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●嵐山駅前の変化、その146(広場、ホテル)
劫になることがないと言えば嘘になる。このブログのことだ。だが、そんなことを書けば、読む人は気が滅入って、なおさら読むのが億劫になるだろう。



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億劫だと思う理由は、明日、小学校の講堂で敬老会があり、筆者は出席せねばならないからだ。70歳以上の人が200名近く集まり、さまざまな催しが開かれる。その準備が朝8時半から始まる。筆者は朝が苦手で、今日はいつもより早く寝ようと思うが、習慣は突然改まらない。今午後11時10分だが、これを書き終えて投稿するのは1時を回るだろう。この1か月ほどは、投稿が日が変わっての深夜になってしまう。1日がとても短い。今日もいったい何をしていたのかと思う。気づけばもうこんな時間だ。明日は昼休みもなしに午後3時過ぎまで学校に拘束され、次の日曜日は午前中に消防訓練があって、それにも出て、最初の挨拶もせねばならない。またその日は午後から大阪に出るつもりでいるから、落ち着く暇がない。そんな予定があるからでもないが、以前からブログに書こうと思っていることになかなか手がつかない。今日は朝からそれを書こうと思っていたが、今になってどうにも気分が重い。そのように、気になりながらも書かずにいることがいくつもある。それでいつもの無難なカテゴリーに戻り、雑感を書くことにしよう。この雑感もさきほどから何度か迷った。つまり、この駅前の変化シリーズにするか、以前撮ったまま、没になってしまいそうな写真を載せるかだ。前者は写真にほとんど関係ないことを書いているので、後者より気が楽だ。それで前者にするが、掲載すべき写真が4枚あるので、段落数は3つか4つは必要だ。ここで書いておくと、去年11月15日の撮影だ。書き終えてから風呂にり、床に入るのは2時を過ぎるだろう。これではいつもと同じで、明日8時頃に小学校に行くことが出来るだろうか。それはいいとして、昨夜はタオルケット1枚で寝たから、とても寒かった。5時頃に目覚めた。すぐにトイレに行ったが、寒くて寝つけなかった。それでもやがて眠りに入った。今夜も同じ寒さになりそうだ。1週間前は上半身裸で過ごし、麦茶を2,3リットルも飲んでいたというのに、台風が過ぎて季節が一変した。そう言えばお彼岸で、暑さもおしまいということだ。今日は彼岸花が咲き始めたというニュースをラジオで聞いて、すぐに3階から見下ろすと、以前畑であったところが住宅建設用地に変貌したから、そんな植物が生える場所がない。去年はその畑にはたくさんの彼岸花が咲いたのに、1年で風景は激変する。彼岸花を見ようと思えば、さてどこに行けばいいだろう。今日は日中そんなことを考え、そしてNのことを思い出した。25年かもっと以前、筆者は彼岸花を写生したいと思った年があったが、彼岸がとっくに過ぎた頃で、さてどうしようかとそのことを大阪のNに電話で話した。すると、Nはすぐにバイクに乗ってやって来た。それで探しに行こうというわけだ。桂川の土手でわずかに咲いているのを見かけて写真に撮ったが、すでに萎れ気味で、あまり役に立たなかった。
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 そんなNが死んだのだなと今日は改めて思い出した。声を聞くことが出来なくなったり、姿を見られなくなったことを思い続けるとさびしさがこみ上げる。そのため、なるべく思い出さないのがよい。ところで、今ラジカセで聴いていたキャプテン・ビーフハートの音楽が終わったが、最近はすっと彼のCDばかり聴いている。それで思い出したのは、30年数年前のことだ。京都に出て来てひとりでアパートに住んでいた頃は、ザッパの曲はもちろんだが、ビーフハートもよく聴いた。一度従姉の小学生の息子が用事で来たことがある。その奇妙な音楽のちょっとした部分をすぐに覚えた。当然何の意味か知らないが、そういう音楽もあるのだと子ども心ながらに思っただろう。結局その息子はロックにさっぱり興味のない大人になったが、今同じ曲を聴かせると、はたして30数年前を思い出すだろうか。おそらくそれはないだろう。だが、筆者ははっきりと覚えている。その同じ音楽を最近また何度も聴きながら、それが60年代のものとは思えないでいる。古い新しいとはいったい何か。知らないものは常に新しいのではないか。そして、ビーフハートの曲はどれもよく知っているが、それでいてさっぱり知らないとでも言うような不思議さがあるため、いつまでも新しい。そのビーフハートも次第に枯れるようにして年齢を重ね、ついに死んでしまった。だが、その音楽を聴くと、そこに彼の元気な姿が蘇り、こちらまで元気になる。あたりまえのことだが、そのあたりまえが不思議だ。今日はムーギョに行きながら、ビーフハートの曲の中にあまり物悲しいものがないことを思った。ザッパはなおさらだ。そのことを昔サイモンさんと話したことがある。その理由は何かというわけだ。サイモンさんの考えは筆者とは少し違うようであったが、結局最終的には同じことを言っていたのだと思う。ザッパの曲に物悲しいものがない理由については、別にまとまって書くつもりでいるので、ここでは書かないでおくが、ビーフハートの場合はザッパとは違って、その物悲しさをあまり否定しなかった。そこがビーフハートの魅力でありながら、ある意味では欠点にもなっている。だが、それを欠点と思うのであればそういう曲は聴かないでおけばいいし、筆者はなるべくそうしている。だが、ビーフハートにもそういう曲があることを知っていることは、ビーフハートをより親しみやすい、人間性に溢れた人格と思わせる。そして、そう思いながら、その物悲しい曲を避けて、活発で奇妙、派手な曲ばかりを聴くことが楽しい。つまり、ビーフハートにも弱さのようなものがあるが、それを抱えながらも、前向きに活動した姿勢を凝視するのだが、そのことで勇気づけられる。
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 先日書いたが、嵐山公園らしき場所で、終日フォーク調の歌が鳴り響いて来た。60年代から70年代に日本ではやった典型的な調べで、そのあまりの泣き節に筆者は嫌悪感を催した。そういう短調のコードばかりの曲に酔い知れて歌う者の心境がわからない。昔ラジオで聞いたことだが、カントリー・アンド・ウェスタンの歌手はおおむね早死にするそうだ。悲しい曲ばかり歌い続けることがその理由らしいが、それもあるだろう。だが、そうなるとブルース専門の音楽家はどうなるのか。短調のブルース曲はもっと悲しい。だが、たいていは派手なロックとして聴くので、気が滅入ることにはならないのだろう。短調であるから、どれも悲しいというのではない。曲全体の調べによる。それはともかく、ビーフハートに戻れば、作品が作者をイメージづけることを今さらに思い、何かを公にすることの意味の大きさを知る。たとえばの話、こうして書いていることでも同じだ。ここで気が滅入るようなことを書けば、筆者がそういう人物として見られることになる。それでもかまわないのであればいいが、他人の気を滅入らせることは誰しも好まないであろう。であるから、先の泣き節のフォーク歌手が理解出来ないが、本人はそういう気が滅入る曲を歌うことで、カタルシスを味わい、気分がいいのだ。つまり、そのためになおさら、そういう曲を筆者は聴きたくない。そして、自問するのは、このブログにしても、どこかそうした短調のフォーク曲的な部分があるかどうかだ。あるならば、そうならないようにしたい。これは、内心は短調フォーク曲的な思いを抱えているにもかかわらず、それを表に出さないということだと受け取られると思うが、実際はそうではない。表に出さないことは、内部にもないからと自ら思い込んで行動することであり、そのことで、自他ともに本当の精神の強靭さを持っているように映る。そのことには修練が必要かもしれない。それを重ねた段階で、ある時一切の短調フォーク曲的な、つまり気の滅入りは内面から消え去る。禅僧はそういう境地に至った人たちであろう。こうして書きながら、筆者には今後ブログに書く、あるいは別のところに書く、そして、あえて書かないさまざまな事柄を思い浮かべ、案外重要なことを今夜は書いていると思っているが、読者には何のことかさっぱりわからないだろう。であるから、話をまたビーフハートに戻すが、簡単に言えば、活力をもらえる音楽ということだ。音楽とは元来そういうものであるから、短調フォーク曲でも元気を受け取る人はあるだろう。それはそれでいいのだが、筆者が思う活力とは、もっと絶対的とも言うべきもので、それは悟りに近い。一旦それを知ると、もう迷いがないとでも言うようなものだ。であるからこそ、今もなおビーフハートの曲を昔と同じように聴くことが出来る。ビーフハートのことをこんなに書きながら、今月末の思い出の曲のカテゴリーの投稿を、ビーフハートにしようかとは思っていない。それはそうと、今日は昼間は2,3時間ほどラジオの京都放送を聴いた。途中で眠くなったので、机にうつぶせになって眠り込んだが、ラジオから流れる日本のロックで10分ほどで目覚めた。それはビーフハートそっくりな曲で、バックに女性コーラスの合の手も入っていた。途中から聴いたこともあって、残念ながら、演奏者の名前がわからなかった。もう二度と聴くことがないであろう。筆者好みの派手な曲で、TVでは絶対に出演しないような変なバンドに思えた。筆者が知らないだけで、今の日本の若者のロックにもいいのがありそうだ。書き終えた今、0時40分だ。少しは早く眠りにつくか。
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by uuuzen | 2011-09-23 23:59 | ●駅前の変化
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