●嵐山駅前の変化、その158(円形階段)
遠に会うことはないだろうが、一昨日の写真の左上、駅前広場の鉄柱柵の延長上に、こちら向きに小さく写っている薄緑色の作業服を着た警備員が写っている。



また、手前に女性がこっちに向かって立っているが、これは知らない人だ。貫禄のある警備員で、工事が始まる前にちょっとしたことで面識が出来た。それから今年の9月中旬の、ほとんど最後に勤務する日も含めて、何度も立ち話をした。そうでない日でも、遠くから筆者を見つけると会釈してくれた。次の現場は亀岡で、また1年ほど詰めると言っていたが、現場から現場へとわたり鳥だ。50歳ほどであったが、定年までもういくつの大きな現場の警備をするだろう。出入りするトラックに、大声で注意をしていたところを見たことがあるが、またその出入り口の塀にはその警備員の名前入りの顔写真がずっと貼ってあったので、たかが警備員という存在ではなく、それなりに重要なポストであるのだろう。一昨日書き忘れたが、昨日の写真は去年12月10日のものだ。円形階段からカメラをかまえながら、その警備員が遠くに写り込むことを狙ったところがある。だが、写真を加工してすぐにそのことは忘れた。それがこうして10か月遅れでブログに掲載することになって、改めて写真を見ると、撮った時の記憶が蘇る。その意味で、こうして文章にはしないものの、載せる写真それぞれにそれなりの思い出はある。だが、それは筆者個人の頭の中にあるだけで、他人にはわからない。その意味で価値はないが、その無価値の集積が筆者であるから、元来人間は孤独なものだと思う。それを一昨日の夜にも感じた。午後6時40分頃にムーギョに向けて出かけ、ムーギョとトモイチで買い物をした。帰り道は少々寒かった。それに大きな畑の横の道を過ぎてからはほとんど誰とも会わない。8時頃ともなれば、せいぜい犬に散歩させる人がひとりふたり目につく程度だ。街灯に点々と照らされるくらい夜道を歩いていると、前方の空に星が数個見えた。その時、孤独を思いながら、生きている実感がした。肌寒い夜空に動物たちはどのように身を縮めて眠りに入っているのかと想像したためだ。鳥たちは巣で眠り、一方では夜に活動する動物もいる。そのような野生動物の生活を思えば、筆者の買い物帰りの夜道程度は、お遊びの散歩に過ぎず、厳しさなどどこにもない。また、仮に筆者がホームレスで、帰るべき家を持たず、空腹を抱えていたとしても、その野生動物が寒い夜に眠る光景を想像したその瞬間だけは、彼らと一体感を持つことが許され、生きている実感を覚えられるはずで、また人間は無一物で裸同然であっても、前向きに生きることが出来るし、人類はそうして来たのだとも思った。だが、それは瞬間のことであるし、すぐに灯りのともる家に帰り着き、寒さから逃れた筆者は野生動物に思いを馳せることはなくなる。それでも、一段と寒くなった深夜にこうして書いていると、雀や鳩、烏などがどのようにして眠っているかを想像し、自分がそうした動物とたいして変わらないことを思う。
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 さて、今日の写真は一昨日のものと同じ角度で、夜を狙って12月14日に撮った。嵐山駅の臨時改札口の円形階段を利用して、嵐山花灯路の開催期間中に、地元の小学校の児童に京都の名所を写生させた絵を、この置き灯篭の背後の臨時に作られた壁面に展示したり、また置き灯篭に貼る絵を描かせたりする。この灯篭を見る観光客は、12月の嵐山に来る人が少ないので、ほとんど地元の通勤客だけと思う。それでも今年も嵐山花灯路は開催が決まっているし、この円形階段にはまた同じように設置されるはずだ。臨時改札口を塞ぐ形でこういう展示が出来ること自体、11月の紅葉の季節とは打って変わって、観光客がいかに少ないかがわかる。もし12月にも嵐山に人がたくさん押し寄せるのであれば、児童の絵を展示するなどといったのんびりとしたことを阪急がやるはずはない。寒くて何も見るべきものがない嵐山に、とうにかく観光客が来てほしいと望むのは、嵐山があることによって商売が成り立っている人々だけだが、先日の葬儀で耳にしたところ、昭和30年代は冬場は閑古鳥が鳴いていたそうだ。そうなれば、雇用人に毎月給料を払っている旅館や料亭は経営が苦しくなる。季節に左右されるからなおさら価格を釣り上げねばならず、そうした嵐山は近畿では有馬以上に料理の料金が高くなった。また、有馬と比べて圧倒的に劣るのが温泉のないことで、それで地元の旅館は温泉を掘るのが長年の夢であったが、それも数年前に実現し、中の島で汲み上げた温泉をトラックで運んで、5、6箇所の旅館にそれを配っている。その量は有馬に比べると月とすっぽんの少なさだが、温泉に変わりはなく、嵐山は「嵐山温泉」という名称を名乗ることが出来るようになった。一方で日本中でスーパー銭湯ブームが湧き起こったので、京都でもたくさんのそういう場所があるが、聞くところによると、既存の温泉から半径500メートルは新たに掘ることが許可されないという。嵐山の中の島に掘った温泉から500メートルと言えば、嵐山郵便局あたりだと思うが、その付近まら松尾橋までは住宅が密集していて、温泉を掘る場所などない。それでスーパー銭湯はそれからさらに3キロほど南西か、北東に同じほどの距離を行ったところにあって、どちらも何度も筆者は行ったことがあるが、いつも誰かの車に乗せてもらってという便乗だ。自転車でも可能だが、せっかくぬくもった体が冷えるか、あるいは逆に夏場であれば汗だくになる。筆者は昔から烏の行水なので、スーパー銭湯がもっと近くてもそんなに行かないだろう。前にも書いたが、スーパーのつかない普通の銭湯が、20数年前までわが家から直線距離で100メートルもないところにあった。それがなくなった時、しばらくの間は、今でも経営している、渡月橋をわたって嵯峨伊勢ノ上町の桜湯に自転車2台で家族3人で行った。そこは戦前からあって、日本画家の富田渓仙の家のすぐ裏手で、渓仙はよく通った。先日自転車のパンク修理用品を買うためにホームセンターに行く時、久しぶりにその渓仙の家の真横の道を通った。家は建て変わって、かろうじて画室らしき建物だけが残っていたように思う。従姉の自転車に乗って走りながらであったので定かではないが、表札も子ども(養子)の名前ではなかったような気がする。筆者が嵐山に来た頃から数年は、渓仙が住んだ木造の家がそのままにあって、中の島からは向かい側によく見えた。それがバブル期で三条通りに面した前半分が他人のものとなり、その後もう半分も同じ運命をたどったのかもしれない。だが、画家は絵が残ればいい。嵐山の桜に因んだ名前の桜湯の方は、今後もあってほしい。小さくて鄙びた普通の銭湯だが、それがいい。ついでに書いておくと、筆者は渓仙が好きで、絵は数点持っている。それを見ると、いつでも渓仙に会うことが出来る。
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by uuuzen | 2011-10-28 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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