を平気で使っている。これを「アホ老人」とやると、また違ったニュアンスが生まれるが、こっちを使うと何と言うか、もう終わってしまっている雰囲気があって、それはそれで面白い面もあるが、発する方も勇気がいる。NHKの女性アナウンサーが、「アホ老人が徘徊して事故に遭いました」などと真面目な顔で話すと、超現実主義的な光景が生まれて、それを思いつめると、こっちまで頭がおかしくなりそうな気がする。先日誰と話したか忘れたが、ボケ老人は自分のしていることがわからないから、傍迷惑なだけであって、本人はどおってことはないだろう。あるいはストレスもなく幸福かもしれない。ならばボケは自然が与えた恩恵で、そういう人を見て眉をしかめるのはおかしい。むしろありがたい姿だと拝むべきではないか。だが、一方ではこう主張する人もあろう。幸福は不幸があるから感じるものであって、不幸を感じないボケた人は幸福も感じない。そう言われるとなるほどと思うが、それでも不幸をすっかり忘れた状態が持続するのであれば、それは天国にいるような幸福ではないか。ただし、長年連れ添った配偶者に「あなた誰ですか?」などとボケられてしまうと、ボケていない方はつらいことこのうえないだろう。ボケるのが恐い、いやだと思っている人でも自然にボケて行ってそのことに気づかないのが実情だろう。そう考えるとあまり長生きはしない方がいいが、いつまで生きるかは誰しもわからない。だが、老いるほどに面白いことがなくなって、死にたいと考えるほとが増えるようだ。そう思わなくても刻一刻と死は接近しているから、慌てることはない。最近母親が同じことをくどく言うようになって来たが、至って元気でしかも記憶もいい。今日は妹が電話で母は90までは生きるだろうと言っていたが、勘違いや物忘れの度合いが以前より目立って来たことを気にしていた。その勘違いは、筆者も知っているが、それなりの理由があって、全く問題ないと思っているが、ボケとまでは言わないが、少しずつついさきほどのことを覚えにくくなっているのは確かなようだ。そして、大昔のことをよく思い出し、筆者が今まで聞いたことのないような話をたまにしてくれる。
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 そおれはさておき、筆者もよく勘違いや物忘れがある。最近はあまりに忙しくて、そういうことがままある。たとえば昨夜の投稿は写真を2枚載せるつもりで20日の晩に加工した。ところがそれがどこにも保存されていない。2階に置いているXPのパソコンで加工し、そのままヤフー・メールに貼付して自分宛てに送信したが、そのメールを3階のWIN98のパソコンで開いてこのブログに載せるつもりであったのが、メールはこまめに削除するので、一昨日他のものと一緒に消してしまった。TWITTERの投稿はXPのパソコンでしか出来ないが、文章を書くのは今こうして使っている98のパソコンで、書いたものをこのパソコンから自分宛てにメール送信し、そのメールをXPのパソコンを通じて投稿する。つまり、自分宛てのメールを毎日よく送信しながら、それを1、2、3階の別のパソコンで開く。そんな作業をしていると、ついついメールの内容を確認せずに消してしまう。昨夜はいくら探しても出て来ず、今朝になって一昨日消したことを思い出した。それで早速XPのパソコン内部を1時間ほどかけてあれこれ調べ、消えたファイルの復元に努めたが、完全に消えていた。もうひとつの手は、カメラの記憶媒体に残っている可能性だ。それも手を尽くしたが、現在のところは復元出来ない。現在のところと言うのは、まだ確認していない方法があるからだ。それをすればひょっとすれば復元出来るかもしれず、そしてそうなれば昨夜載せられなかった2枚を、誰も気づかない間に載せることにする。それにしても、そうしょっちゅうメールを削除しなくてもいいのに、不要と思うものはどんどん捨てる。これが実際の物であればそういうことはないが、パソコンで見る画像というものはありがたみがない。添付ファイルつきメールは、添付のクリップ型の記号がついているので、TWITTERの投稿文とは違って重要なものだと気づかねばならないのに、それをうっかりしたのは、やはりボケが少しずつ接近して来ているのだろう。そういうことにしておけば、ボケがあまり恐くない。家内から一昨日聞いたが、大学ではとっくに定年退職した名誉教授が、汚れた作業服のような格好でやって来て、「授業はどこの教室でしたか?」などと訊ねるらしい。つまり、ボケているのだが、ボケなかった頃を知っている家内は、その姿を見るのが辛いらしい。大学で教えることだけが生甲斐であった人が、その役割を終えた途端にボケ始める。筆者はひとりで仕事して来たので、今後も同じように暮らし、あまりボケる心配はないと思うが、それでもこればかりはわからない。こんな文章を書いたことも忘れ、家内に「あんた誰です?」などと言うようになれば、家内はどうするだろう。今日はボケの枕で別の話題にするつもりが、また思わぬ話になった。予定していた話は明日にでも。今日の写真は去年12月31日の2枚。同じ日の写真はもう2回分ある。雪景色でなかなかいいではないか。去年の大晦日がこんなに雪であったことはとっくに忘れていた。
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by uuuzen | 2011-11-26 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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