●嵐山駅前の変化、その161(グーグル:円形階段、ホテル、広場、脇道)
中はがきがもう届いた。中学生の時に仲がよかったMが1月30日に亡くなっていた。それを愛知在住の姉さんが知らせてくれた。Mとはこの3年ほどで数回会った。



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いずれも大阪に出たついでに、Mがいれば会おうと、Mの家の前を通り、そして会った。最後に会ったのは、自分の服装を覚えているから、確か一昨年の12月だ。あるいは去年1月かもしれない。ふたりで空堀商店街を歩き、また同じ中学生時代の友人の家に行った。その時、筆者は隣家を入手したく思っていて、もしうまく買えれば、内部のリニューアルについてMに相談を持ちかける気でいた。その最後に会った時、Mは数日後にまた入院すると言った。その頃2,3度入退院を繰り返していた。B型肝炎から肝臓癌になったとやらで、その原因は10代の頃の注射だとも言っていた。10年か20年前か知らないが、癌保険に入って毎月1万か2万円程度を払っていたが、それがアホらしくなって辞めた途端、検査で癌がわかった。そのまま癌保険に入っていれば、入院代など、全部保証してもらえたのに、それが実費でかなり痛いとも言っていた。運が悪い。それでもMは昔と変わらない話ぶりで、顔色も悪くなかった。ところが、筆者と会った直後に入院し、そのまま1か月ほどで死んだ。昨夜の投稿の最後に、「病院が人生の終点であるというのは、どうにもロマンがない。だが、元気になって少しでも長く生きたいと思うからこそ、病院に入る。そう思えば病院はロマンのある場所だ。」と書いた。喪中はがきには死因は書かれていないが、癌が悪化して病院で死んだに違いない。Mは筆者が古いパソコンを使っていることを知り、3,4台持っているので、XPの1台をくれると言っていたが、最後に会った時はパソコン内のデータの消去を始めたので、それが終わってからと言った。その作業の途中で入院したのだろう。XPのパソコンは、その後、隣家を買った時にそこにあったから、Mからもらわなくても手に入ったが、Mのをもらっておくと形見になった。ここ数年のMは、メールでどこかのサイトがサービスで提供しているフラッシュ画像の暑中見舞いやクリスマスのカードを送って来た。それが今年はなかった。Mのメール・アドレスは、名前をもじったものだ。それがなかなかいいセンスでしかも覚えやすく、筆者はそれをネット上でパスワードとして転用している。そのことをMは知らないまま死んだ。10年ほど前、Mは「独身は孤独や」とさびしく笑いながら言ったことがある。Mにも当然好きな女性があり、昔それが誰かを知ったが、Mには似合わない女性であった。高嶺の花と言うのでないが、Mとはどう見ても釣り合わなかった。そんなMは1980年頃だったか、嵐山のわが家に交際し始めたばかりの女性を連れて来たことがある。どこかふたりで遊びに行けばいいものを、わが家なんかで時間を潰しても退屈であったろう。Mはよかっても女性はいやがったのではあるまいか。その女性とも縁がなく、そのまま独身となった。
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 Mの家には中学生の時に2,3回上がったことがある。2階建ての商家で、1階は両親が駄菓子屋を経営していたと思う。だが両親の顔も雰囲気も記憶にはない。学校帰りに2階に上がって話していると、セーラー服を着た高校生の姉ふたりも姿を見せたことは覚えている。もう45年前のことだ。Mの家はその後、改装もせず、45年前の古びたままで建っていた。Mが亡くなって11か月経つので、今はないかもしれない。Mの家は古びた町並みの中にあって、さらに老朽化が激しく、本当に住んでいるのかいぶかったことがある。Mに言わせると、家はぼろでも、中にはかなり高額の機器が揃っているとのことであったが、そんな機器を使ってする仕事には恵まれなかったと思う。1980年代は自宅から2,3キロ離れたもっと繁華な場所に事務所をかまえていたが、仕事が少なくなって自宅に事務所を移した。その自宅は、土地は自分のものでなく、また借家とも言っていた。親の代から住んでいるので、家賃は安かったのだろう。それに独身なので、そんな古ぼけた家に住んでもかまう誰かもいなかった。Mは一級建築士で、独立後は大阪や京都の郵便局の外観などのデザインを手がけていて、いくつかの建物が雑誌に紹介されたことがある。そんな仕事がなくなり始めたのがいつの頃か知らないが、贅沢しなければどうにかひとりで生きて行くことは出来る。毎晩寿司屋で晩酌しながら食べると言っていたし、そういう食生活の乱れが体調にはよくなかったであろう。飲み屋で知り合った仲間たちなのか、地元の居酒屋で月に1回は10数人ほど集まって飲み会があるとも言っていた。その飲み会の当日に会ったのが去年秋で、その時はふたりでMの事務所があった付近まで歩き、そして地下鉄でふたりで難波まで行き、そこで別れた。筆者と少し行動をともにしたので、飲み会には少し遅れて行くとも言っていたが、その時だったか、Mは今まで筆者が聞いたことのなかった話をした。それはMの故郷のことだ。その場所は福井県のどこか忘れたが、子ども頃は夏休みのたびによく親ととも帰省し、夜の星の美しさにほれぼれしたという思い出を嬉しそうに語った。その故郷の思い出があるので、天体望遠鏡の趣味も多少あると言っていたように思う。そして、飲み会の友だちはそういう趣味を通じて知り合ったようだ。Mが田舎の夜を懐かしそうに話したのは、大阪の空が星が見えないからだろう。筆者も子どもの頃は京都市内によく遊び、真冬の空に無数の星が散らばっていたことをよく記憶する。京都市内ではもうそんな空はない。空気が悪くなり、街中に灯りが増え過ぎたためだ。星を多く見たいのであれば、地上から明かりを消す必要がある。
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 一昨日から、パソコンでビートルズの音楽を聴いている。『アンソロジー』の全3巻計6枚のCDと、『ライヴ・アット・ザ・BBC』の2枚組だ。それらをとっかえひっかえ聴いているとやはり気分がよい。こうしてビートルズを今も聴きながらこれを書くのは、Mの死の知らせを聞いてちょうどいい。虫の知らせか。ならば今年1月30日の前にそれがあるべきなのに、今頃とは。中学生になって筆者はビートルズに夢中になったが、同じクラスでビートルズが好きであったのはMだけで、それでMとは話がよくあった。またMは中学生からガット・ギターの趣味があって、クラシックのギター曲を楽譜を買って来てよく弾いていた。そう言えば、学芸会にも出演したことがある。それなのに、バブル期だろうか、Mはカラオケで歌謡曲を歌うのが好きになって、ビートルズもギターも縁がなくなったと言った。それで筆者はさびしい思いをしたことがある。そんなMが、筆者と最後に会った時は、またギターを始めるために弦を張り代えたとも言った。また、これは以前に書いたことだが、Mと無伴奏でビートルズの「ヘルプ!」を中学2年生の美術の授業中に歌ったことがある。筆者がリード・ヴォーカルで、Mがバック・コーラスだ。美術のF先生は、クラスの全員が引っ込み思案の性格をなくすために、美術の授業中、名簿順に毎週数人ずつが最前列に出て芸を披露することを課した。今では考えられないかもしれない。1960年代はまだ子どもは子どもらしく、はにかむ者が多かったのだ。そうしたはにかみ屋の中でも筆者はなおさらそうであったが、それが大声でビートルズの曲をみんなの前で歌うのであるから、ビートルズによって生まれ変わったと言ってよい。その時の「ヘルプ!」の披露は同級生の間では語り草になっていて、今でも級友と会うとその話題が出る。授業中に何でもいいので何かをみんなの前で披露するという考えは、F先生が思ったように効果があったのだろうか。恥ずかしがり屋はそういう経験を何度かした程度では、恥ずかしさを克服出来ないだろう。筆者は今でも人前で話すことは大変苦手だが、大勢の生徒の前で話すことを最初にしたのは中学生からだ。どういうわけか生徒会の役員に選ばれ、毎週朝礼台に上ってみんなの前で話さねばならないことになった。だが、思い返しても、その経験によって恥ずかしが屋から脱皮したとは思えない。今も自治会長を担当して大勢の人の前で話す機会は多いが、気分は中学生の頃と少しも変わっていない。
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 そんな中学生気分に一気に戻れるのはMなど中学生時代の友人と話すことだ。家内によく言うが、筆者が人生で一番楽しかったのは中学の3年間だ。そんな級友がひとり、ふたりと順にこの世を去って行く。最後にMに会った時、中学の同窓会をしようと言った。その前から何度もそう言いながら、肝心の筆者にそのために動く時間が見つけられなかった。桜や紅葉を見るために、一度京都で開こうと言っていたのに、それが一度もかなわないまま、仲がよかった者が消えて行く。今でもよく電話をくれる級友があって、大阪に出れば遊びに来いと言われながら、そこまで行く時間が見つけられない。そうこうしている間に2,3年は一気に過ぎる。そしてMの死だ。今日はそんな死について笑いながら話すことがあった。ようやく腰を上げて、社会保険事務所に行って年金を受け取る手続きをした。書類は2,3日前から区役所などに行って揃え始めた。何度も社会保健事務所に自転車で走らずに済むように、説明の文書をよく読んだ。午後1時ちょうどに家を出て、区役所で最後の書類2通をもらい、その足で社会保健事務所に行ったが、たくさんのくたびれた老人が座っていて、その雰囲気がとてもいやであった。目をつむって待っていると、いつの間にか眠ってしまった。うとうとしながら時々目覚めてを繰り返し、ちょうど1時間経って筆者の112番が呼ばれた。書類は完璧であるはずだ。老齢の係員に対面して無言で座っていると、係員の黙々とした作業は20分ほどかかった。そして、最後に青い大きなハンコが書類に押されて年金を受け取る手続きは完了した。そこで初めて係員と筆者は笑顔で見合った。最後に係員は、企業年金がもらえるのでその手続きをするようにということと、家内が64歳になった時に筆者は7,8万円の何とか手当てのようなものをもらえるので、その手続きにまた来てくださいとも言った。それらに答えて筆者は、「その年齢まで生きていれば。」と笑いながら言うと、相手も同感とばかりに大きく笑った。そして帰宅してMが59歳で死んだことを知ったが、Mは年金を一度も受け取らなかったことになる。今日の阪急嵐山駅前の写真は、2年前の9月のもので、GOOGLEのストリート・ヴューから取った。ここ1か月ほどは調べていないが、ストリート・ヴューは2年も前の状態を載せている。2009年9月は、このカテゴリーの最初の投稿以前だ。その意味で、今日の5点の写真は本来はこのカテゴリーの最初に掲げるべきものだが、筆者は当時XPのパソコンを所有せず、ストリート・ヴューを見ることは出来なかった。Mが昔わが家に来た頃の嵐山はこの2009年の状態に近い。Mは「おれ、死んでしもた。」と笑いながら、今は満天の星を見つめていると思う。多少遅いか早いだけのことで、みんな痛みのない世界に行く。
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by uuuzen | 2011-11-10 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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