●嵐山駅前の変化、その154(ホテル)
蜜が台所の目立つ場所にあったので、インスタント・コーヒーにそれを砂糖代わりに入れて飲んでいる。数年前にもそのようにしてしばらく飲んだことがあって、それを思い出したのだ。



コーヒーの豆を切らしているので、仕方なしにインスタントを飲んでいるが、それが続くと、その味でも我慢出来るようになる。そう言えば、亡くなったNはコーヒーに凝っていたが、豆を切らすとインスタントを飲み、それはそれでメーカーによって味も違って飲めないというほどではないと言っていた。人間はそのように、多少質が落ちても我慢出来る、また我慢ではなしに、積極的においしいと思えるようになると見える。一度いいものを味わえば、以前のように質の劣るものにはもはや耐えられなくなると言われるが、そういう人は大金持ち生まれだけではないだろうか。蜂蜜入りのコーヒーは、蜂蜜とコーヒーの味がするだけのことで、取り立てておいしいともまずいとも言うべきものではないが、砂糖の代わりに蜂蜜を入れるという風変わりさが何となくインスタント・コーヒーでもあっても、自分だけの誂えものの感じがしてよい。だが、そうして飲むことを続けていると、口の中に蜂蜜の味だけが後で長く残る。昨夜はその味が頭の中に蘇り、それで1階に下りて蜂蜜を湯に溶かして一杯飲んだ。そんなことをすると、ますます蜂蜜の味が忘れられず、さきほども一杯飲んだが、こうして書いていてまた飲みたくなって来た。蜂蜜中毒か。熊みたいだな。蜂蜜は糖分であるから、砂糖湯を飲んでいるのと大差ないし、これはカロリー摂取が高くなってあまりいいことではないか。とはいえ、口、頭、体が欲するのは、疲れているために糖分補給を本能が求めているからかもしれない。昨夜は蜂蜜湯を一杯飲んだ後、眠る前にもまたほしくなったが、飲み干したカップに湯だけ注いで飲むと、これが先の蜂蜜の匂いが残っていて、白湯であるのに、蜂蜜湯を飲んでいる気分になった。よほど匂いが強いのだろう。その白湯で我慢出来たのであるから、今度からはごくわずかの蜂蜜に湯を注いだものでいいかもしれない。というのは、普通に作る蜂蜜湯は、甘いのは甘くていいが、安物のせいか、こくがない。そのため一気に飲んでしまう。どうせそうなら、蜂蜜の匂いが少しだけする白湯の方がまだどこかぞくぞくさせられる。それを筆者は女性の色気と比べたりする。女性との濃厚なセックスよりも、ほとんどセックスを感じさせない女性の香りの方が、かえってエロティックだ。これを昔は「秘すれば花」と言った。想像力を掻き立てるものでないことには面白くないというのは、神秘的なことの価値を言っているが、神秘的な人や物というものは、今はどれほどあるのだろう。また歓迎されているのか。ネットに情報のないものは存在しないも同然と言われているが、ネットに情報が載ることは、神秘でなくなることと同義だ。神秘は死んだのだ。ニーチェが言った神が死んだもこれか。だが、こうも考える。全くのあけすけでありながら、なおかつ謎めいたものを持っている存在だ。たとえは悪いが、ストリッパーが体の隅々まで客に晒しても、そのことでその女性の神秘が完全に失せるだろうか。どうもそうとも思えないところがある。ここが「秘すれば花」の奥深いところで、その「秘す」ことは相対的なものと考えるしかない。とはいえ、ベンヤミンが予期したように、戦後はますます複製が多くなり、そのことで一点物の神秘性は失われようになったと言ってよく、ある存在の情報が広まり過ぎることは、その存在の価値を減ずるかもしれない。
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 だが、情報が広なることは誰しも知る有名な存在で、それはそうでないものより価値が大というのが一般の見方だ。そのためにブログをやる人はランキングを気にしたりするし、上位に食い込むためにはどんな手でも使うといったようにもなるだろう。ところが、そんなことをすればするほど、人気ブログは中身の乏しい、媚びを振りまいたものになる。京都はそういうことを昔からよくわきまえていて、「一見さんお断り」も、神秘性を保っておくための手段であろう。何でもお金に換算される世の中になると、金とは無縁のものに神秘性が増すと人は思うようになる。「この場所にはお金を払っても入れません」と言われると、人はよけいにそこに入りたくなる。それと同じで、京都が相変わらず価値を高めたままでいられるのは、そういう場所をたくさん抱えているからでもある。そうなると、こうして毎晩長文を書く筆者は、神秘とは無縁、あまりに俗であるため、見向きもされないというのがふさわしいが、筆者自信は神秘なものには憧れがある。この神秘のイメージがまとわりついているものは、時代を経ても変わりがないのが特徴で、またその神秘なる対象に実際に会いたいと思っても、それはたいてい過去のものとなっていて、物理的に会えるのはその神秘さが関係した物でしかない。それを思うと、たとえば現在生きている人で神秘を感じる場合があっても、会わないことに限る。その人は生きていながら実は死んでもいて、そしてやはり生きてもいる。生死を超えたところにあるのが神秘だ。であるので、神秘を想起するよすがとなるものは、たいていは物だ。その物にかかわる人が神秘であるのだが、物を通じてその人の存在を知るしかなく、その意味で物を残しておかねば神秘も残りにくい。人間は年々老いるのに、その人間の作った物は、大切に保存される限り、その作者より、はるかに長く生きる。そうして残した物に強い神秘さが宿ることはごく稀だが、それでも存在感はまとわりつき、そこからそれなりの神秘性は、放射能のように長く残り続ける。こうして書きながら、筆者が思うのはこのブログのことだ。ここに神秘性を宿すために毎晩こうして書いているのではないが、筆者がいつかこれを書くことをやめ、そして何らかの理由によってブログが全部消去された時、そこから神秘のようなものがまとわりつき始めるかもしれないとは思う。もちろんそれは、このブログをわずかでも読んで、筆者がこうして書いていることを知っている人の間に限られる。あれほどたくさんあった文章が一夜にして消え、今となっては読むことが出来ない。そういう状態は形として残る本ではあり得ないが、ネット上の文章は手に取ることの出来る形がない分、神秘性とは縁が深い。ただしそれは手に届かなくなった時点でそうなる。ということは、神秘は死とは関係が深い。さて、今日からこのカテゴリーは去年12月に撮影した写真を載せる。今日は12月4日の2枚だ。今後このカテゴリーは掲載写真が1,2枚という日が大半となるので、書くべき段落数は昨日のように多くなくて済む。その点、少しは楽になりそうだ。
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by uuuzen | 2011-10-15 23:19 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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