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●『愛する人よ』
八分目が何でもいいが、この八分目は、個人によって思いが異なる。たとえば、食事のたびに米粒を10ずつ増やして行くと、数か月後にはその多くなった量が普通になり、それからさらに量が増えてもそれをおかしいとは思わなくなる。



これは肥満という形で外見からわかるし、また健康診断でも体内の異常が見つかる。八分目は体の問題だけと思っていると、さて精神面ではどうか。貪欲は謗られても、精神的な飢餓はそうは考えられない。それどころか、懸命に読書し、研究やそれに似たことに勤しむのはよいこととされる。それは趣味でもいい。植物を育てたり、大工仕事をしたり、料理をしたりなど、どんなことでもつきつめて行くときりがなく、やがてその道の専門家と呼ばれるようになる。そうした人物は、その携わっていることに対して腹八分目を知らない。人間の胃袋は大きさに限界があるが、頭の方はいくら頑張っても脳細胞を使い切るということがない。つまり、八分目でいいという意識は、食べること以外には働かない。それがいいのかと筆者は思う。そう言う筆者も、腹は八分目で充分満足満腹だが、そのほかの自分の好きな行為に関しては、八分目の限度がわからない。だが、他人と比べることで、平均的な一般人より凝り性だが、その道の専門家に比べると足元に遠く及ばないことをよく知っている。ある道で八分目を守った方がいいと仮にわかっていても、先に書いたように、当人は限度を知らないし、短い人生の中で、好きなことにはとことん時間を費やして専門家のレベルにまで達することは、同情に価する話だ。そういう人がどの世界にも少しずついて、世界全体が少しずつどこかへ動いて行く。したがって、精神的な面での腹八分目など意識して、人間はやりたいようにやればいい。腹八分目は、いつも満腹では体に悪く、寿命を縮めるからであって、精神的には八分目など守っていると、何もモノにはならない。こう書きながら、それでも精神的な腹八分目もあるのではないかと思わないでもない。それは残り二分の余裕を残しておくことで、その専門分野での仕事もかえっていい結果を得られるのではないかと考えるからだ。また、自分のやっていることに全体的な信頼を置くと、それが傍目には暴走に見えることがある。実際科学者はそういう行為に陥りやすい。人類の進歩のためといいながら、本当は自分の腹八分目がわからず、異常なことに邁進する。二分の余裕がないため、自分や自分の仕事を他人の目で見つめられない。世間ではこれを専門馬鹿と呼ぶが、精神的な腹八分目を知らないためにそういうことになる。なぜこんなことを書いているかと言えば、半分はここ数日少し食べ過ぎて腹九分目になっていることと、もう半分は、専門馬鹿になり続けようとするのは、老いや死に対する抵抗としては最も効果的であるからかと思うからだ。たとえば収集に執念を費やす人は、死ぬ寸前まで手に入らないものをほしがるであろう。それを途中で諦めていては第一人者にはなれない。
 さて、今日は何について書こうと迷いながら、先頃2週間前にKBS京都で終わった韓国ドラマについて書いておく。先日新聞のTV番組欄を久しぶりに見て驚いた。どの衛星放送でも必ず韓国ドラマを放送している。これほどとは思わなかった。それにどのドラマも筆者の知らないものだ。韓国ドラマも『冬のソナタ』のブームから始まって、今は第2か3期に突入している感がある。とても筆者は最新のものには追い着けず、映画で言えば2番館のようなKBS京都の放送で充分満足している。それどころか、同放送局でやっている韓国ドラマを全部見ることすら出来ない。そう毎日違うドラマを見続けては、話がこんがらがるし、せいぜい2本を並行して見るのが限度ではないか。その方が味わい深い。次の放送を待つ時間も必要だ。その待ち時間がまた楽しいというのでなければ本当に面白いドラマとは言えない。その伝で行けば、恋愛もそうか。会っている時は楽しいが、会っていない時に相手のことを思い浮かべることも楽しい。夢中にさせる何かはみなそういう四六時中捕らえて離さない魅力がある。それで、今日取り上げるこのドラマは、かなり地味で、来週の展開が楽しみというほどではなかった。では惰性で見たかと言えばそうでもない。ただし、最初から主人公がどうなるかは見えている。それは韓国ならではの倫理感と言えばいいが、愛や信頼を裏切った者は必ず最後は悲劇を迎える。そういう展開に飽き飽きしている幸福な人は、このドラマを見ても楽しくない。また、ドラマという作り話であるから、みんなが予想する結末とは正反対にすることも可能だが、そうすれば批判が大きい。また仮にそういう結末が現実的であるとして、ドラマを見る人はそういう現実を改めて見たくなく、やはり理想的と思える形で終わらせる必要がある。そこがドラマ制作の難しさで、わかり切った結末を、いかに退屈させないで描いて行くかだ。その手法を、韓国ドラマは巧妙にいくつもの要素の助けを借りて練り上げて来ている。それがいつマンネリに陥るかは、韓国の国民の生活や嗜好が大きく変化する時だろう。そして、そういう時代は必ずやって来る。日本も60年代はTVドラマが面白かった。それがそうでなくなったように、いつか韓国ドラマも終焉を迎える。そうなった時、いつの時代が一番輝いていたかと認識されるかと言えば、ちょうど20世紀の終わりから21世紀に入ってからの、全体としとて20年ほどの間ではないだろうか。韓国国民の生活がここ30年ほどで劇的に豊かになったのは誰しも知るが、そういう社会になるに及んで歪も出て来るし、またその歪の中でもがく人間像をよく主人公にしてTVドラマが作られる。いや、ほとんどがそうしたことを主題にしている。その主題とは貧富の差だ。それはいつの時代でもどこの国でもあるから、その意味で韓国ドラマはどの国においてもそれなりに歓迎されるであろう。また、現実とドラマは違うのは確かでも、現実はドラマが描くように、勧善懲悪で動き、そのような結果になっていることの方が多く、ドラマによって現実と、その理想とする社会の姿の双方を再確認するに過ぎないとも言える。ならばドラマを見ることは多大な時間の無駄になりそうだが、ドラマでそうした現実のしかるべき姿を繰り返し放送しなければ、人間は腹八分目を忘れて暴走しやすい。
 この『愛する人よ』は、まさに暴走する若い男の物語だ。貧しい出身だが、実力でそれなりの会社に入り、また結婚を約束して、式はまだ挙げていないが、子どもも生まれる。それは世間の常識的な、そして模範とも言える若者の姿だが、男は先が見えている生活よりも、会社の頂点に上りつめたいと思うようになる。これは会社の会長の令嬢とひょんなことで知り合い、そして猛烈に迫られるからだ。そうしたことが現実にあるかどうかだが、韓国ドラマではよく交通事故や、また悪天候のために帰れずにそのまま宿で男女が泊まって関係を持つという設定を使う。それはあり得ないことではないし、ドラマでは誇張や凝縮が必要で、そういう陳腐とも思える理由によって、別世界の男女が恋愛するようになる。だが、若い男女であれば、お互い別世界、つまり貧富の差が大き過ぎるとしても、恋愛関係になることはあろう。また、そうあってほしいと、世間、特に貧しい者は想像するから、そういう欲求を満たすために、貧富の差が大きい男女が出会う設定のドラマは今後もなくならない。現実的には、金持ちはほぼ必ず金持ちと結婚するが、それは退屈な情景であり、そういうところにはドラマはない。あってもほとんどの人にとってどうでもよい。その意味で、幸福とは退屈なことだ。男が最初は貧しいのはごくあたりまえで、それが実力で社会を上って行くというのが、頼もしい男像でもあって、やはり貧富の差のある男女の出会いは現実的でもある。だが、このドラマでは妻も子もある男がそれを棄てて会長のひとり娘と関係を持ち、そして会社の頂点に一瞬ではあるが上りつめる。もちろん男は悩み、苦しむが、それは妻子への罪悪感と、妻が会長の娘の兄から結婚を申し込まれ、そのことに嫉妬心を抱くためだ。結局予想どおり、男は会社の会長の娘とのつかの間の結婚生活の後、別れ、ひとりになって飲んだくれ、野垂れ死にが暗示されるところでドラマが終わる。一方、苦しさをともにした妻は、言い寄る会長の息子とは結婚せず、しかも野垂れ死にしたか、死んだという報せを聞いて、かつての夫のその男を探しに走る場面も同時に描かれる。その後ふたりがどうなったかは、ドラマを見る者の想像に委ねられる。野垂れ死にしたかに見えた男が、やはりかつての妻とまた一緒に生活すると思ってもいいし、そのまま野垂れ死にすべきと思うのもよい。このドラマのタイトルからしてどちらがふさわしいかと思うが、他の韓国ドラマと同様、いくつもの愛が描かれ、見る者はその誰かに、あるいは誰に対しても感情移入出来るところがある。
 貧富の極端な差が描かれる韓国ドラマは、それだけ社会がそうなって来ていることを表わすだろう。大学を出ても就職率が5割と聞くし、最初から金持ちである者はますますそうなり、貧しさかは這い上がろうと努力する者は、いい会社に就職出来ても、金持ちのような生活は夢のまた夢だ。そういうやるせなさから、金持ちになる一番手っ取り早い方法は、金持ちの娘と結婚することだ。これは古今東西どこでもそうだ。また、金持ちは、野心のある男を娘の夫にしたいと考えるもので、このドラマでもそこは誰しも納得出来るように描かれている。野心家であるから金持ちになるのであって、金持ちはそれを堂々と主張するほどの男を後継者としたいと考える。そのため、日本でも商家では男の子が生まれない方がかえってよいという。馬鹿息子が生まれると、家業が潰れるからだ。それが娘しか生まれないのであれば、婿養子を取る必要があるし、そうなると、後継ぎとしてふさわしい能力のある者を選ぶことが出来る。このドラマはそういう観点で見ればいい。だが、野心があるのは大いにけっこうでも、妻子があるのに、それを隠し、また一方では無慈悲にも妻と子を棄て、しかも男の兄弟とは絶縁状態になってまでいい暮らしをしたいと望むのは異常だ。貧しい者はそれなりに幸福を見つけるべきであって、また金持ちの娘も妻子ある男に惚れて、家庭を壊してはならないという教訓を与えているようなところがある。だが、こう簡単に書いてしまってはこのドラマの面白さを否定することになる。貧しい者にも金持ちにも、それなりにどうしようもない切羽詰った事情があって、そこをこのドラマは全20話という短さの中でコンパクトにまとめている。ただし、後々もっと生きて来るかと思わせる主役の男の兄弟の話が全体に尻ずぼみで、消化不良を起している。たとえば、長男や弟は大学を出ずに、ろくな働き口がないが、石工となってこつこつ働く長男が15年ほどかけて蓄えた5000万ウォンを、弟はギャンブルで一夜で使ってしまう。その時、長男は怒りはするが、自分が長男として情けないから弟がそういうことをしでかすと反省する。そこは長男として見上げたもので、かなり現実的に思えた。この長男や弟のその後をドラマが詳しく描かないのは、そういう人の先は見えているからだろう。つまり野心はなく、あってものし上がる能力がない者は、平凡な人生を生きるしかないし、その平凡はドラマにはならない。そういう大多数の平凡な人がこうしたドラマを見るのであって、平凡でない人はそんな関心を持たない。となれば、いかに平凡な人を退屈させないように、それでいてあり得るような面白い話を構築するかだ。そして韓国ドラマは毎回飽きさせずに展開を面白くし、八分目の残り二分の余裕のようなところを感じさせる。それは絵描かないでおくことで、余韻を持たせることだ。このドラマは結末が特にそうなっている。
 話を戻して、真面目な兄と、半ばヤクザ者と言ってよい弟の間にあって、主役の男はなおさら貧困から脱出したいと願ったが、その結果が愛していた妻子を棄て、結局会長の娘からも飽きられて離婚されるとは、貧しい者は結局は浮かぶ瀬がない。あるいは、貧しくても、身に合った、それこそ八分目の幸福感で満足すべきということなのだ。それは貧しくても愛し合える人には出会えるし、その愛を裏切っては何も残らないということをこのドラマは言おうとしている。「愛こそはすべて」という題名にしてもいいほどだが、その愛が時として金と比較されるのが現実で、愛が先か金が先か、それが問題だ。そして、愛は八分目でいいのかとも考えさせられる。それに、平均的市民から見れば金が八分目ではない大金持ちでも、内部には他人には言えない事情を抱えて、決して幸福ではない。どんな境遇にあっても、腹八分目を忘れた暴挙は必ず破綻する。それがこのドラマでは、金持ちになりたいと思った若い男が、夢破れて何もかも失い、飲んだくれて野垂れ死にする。その結末にやっぱりと思う人は多いに違いないが、おそらくそう単純に悪い男だと責められない思いをどこかで誰しも描く。それほどに貧富の差が固定化し、貧困から這い出ることが現実的でなくなっている。そうした社会にあって、ドラマは何が出来るか。そういうやるせなさのようなものをこのドラマは表現したかったのではないか。妻子を棄てた男が破滅することを、かつての妻はやはり望んでおらず、さっさと言い寄る男と結婚してしまわないのは、その妻も貧しさの恐さをよく知り、かつての夫に同情するからだ。そう読み解かなくては、貧しい者は救われない。貧困をテーマにしている点でたとえば日本の映画『飢餓海峡』を思い出すが、韓国では日本より半世紀遅れて同じような国民意識となったということか。また、『飢餓海峡』と同じく、悪いことをすれば罰を受けるという一般人の不変的な思いをそのまま描かなくては、このドラマは失敗とみなされたであろうし、今の韓国では放送さえ難しいと思える。日本の小説ではそうは描かず、そのまま悪が栄えるといった筋立てが好まれ、また作家の方も何か変わったことをと思って、誰しも想像する結末を裏切る。だが、そういう小説が面白いだろうか。このドラマは見たことのない俳優が主役の夫婦と、そして会長の息子と娘を演じていて、その見慣れないこともあって、それなりに面白かった。会長とその夫人を演じるのはパク・クニョンとパク・ジョンスというベテランで、パク・クニョンはこうした役柄でをいつも演じるのでまたかという感じだが、パク・ジョンスは特に印象深かった。彼女は『大長今』で強烈な印象を残したが、現代劇でもこうした金持ちを演ずるのはなかなかうまい。棘のある冷たい感じの美人で、日本では岡田茉莉子以外、似た女優が思い浮かばない。韓国ドラマの面白さは、脇役の物語と、その演技のうまさに多くを負う。
by uuuzen | 2011-11-12 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
●ムーンゴッタ・2011年11月 >> << ●嵐山駅前の変化、その162(...

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