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●嵐山駅前の変化、その149(広場、ホテル)
れが三連休の間続くと予報があったが、さきほど夕方に月を見るとおぼろになっていた。明日は曇りかもしれない。今日は昼から出かけ、たくさん歩いたので疲れた。



明日はいちおうは家にいる予定だが、展覧会をひとつ見る予定でいる。今日も展覧会の感想を書いてもいいが、出かける際に嵐山駅からたくさんの人が降りて来ているのに遭遇し、行楽日和を実感した。そのため、今日はこの駅前シリーズの変化をはさんでおくのもいいだろう。9月25日以来で、その時は最後に「次回も同じ日に撮ったものを3枚載せる」と書いた。その次回が今日で、あまり日にちが開くと忘れてしまう。ということで今日も去年11月22日撮影の写真を掲げるが、もうそろそろ1年ほど経ちそうなので、せっせと駅前の変化写真を載せて、1年以上は遅れないようにしたい。ところで、この駅前の変化の写真はここ1か月近くは1枚も撮っていない。工事が行なわれていないからだ。そのうちまた大きな工事が始まる予定で、今は「嵐の前の静けさ」ならぬ、「嵐山の前の静けさ」になっている。その工事が始まる前にはまた住民に説明会があると思うが、あるとしても11月の紅葉が過ぎてからだろう。それはいいとして、このカテゴリーは、駅前工事の写真を載せるのに、文章はそれとはほとんど無関係なものにしている。それで今日もそうなるが、無関係と言いながら、工事や自治会がらみの話題が多いので、無関係と言うほどでもない。今日の話題は何にしようかと思いながら、自治会関係のことをまた少し書いておこう。最近の大きな出来事は10月2日の地元小学校での地域体育祭であった。雨天の場合は1週間延びる予定が、天気にどうにか恵まれた。おおむね晴れだったが、雨も降り、また突風がしばらく吹いて、テントが飛ばされるかと思い、テントの支えのパイプを握りしめて立ちすくむこともあった。そう言えば、今日は電車で出かけ、車内から松尾中学校の校庭で運動会が開かれている様子が見えた。わが自治連合会の隣の松尾学区は、今日が地域体育祭であった。この中学校には筆者の地元の小学生がみな通う。運動場が小学校より大きいので、体育祭の時に父兄が走るのは大変だろう。だが、トラックが大きい分、カーヴが緩やかで、走りやすいかもしれない。地元の小学校のトラックは1周200メートルで、カーヴが急なあまり、そこで転倒する者が多い。筆者は去年と一昨年、自治会長であるにもかかわらず、自治会からの参加者があまりに少ないので、半分ほどの競技に全部出た。自治会長は本部席が用意されていて、そこで観戦するのが普通だが、そんなのんびりしたことが出来ないほど、わが自治会は人数が足りなかった。この話を始めるとややこしく、またかなり長くなるので省略するが、今年はいろいろ問題もありながら、わが自治会からは、大人から乳児まで含めて60名ほどの出席が得られ、筆者はトラックを全力疾走しないで済んだ。
●嵐山駅前の変化、その149(広場、ホテル)_d0053294_23262691.jpg 例年にない大勢の参加者が得られたのは、5年ほど前に出来た大きなマンションの住民に、小さな子どもがいる家庭が10軒近くあり、その子どもたちの親から、今年は2名の「子ども会」の役員が選ばれたからだ。この「子ども会」の役員はわが自治会では毎年2名選ぶ。その選出は2月で、小さな子ども、つまり小学生の児童を抱える家庭の母親が集まって会議を開き、一度も担当したことのない人の中から選ぶ。当然そのマンションの住民だけに児童を持つ家庭があるのではないが、そのマンション住民に児童を持つ家庭が圧倒的に多いのは確かで、今年は2名ともそこから選ばれた。この2名は夏の地蔵盆の世話を引き受けるのが、従来からの慣わしだが、今年は春の最初の総会時に、体育振興委員とも相談して、地域体育祭への参加に協力してくれるように頼み込んだ。今までになぜそうしなかったかだが、協力してもらいにくい事情があったりした。だが、今年は同じマンションの同世代の母親2名で、お互い協力しやすかった。前述のように、60名の参加を得るには紆余曲折があり、筆者は何度文書を書いて配布し、また子ども会の母親や体育振興委員と電話その他で話し合ったことか。だが、子ども会が地域体育祭に協力するのは、筆者の息子が小学生の頃はあたりまえであって、両親ともに参加したものだ。それがこの20年ほどの間に少子化もあって、わが自治会のみが、全14自治会のうちで、さっぱり人が集まらないようになってしまった。テントを張ってもその下に3,4人しかいないというありさまで、ほとんど他の自治会からは馬鹿にされていた。それが今年は点数も最下位から脱出して下から3番目になったし、老若男女が観戦、また競技に参加して、楽しい1日となった。この調子で来年も多くの人が集まればいいが、そのためには今年と同じように、子ども会の母親に動いてもらわねばならない。そして、それには総会で決めるべき事柄もあって、筆者が事をまとめる必要があるだろう。また、今年とは違って、母子家庭で母親が働いている世帯、あるいは夫の仕事がとにかく忙しいなど、体育祭に出たくてもそれが出来ない場合があるので、そういう人が子ども会を担当すると、その年度は人集めは難しい。こうして淡々と書いているが、体育祭までの1か月ほどは、とにかく大変で、筆者が動いている一種の熱意が子ども会の母親にも伝わったのだと思う。何事も上が動かないと下も動かないというところがある。特に去年の体育祭では、筆者が多くの競技に出て走り回っていたことが周囲には印象的であったらしく、それで今年の協力が得れた部分が大きいと思う。今年はトラック一周の200メートル走は、そのマンションの住民の筆者より数歳下の男性が引く受けてくれたので、筆者の出番はなかったが、少しでも若い人が出るに限るし、また一度もこうした集まりに参加したことのない人に出番を用意する方が、自治会への理解も得られる。筆者は今年はもっぱら社交に回り、多くの人と話した。小学生からは父親のように抱きつかれて肩ぐるまをせがまれたり、また90歳近い婦人の話し相手になったり、他の自治会の人と情報を交換したりなど、とにかく今後のこうした自治会の催しに対して何か益することをやっておこうと思った。筆者は数歳の子どもから超高齢者まで、誰とでもすぐに打ち解けて話が出来る方で、ま、愛想を振り撒きながら、また自治会への理解をしてもらおうという考えだ。だが、全部が全部気安く話せることはなく、陰で何か言う人はいるようだが、それを気にしていると会長は務まらない。
●嵐山駅前の変化、その149(広場、ホテル)_d0053294_23264986.jpg

 さて、今日の写真について少し書いておこう。消火栓の前に立って撮った1枚がある。この場所には以前、木製の床机があった。ちょうどうまい具合に同じ位置に目印が出来た格好だが、駅前広場の工事は終わったので、この消火栓の前に立って撮影することはもうほとんどない。それにしてもこの消火栓の写真を見ると不思議な気がする。筆者の脳裏には以前の床机が鮮明に思い浮かぶが、それはもうどこにもなく、また誰もそんなものがあったとは知らないでこの消火栓を踏んで歩く。だが、床机の以前にはそこには何もなく、もっと以前には畑か荒地であったはずで、同じ場所がそのように時代とともに変わって行く。あたりまえのことだが、そのあたりまえを自分に置き換えてみる。すると、人間の一生の短さがわかる。こうして書いている筆者は10年すれば70歳だ。今日出かけて疲れたことが、その頃にはもっと疲れているはずで、そのように少しずつ体力が落ちながら、やがてこの世からいなくなる。その残された年月は、今から20年前が昨日のように思い返されることからすれば、一瞬もいいところだろう。つまり、筆者は20年後の80歳に一瞬にしてなるはずだ。またそうなるのは幸運で、その前にぽっくり逝くかもしれない。新しく出来た消火栓の見下ろした写真を見ながら、人生の変化の早さを思ってしまう。そして、今この瞬間の大切さを思うが、そう言いながら、昨夜と同じ場所で同じようにこうして書きながら、あまりの変化のなさに何とも時間がもったいないとも感じている。そうそう、今日はバスを待っている時に、女子大学生がふたり筆者のすぐ横で話していた。ちらりと顔を見ると、20歳くらいか。若さは本人も自覚しているようで、若さ特有の自信めいたものが発散していた。そして、そのうちのひとりはどうも筆者の横顔をちらちらと何度も見ているふうで、たまに筆者も顔をそっちに向けたが、彼女は筆者を見ながら、「このおじさんは何歳だろうか」などと思っているのではないかと想像した。だが、そのすぐ後で筆者が内心思ったのは、「あなたもすぐに50、60になるよ」であった。この思いは、若さを羨んでの意地悪からではない。筆者が言いたいのは、若さはそれだけで価値があるとしても、年齢を重ねた人は自然の摂理にしたがってそうなっただけで、価値としては若いことと変わらないということだ。また、その女性は平均的な顔立ちであったが、にきびがあちこちに出来て、きれいな肌とは言い難かった。そこで思ったのは、女が本当に美しいのはもう数年経った頃で、また誰でもある程度そのようになるが、個人差があって、若い女性の美というものは努力せねば得られず、また保持も出来ないということだ。何が言いたいかと言えば、20歳の女性はたとえば40歳の女性をおばさんと思うだろうが、そのおばさんの方がはるかに美しい場合があることだ。それでまた思い出したことを書いておくと、2年前の地蔵盆で見かけたたくさんのわが自治会の若い母親たちは、今年の体育祭ではそれから2年経っていて、みな確実にその2年の経過が顔に出ていた。それだけ老いたと言ってしまえば非難を浴びるが、2年前に見た時の若さとは違うものが濃厚になっていた。それほどに若い女性は1年単位で変化して行く。もちろん筆者もそうだろう。そのように変わって行きながら、何か内から輝くような別のものが具わればいいが、それは気の持ちようやその他さまざま要因が関係し、簡単なことのようでいてそうではないのだろう。
●嵐山駅前の変化、その149(広場、ホテル)_d0053294_2327727.jpg

by uuuzen | 2011-10-09 23:27 | ●駅前の変化
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