●嵐山駅前の変化、その162(ホテル)
を思い切り打ちつけて血が出てしまった。今日は3階の大掃除をやった。1日ではとても終わらず、後2日は必要だ。なぜ大掃除をしたかだが、その最大の理由は後日に書く。



額を打ったのは、屈み込んでステレオの配線を調べていて、頭を上げた拍子にスピーカーの尖った角で左のこめかみの上を打った。その痛みはこの10年ほどは経験したことのないもので、血がしばらく止まらず、えらく晴れ上がった。もう数センチずれていると、瞼を打ち、眼球が破裂していたかもしれない。自分の不注意であるから仕方がないが、注意が散漫になる理由はあるかもしれない。このブログには書いていないが、筆者にとっては大きな出来事が進行中で、人生の転換期をつくづく感じている昨今だが、そのひとまずの忙しさは今月いっぱいは続くだろう。それはさておき、大掃除をすると気分がよい。まだ雑然とはしているが、部屋の半分はどうにか格好がついた。以前に書いたと思うが、半年ほど前か、本棚が本の重みで棚が折れた。その棚は幅120センチほどあって、鉄板が入っているが、左右の端はベニヤ板を木片に貼りつけてあって、強度は弱い。その木片部が破損したのだ。1枚だけならまだしも、4段あるうちの上から2段目が破損して落下し、3段目を圧迫、その重みで4段目も壊れた。この3枚の棚に乗る本は合計で300冊ほどか。もっとかもしれない。小説などの単行本なら重くはないが、アート紙の図録が中心で、300冊を床に下ろして棚を外し、それを修理するなどする気はとても起こらない。そのため、部屋に家内以外誰も入れないこともあって、そのままにしていた。ただし、圧迫されて取り出せない状態では、本にとっては全くよくない。今日は思い切ってこの壊れた棚の整理をし、そこにあった本は床に積んだ。元通りに並べることは、棚が壊れているから出来ない。床に積むと、かなりの量で圧迫感がある。とはいえ、それはこの部屋にある一部だ。一部であるので、床に積んでもいいかと思った。隣家にもこの部屋にあるのと同じほどの図録、あるいはほかの書物が床を占領している。自分でも何がどこにあるか正確にわからない。本は全部背表紙が見えるように棚に立てて並べたいが、筆者は所有する本の半分かそれ以上は積んでいる。それもあちこちに散在しているので、目的のものを探す時は往生する。ずっと探している本があるのに、出て来ない。また、先日は重要な1枚の資料が、あるべきところになく、今探し続けている。どこに収納しなのか記憶になく、大いに困っている。そういうことになるので、整理する必要を思った。本だけではなく、今日はCDもあちこにあったのをなるべくまとめた。なるべくと言うのは、1か所に集める場所がないからだ。筆者は何でも1か所にまとめることが出来ないほど、物が多い。1階には伏見人形を置いている棚がある。家内は人形に積もる埃をしばしば1体ずつ取り出して払うが、筆者はそれを見ながら、飾っているのは半分で、まだ一度も飾ったことのないものが隣家にあることを思う。それらも一堂に並べたいのに、その場所がない。筆者の夢は、本はすべて本棚に分類収納して、全部の背が見られるようにし、またCDやLPも同じ、伏見人形もそうで、その他の資料もいつでも引っ張り出せるようにすることだ。そのために隣家を買ったが、よく考えてみると、隣家にはすでに今いるこの家と同じほど本やその他のものがあるので、1軒にまとめることは無理だ。となると、ぼつぼつ処分して行くべきだろう。ところが、先日はまた本を買い、その癖は治る気配がない。
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 本やCDのほか、オーディオ装置の整理もした。ちょうど電化製品の回収屋が通りがかったので、いろいろとまとめて出した。そのため、かなりすっきりした。これでCDデッキを買う気になった。今日は並べ直したスピーカーでLPを何枚か聴いた。やはりパソコンからのちゃちな音と違ってよい。大きなステレオ装置で聴きたいと思ったのは、昨夜あるCDを聴いたところ、鳴るべき音が聞えない。おかしいなと思ってその曲を何度か聴き直したが、筆者が記憶する音がない。あるいは全く別のものに変わっている。スピーカーが安物過ぎるのだ。これでは耳にも精神的にもよくないと思い、今日は久しぶりにステレオを鳴らしてみようと考えた。ただしCDは聴くことが出来ない。それでまたパソコンで聴くが、先日書いた光るスピーカーは気に入っている。スピーカーはみな四角でいかめしいデザインだが、これは本当に面白くない。省エネでうるさい世の中であるので、光るスピーカーなど、邪道と思われるが、筆者は好きだ。音のいい高級なスピーカーで、しかも派手に光るものがあればほしいが、そういうものは作られない。光は音のよさには悪いと思われているのだろうか。筆者がいやなものは、薄型のTVだ。これはスイッチを入れていない状態では真っ黒だ。そういう真っ黒な横長の大きな画面が部屋を占領しているのは、何だか不吉であり、デザイン的にも最悪だ。そう思わない人は感覚が麻痺している。壁に真っ黒な絵を飾ることを好む人がいるだろうか。現在の技術によって、スイッチを切っている状態で、ほかの色にすることは可能だろう。そういう発想がなされないのはなぜか。ステレオの大きなスピーカーは、部屋では存在感があるので、ぜひとも色鮮やかに光るとか、デザイン的に固定観念から逸脱したものがほしい。だが、筆者は古いスピーカーを使っているから、そのような大きくて無粋なものであって、今では性能がよいのにコンパクトなものがたくさん出ているのだろう。さて、今日は去年12月17日のホテル建設現場だが、一昨日の写真の補足説明をしておく。GOOGLEからダウンロードした画像であったが、そのうちの1枚に、タクシー会社の四角い錆びた塔と、そのてっぺんに赤と緑のガラスの玉のようなものが見える。これは2009年12月、花灯路の会期中の撮影だが、2010年3月下旬に撤去された。このガラスの玉が何のためにあるのか、筆者は長年気がかりであった。長年とは嵐山に引っ越して以来だ。撤去される寸前、タクシー会社に勤務する人にそれについて訊ねた。その赤と緑は信号で、タクシーの入庫状況を把握するために点灯させたとのことだ。だが、遅くても25年前にはもう壊れていた。あるいは操作されないようになっていた。その赤と緑が青空に映えている状態はなかなか目を引いて、筆者は好きであった。それで、それが撤去されるようであると感じた時、どうせ塔を撤去するのであれば、そのガラス玉を割らずに、筆者がもらえないかと頼んだ。その結果、今は筆者の手元にあるが、さて、これをどう利用して飾ったものか。人の頭ほどの大きさがあって、部屋にオブジェとして置いてもいいが、家内が許さないだろう。それで今は隣家に置いてある。ステレオのスピーカーに被せて、音が鳴るたびに光るというものに出来れば理想だが、電気の知識が必要だ。
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by uuuzen | 2011-11-13 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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