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●嵐山駅前の変化、その150(駅舎から広場)
陽花の花を切らずにそのままにしていると、みな真っ赤に枯れて来て、秋の紅葉のような格好になっている。これをさらにそのままにしていると、繊維質のみが残って細かい網のようになる。



これをさらにそのままにしておくと、全体が白茶になってかなり縮み、また紙のように軽くなるが、手で揉んでも粉々にならないほど強い。何年も放置しているのではないが、2年前の花が残る状態にはしている。もっとも、2,3を残して後は全部切り取る。そうでないと次年度は花のつきが悪くなるし、またきれいに咲いてもその間に枯れた花がたくさん見えるのはきれいではないからだ。筆者はさほどそう思わないが、家内に言わせると、花の手入れをしないずぼらな家と思われるのが格好悪いらしい。つまり世間体だ。それは筆者にもあるが、2年前の花をいくつか残すのは、それが自然と思うからだ。毎年新しく咲く花だけにしていると、見栄えがいいのに決まっているが、それを人間界に置き換えると、若者だけの社会となって、老人は若者によってさっさと駆逐されるということだ。人間社会はそうはなっていないから、花の世界も枯れたものはそのままにしておいていいと思う。その枯れた花が新しい花に悪影響を及ぼすということはない。幹や枝からとっくに養分が届かないような仕組みになっているし、また枯れた花の方でももう養分を吸い上げる機能はない。それは枯れた状態で茎にくっついてはいるが、植物としてはとっくに役目を終えたもので、いつ風に吹かれて散ってもかまわない。そのため、その枯れた花を人為的に取り去ってやることと、そのまま放置することとの間に実質的な差はないが、こっちの気分として、枯れたものをさっさと取り除くのは何となくはばかられる。それに、紫陽花の枯れた花は、赤く変化して、それはそれできれいだ。来年には茶色になっても、その状態もまた見所がある。紫陽花を思い出したのは、一昨日近所に引っ越して来て1年ほどになる若い奥さんとわが家の紫陽花の前で話をし、「枯れた紫陽花がこんなに赤くなるのですね」などと言われたからだ。それに、今日掲げる写真を見ると、ホテル建設現場の塀のそばに立つ大きな楓の木が紅葉している。以前書いたように、この木はその後切り倒されたので、この写真が見納めだ。そのことで思うのは、たとえば祇園祭の宵山のように、大勢の人の姿を捉えた写真があると、そこに筆者が米粒ほどで写っているのではないかと考えたりする。そして、そういった写真が80年ほど前のものである場合、99パーセントの人は生きていないなと思う。その伝で言えば、今日掲げる去年11月23日の阪急嵐山駅前の写真にはたくさんの人が写っているが、その後死んだ人がいるかもしれない。それがどうしたと言われそうだが、一瞬ごとに世の中が変わって行くことを写真はよく示してくれ、またそうして変わって行くからこそ写真は面白い。そんなことを思ったのは、昨日見た3つの展覧会にどれも写真が関係したからだ。それはまたいずれ書くとして、写真が登場してからは、写真が時代ごとの雰囲気を最も代表する媒体になったのではないだろうか。だが、それはただそれだけのことで、そういう古い写真を見て古い時代の雰囲気が味わえたとして、その面白さは一級の芸術作品を見るのとは全く違う。簡単に言えばほとんどどうでもいいもので、同じように時代を感じさせてくれるものは無数にある。そのため、写真は面白いが、ほとんどはそれ以上のものではない。
●嵐山駅前の変化、その150(駅舎から広場)_d0053294_011528.jpg

 話題を変える。ブログに掲載する写真は加工する尻からヤフー・フォトに保存して来た。それが昨日頃から保存出来なくなった。無料で50GBまで、また写真以外のどのようなファイルでも保存出来るヤフー・ボックスというサービスに切り替わる移行期間中の措置だ。それがついさきほど解除され、この新たなサービスが利用出来るようになった。以前のヤフー・ボックスに入れておいたファイルが自動的にヤフー・ボックスに移行すると宣伝したはずだが、まだそのサービスは始まっていない。そのため、自分で移し換える必要がある。これが面倒なので、そのままヤフー・フォトから以前溜め込んだ写真をパソコンにダウンロードし、それをブログに掲載するという手続きを取る。それはいいのだが、このヤフー・ボックスは、かなり反応が遅い。そのため、以前のヤフー・フォトをそのまま使いたいのだが、そこには新たに写真は保存出来ず、しかもそのうちサービス停止になって、保存したファイルが消えてしまうだろう。その前に写真をボックスに全部移すとなると、これは数百枚もあるので大変な作業だ。それに、こういう問題がある。たとえば昨日撮った写真は、今日からはボックスに保存するしかないが、それをしてしまうと、後でヤフー・フォトから移す以前撮った写真が、その後に続く。つまり、ヤフー・フォトでは撮った順に保存しているのに、その形式が崩れてしまう。ボックスでは写真の並べ換えは可能のはずだが、枚数が多いとそうするのも手間だ。新しいサービスが保存容量が拡大したのはいいが、ヤフー・フォトでも筆者は2パーセントしか使っていないので、それで充分だ。これから死ぬまで大量に撮ってそれを全部ヤフー・フォトに載せてもまだまだ余裕がある。ボックスという新しいサービスは、容量が大きいことを切に望む人向きで、それはそれでヤフーの親切心であっても、反応が以前の数倍もかかるのでは、何が進歩かと思う。世の中が便利になるのが時代の流れの真理と誰しも思っているが、そこには時として錯覚がある。便利と思うのは、何かを犠牲にしたためであって、その失われるものに愛着のある人は、その便利さを否定し、古いままの方がいいと思う。だが、新しいものに具わる魅力に誰しも抗い難い。そうして、たとえばの話、原発がいいということになった。「火力? 水力? そんな古いものよりアトムの世界でしょう。」というわけで、手塚治虫が生きていれば、福島原発の事故をどう思ったか。筆者は知らないが、手塚が原子力発電に関して何か危惧を抱いたようなマンガを描いたのだろうか。アトムの妹はウランちゃんで、愛すべきキャラクターにそのまま原発を連想させる名前をつけたところ、原発には信頼を置いていたのではないだろうか。先日4日間にわたって書いたザッパの新譜のジャケットには、カラフルなアイスキャンデーが4本と、皿とナイフ、フォークの写真が使われた。予約メールのタイトルが、「Fine Dinner」で、これが原発事故によって放射能汚染された食料が食卓に上ることを意味するならば、えらく皮肉が利いている。放射能には色も匂いも味もないので、作物が汚染されていても一般人は調べようがなく、「これは検査によって安全です」の言葉を信じるしかない。これが恐い。放射能検査が間違っていても、誰も責任は取らないし、また食べてしまったものをどう責任を取ることが出来るだろう。福島の子どもたちの甲状腺を検査し続けると言っているが、異常が見つかった時は手遅れであるから、検査など無意味だ。一番いいのは、福島から去ることだ。この世の中は、誰も責任を取ってくれない。神のような人間などどこにもおらず、みな紙のように軽い。手で揉んでも粉々にはならないが。
●嵐山駅前の変化、その150(駅舎から広場)_d0053294_012678.jpg

by uuuzen | 2011-10-10 23:59 | ●駅前の変化
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