●嵐山駅前の変化、その148(円形階段、広場)
事が今年は去年の倍ほどに達しているという話を、今朝の午前中にあった地元の消防訓練の際に消防署員から聞いた。西京区での統計だ。ずっと減少して来ていたのが、今年を契機にまた増加するかもしれない。



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順調に火事が減少して来たから、これからも減少し続け、やがてはゼロになるという見通しは、どうやら甘いようだ。消防署の指導が徹底し、たとえば今朝のように毎年秋に自治会の住民を集めて消火器の使い方や火事、地震への備えを説いても、また義務づけられた火災報知器を設置しても、火事は減少するとは限らない。そのために消防署が存在しているが、さきほどTVを見ていると、東京に大地震が生じた際の起こり得るさまざまなことを説明している中に、火事が起こるとそれが大規模になり、炎の竜巻が起こって、大きな川の対岸にいても、200度に達した空気によって肺がやられると言っていた。関東大震災から100年近く経とうとしているので、もうそろそろまた東京に直下型の地震が生じておかしくないことを誰しも感じている。大正時代とは違って、人口が増えたこともあって、被害がどうなるかは素人には予想がつかない。火事により死者がいくら出るかなど、すでに計算済みのようだが、そのようなシミュレーションどおりになる保証はなく、3月の大震災のように、被害を過少評価し過ぎていていたという結果にならないとも限らない。それでも不思議なもので、東京の首都機能は増すばかりで、地震があればあったでそれは仕方のないことと諦めているところもあるような感じさえする。それだけ地震が遺伝子レベルで慣れていると言おうか、避けられない運命と割り切っているのだろう。そして東京にまた大地震があっても、今の知事では東京を再生して、もっと巨大な都市にすると言うに決まっている。そのことは、3月の巨大地震でもわかるように、人は放射能の恐怖があっても以前と同じ場所に住みたいということからもわかる。東京全体が地震で壊れても、そこに土地を持っている人は瓦礫を撤去して同じ場所にまた家やビルと建てる。なくなって取り返しのつかないのは人命だけと言ってよいが、これも数で見ればどうにでもなるもので、また産めばいい。関東大震災で大勢の人が死んでも、その何十、何百倍以上の人がまた湧くようにしてこの世に生まれて来た。そう考えると、東京にまた巨大な地震があっても、何も変わらない。変わるとすれば地震にもっと強いビルを建てる程度のことで、それは耐震補強工事という名目で、日本全国で事は進んでいる。だが、産めばいいのはそのとおりでも、現在の少子化がどうにも食い止められないから、地震で東京の人口が半分ほどに減っても、それが元どおり、あるいはその倍に増えるのは長い年月がかかっても不可能かもしれない。つまり、今度東京で巨大地震があると、その後どうなるかは、研究家が寄ってたかっても、予想がつかないことがあるのではないか。そのことは3月の原発事故を見てもわかる。専門家の言うことが全く当てにならないことを実証したことにおいても、その地震は今後記憶されるように思う。専門家の考えが、実は普通の人以上に眉唾ものであったということが国民に支配的になれば、専門家たちは困るから、そこはまたどうにかうまく言葉を費やして、自分たちの安泰を図ろうとするが、TVを見ていると、そのようなつまらない専門家ばかりがしたり顔で発言しているように思え、そうした放言を毎日聞かされると、こっちの精神衛生上きわめて悪い。全くあたりまえのことばかり1、2分間ほどコメントしてお金をもらえ、日本全国に顔と名前が知られるのであるから、ぼろい商売と言える。
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 消防訓練が済み、午後から予定していたように、大阪に出た。夜7時半頃、千日前の商店街を歩いていると、旗を掲げたバス・ガイドのような女性を先頭に、ぞろぞろと女子生徒の列が後方からやって来る。ちょうどその付近は両側とも大きなパチンコ屋があって、派手なネオンと音が氾濫している。夏の制服姿の生徒が歩いてはよくないような場所だ。その不釣合いで奇妙な行進が珍しく、立ち止まって、彼らが過ぎるのをやり過ごすことにした。50名ほどの女子が続いた後、今度は男子が続き、そしてまた女子、男子の列があって、最後尾には柔道でもやっていたような50歳ほどの頑健な男の先生がひとり陣取っていた。修学旅行生であることは一目瞭然だが、たいていの生徒が持つ大きなお土産袋を見ると、「奈良」と書いてあった。今日は奈良に行き、その足で大阪に来たのだろう。筆者は修学旅行生を見ると、どこから来たか気になる。それで無言で歩く彼らのうち、とても小柄な男子に声をかけた。「どこから来たの?」「青森」。東北の果てから来ていることに驚いた。大阪や奈良、京都の中学生が青森に修学旅行で行くだろうか。そんな話は聞いたことがない。これは不公平ではないか。だが、世の中はそのように常に不公平なものだ。青森から来た彼らのうち、大人になって大阪に来る者はおそらく半分にはとても満たないはずだ。青森の人たちはそれを知るので、せめて義務教育の間に、奈良や京都を一目だけでも見せておこうというのだろう。だが、200人近い生徒が、ぞろぞろと夜の千日前の商店街を歩く光景は、どこか残酷にも見えた。彼らはいずれ東京に出て働くかして、同じような繁華街に慣れるだろうが、修学旅行でわざわざそういう場所を歩く必要はないように思う。そこを歩くしか、貸し切りバスに乗ることが出来なかったか、あるいはホテルに行くことが出来なかったのだろうが、日本中から、大阪と言えばそのような界隈という印象を持たれているのであれば、大阪にとって不名誉ではないか。もちろん彼らは昼間には大阪のもっと別の場所を見たかもしれないが、千日前の商店街はないと思う。だが、こう見ることも出来る。ちょうど彼らの行進の真横に、どこから見ても不良そのものの恐い兄さんがいた。そういう姿を一瞥しただけで、彼らはそこが大阪のどういう場所であるかを知ったはずで、反面教師の意味合いからも、繁華街を歩くことは社会勉強として価値があるかもしれない。また、大阪には千日前以上にディープなところがいくらでもあって、夜の千日前を修学旅行生が歩くことは、観光としては安全で健全過ぎるとも言える。さらにこうも考えた。筆者は青森に行ったことがないし、これからもそうであろうから、彼らの方が見聞は広いことになる。その意味でも、青森の生徒が遠い関西に修学旅行に来るのは、人生にそう何度もない経験としてとても重要なことなのだ。また、青森から東京に修学旅行で行くのなら、距離的にもはるかに近いのに、関西に来ることは、それだけ関西が日本ではさまざまな大きな価値を持っていることを示し、そのことを関西人は素直に喜んでいいだろう。さて、今日は去年11月22日の嵐山駅前の写真。次回も同じ日に撮ったものを3枚載せる。火のように赤いというほどではないが、紅葉する楓の大きな木が写っている。木などまた植えればいいということだ。
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by uuuzen | 2011-09-25 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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