●嵐山駅前の変化、その163(ホテル)
除するはずが、今日は全く手つかず。その代わりに大きな掛軸を下げたことのない場所に吊るしてみた。昨日は、収納に困っていた掛軸の大半をどうにか安全な場所に移すことが出来た。



これも場所が二分しているので、どれがどこにあるのか正確にはわからない。また昨日は、何年も部屋の片隅に置いていた扁額風の額入りの絵を、埃をすっかり払ってかける準備を整えた。わが家ではそれにふさわしい壁面がひとつだけ残されていて、そこにかけるつもりでいるが、そのための金具があちこち探してもない。それを買うために自転車でホームセンターに走る必要がある。最近空気入れを買ったせいか、自転車がよく活躍する。だが、今年1月に亡くなったMは、お姉さんの電話によると、自転車に乗っていて骨折事故をして、右手と目の片方が不自由になっていたそうだ。筆者も自転車はよくよく気をつけねばならない。日が暮れてからは絶対に乗らないが、それはあまりに古い自転車でライトが点灯しないためだ。それはともかく、部屋の模様替えを少しやると気分が新たになる。買ったのはいいが、そのままになっている物があまりに多く、絵画にしても大半は買ったままの状態だ。先の横長の絵も20万円以上したが、それを埃が積もるままにしているのであるから、家内が不満を言うのも無理はない。20万あれば、新しい薄型のTVは楽に買えるのに、毎日見るTVはまだ14型のテレビデオという始末で、金銭感覚に異常を来たしているのだろう。贅沢とも言える買い物が1点や2点ならまだしも、自分でもわからないほどあれこれ買い込んでいて、たまに引っ張り出して眺めてはうっとりしている。それに、飾るにふさわしい部屋があればいいが、これも凝る方では全くなく、倉庫の中で暮らしているようなものだ。去年だったか、甥のお嫁さんがわが家に初めて来て、3階に上がった途端に悲鳴を上げた。想像を絶する雑然さで、よくぞそんなところで作品を作ったり、こうして毎晩ブログを書いていられると思ったのだ。だが、昨日TVで不自由な家をリフォームする番組を見ていて思ったのは、どの家も1000万かそれ以上のお金をかけて、確かに美しく、便利に、また見栄えよくなるのはさすがだが、そうした普通の人の家で共通するのは、主人の書斎がほとんどないことと、あっても本が少なかったりすることだ。それは趣味の問題で、誰にとっても必要ではないが、筆者は自分の空間がなければ耐えられない。そうそう、先日、自治会の配り物をしていると、わが家の町内のある男性がまだ赤ちゃんの孫を自転車の前に乗せて走っているところを見かけた。年齢は筆者より2,3歳下だが、最近定年退職したようだ。そして、孫の面倒を見るという、ゆったりとした生活に入った。そのことを家内に言うと、まだ60前の男の人が1日中孫の世話とは冴えないねと言った。同感だ。孫の成長を見るのはそれはそれで楽しみだろうが、もっとほかにやりたいことがないのだろうか。その意味で筆者は死ぬまで自分のやりたいことがあり過ぎて、孫などどうでもいいと思っている。これは、息子があまりに頼りないので、結婚は無理であろうから、孫を抱くことは諦めていることにもよる。孫のたくさんいる人は、孫のない人を憐れむだろう。そして、いつまで忙しく儲かりもしないことで時間を使っていると見下げるかもしれない。
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 定年というのは、会社勤めをしている人でなくてもあるということを昔からぼんやりと思ってはいた。目がかすみ、手が震え、感覚が時代遅れになると、自然と時代から取り残される。本人は現役のつもりでも、とっくに昔の人間になり果てている。したがって、筆者がいくらあがいても、もう定年を迎えていて、今さら何がどうなることでもないと腹をくくった方がいいのかもしれない。とはいえ、自分ではまだ10数年は現役のまま仕事をしたい。その仕事は、どこかに働きに行けば給金がもらえるということがないので、本当は趣味みたいなものだが、どう呼ぶにしても、やっておきたいことはある。それどころか、まだ自分は何も本当にこれだというやりたいことを実現していないように思う。うかうかしている間に60になってしまった。昨日家内は、散髪して10日ほど経った筆者の頭を見て、「頭の地肌が見えるようになって、全体に髪が少なくなった」と言ったが、そう言われると、今日のムーギョ行きは、風に当たって頭が寒かった。昨夜は大阪市長選の戦いをTVで見ていると、現在の市長が62歳で、後ろ頭が河童のようになっていた。筆者はそうなる血筋ではないが、60代とはそんな年齢であることを再確認させられた。市長になりたい人はなり、孫の世話をやりたい人はし、筆者のように何をしているかよくわからない者はいつまでそのようにして生きていいのが人間で、それは幸福な姿と言うべきだろうが、世の中は、好きなことだけしている贅沢な人がどれほどいるのか。昨夜のTVでは、東日本大震災から8か月経っての被災者のその後を特集していて、仮設住宅に住む世話焼きの頼もしい人が自殺したことを伝えた。幸福な人生と思っていても、いつ何時それが崩壊するかわからない。海の底には津波で沈んだ瓦礫が、汲んでも汲んでも際限なく存在する。それらのゴミはかつては幸福な家庭を形づくっていた。人間の生活を形成する豊富な物の末路を思う。こう書くのは、実は先週八尾の家を母や妹夫婦と一緒に整理に行ったからだ。大量に出て来るかつての母の生活上の細々とした物を見つめながら、母はどれもこれも思い出があって、そのまま捨てるにしのびないと言った。他人にはどうでもよいガラクタだが、手元に置いて使っていた本人には思い出がたくさん詰まっていて、人生のかけらなのだ。そういうかけらが集積して人の生があるが、物は津波で海の底に行くか、あるいはゴミとして処分されるか、いずれは消える。そんなことを思いながら、一方で20万以上の横長の絵をどこにかけようかと思案している。Mは高価な機器をいくつか所有していたのに、お姉さんはその価値がわからず、全部まとめて誰かにあげた。処分するにも金がかかるからだが、誰かが喜ぶならMも嬉しいだろう。ただし価値を知り、大事に使ってくれるのであればだ。その反対に、もらったものをさっさと換金することを考えるでは、生きている間に愛着のある物の行き先を考えておいた方がいい。とはいえ、生きている間に愛着のある物が手を離れるのはつらい。母と同じように、どんな小さなもので、好きで手元に置いたのであるから、それらに囲まれていたい。ただし、それが物理的に無理であるのが世間だ。先の家のリフォーム番組を見ると、そのことがよくわかる。さて、いつ筆者はそういう世間並みの物を極力少なくする生活に入るだろう。今日の写真は去年12月18日のもの。
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by uuuzen | 2011-11-14 23:57 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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