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●岐阜城と商店街、その1
阜市に行って来た。先日の10日、日帰りで、家内と一緒だ。岐阜は二度目だ。前回は2005年8月、岐阜県美術館に展覧会を見に行った。その時の感想はブログに書いた。もう6年も経つ。



岐阜の思い出はなかなかよかった。今回、そのよかった岐阜の空気を家内に吸わせようと思った。それだけが理由ではなく、このブログの先々のために行っておく必要を感じた。本当は先日TVで紹介された郡上八幡に足を延ばしたかったが、日帰りでは少し難しい。不可能ではないが、まず岐阜市内を知ってから、その次の機会でもよいと考えた。この岐阜行きについて、何回かに分けて書くつもりでいるが、少なくて2回、多くて4回か。本当は連日続けて書くのがいいが、飛び飛びになると思う。今日は疲れてもいるので、いつもの駅前の変化シリーズにしようと思ったが、掲載写真を確認すると4枚だ。これでは段落数が多くなる。それでもっと短くて済むものにした。だが、こうして書き始めて、短く済むのかどうかわからない。ともかく、岐阜行きは、思っていた空気に触れることがさほど出来なかったが、家内は気に入ったようだ。独特の雰囲気は京阪神にはないものだ。半ば冗談だが、出来ることならば、老後は岐阜に住んでもいい。ただし、市内のどこでもいいというのではなく、必ずここという場所がある。それは次回に書く。6年ぶりの岐阜は、JR駅前がえらく変わっていた。姫路もそうなので、全国的に同じ傾向にあるのだろう。21世紀にふさわしい駅前ということだ。6年前は駅前から市バスに乗って金華山に行き、とても近い感じがした。また、街の雰囲気を味わいたいので、歩いて金華山に行くことにした。ネット地図で調べると、3キロほどだ。それならムーギョに行くのと変わらない。もちろん家内はどこに行くのか知らないから、いつものように筆者のかなり後方を歩く。あまり離れると知らない町なので具合が悪い。それでせいぜい50メートルほどを保ったが、それでも振り返ると100メートル以上離れたこともあった。そのたびに家内の姿がもう少し大きく見えるまで待つ。家内はバスに乗らないのが不思議であったろう。それに当日は猛暑で、気温が33度あった。路面上は40度はあるだろう。日陰を探しながら歩いても、正午近い陽射しではどうしてもまともに頭上から光が注ぐ。もっと秋が深まっていればよかったのに、よりによって猛暑日になってしまった。10日は家内の職場の最後の夏休みであった。今年は旅行に行っていないと言っていたから、ならば日帰りでもいいかと考え、筆者の好きなところにした。そこそこの旅館かホテルに泊まって、温泉に浸かりながら夜は豪華な食事というのを家内は求めているが、筆者はあまりそういう趣味はない。もっとも、これは懐具合による。筆者は物事を決めると行動はとても早い。旅もひとりで勝手にあちこち行く方が性に合っているが、あまりそういう極気楽(ごきらく)トンボばかりしていると、家内の恨みが積もる。
●岐阜城と商店街、その1_d0053294_1112831.jpg

 岐阜駅前から歩いたのは、いくつかの理由がある。バスに乗れば目的地に着くのは早いが、早く着くのが目的ではなかった。いくつかの目的はあって、そのほとんどは徒歩でなければならなかった。毎日散歩がてらにムーギョに行くのと同じように、筆者は知らない町でも歩き回るのが好きだ。自分の足で歩いたところだけが、記憶に強く残る。それは仮想ではなく、現実の経験だ。仮想の楽しみもよく知っているが、一方で確かな現実を積み重ねなければ、その仮想も弱いものになるだろう。そう言えば、昨夜見た夢は面白かった。目覚めてから考えたことは、夢に出て来た出来事とそのリアルな映像は、かつて経験したことではなく、また映画に見た場面でもなかった。完全に新しい、初めて見る光景だ。そういう光景が、細部に至るまできわめて鮮明であるのはどういう理由からだろうと考えた。筆者は、夢に見る映像は記憶にあるものが微妙に変形、合成したものと信じているが、どうもその法則に合わない夢であった。となれば、どうしてそのリアルな、経験したことのない映像が頭の中に思い浮かぶのか。そこが理性が眠っている時の不思議で、そういう映像は目覚めている時には思い浮かべることが出来ないのではないか。だが、こうして書いていてはっきりと思い出すことが出来る昨夜の夢は、ひとつの確かな現実的な経験として想起することが出来る点において、夢ではあるものの、これから見るであろう同じようにどこに由来するかわからない、全く新しい映像としての夢とは、異なる。夢も現実の世界も、未経験な場合は同じ意味を持ち、また経験した後は両者はやはり同じ意味を持つ。その意味においては、夢も現実も変わらない。つまり、夢は経験したことの変形では決してない部分を持ち、現実と同じく、人は夢の中で未知な経験をし、未知なる光景を見る。ところが現実とは違って、自分の意思とは無関係に勝手に映像が浮かぶので、現実以上に戸惑いがあり、その点では強い記憶となる。夢について考え過ぎると、また変な夢を大量に見る気がするのでこれ以上書かないでおこう。さて、金華山に向かって歩いていると、とある料理屋の店先の飾り窓に、蚕鈴を模した土鈴がふたつ置かれていた。筆者のホームページは、この蚕鈴を賛美して、その形をボタンなどに使用している。この土鈴は、蚕がたくさん糸を吐くように、ネズミがやって来るのを防ぐ目的で昔から作り続けられているもので、中島一夫という人が何代目かで制作していることを、10年ほど前、郷土玩具に急速に関心を抱いた頃に知った。図書館で借りた本にその人の住所が載っていて、早速その鈴を分けてほしいと手紙を送ったところ、あいにく体調が思わしくなく、作ることが出来ないといった返事をもらった。その手紙はまだどこかに保存している。入手を諦めていたが、その後、骨董屋や、弘法さんや天神さんの市で見つけかたり、またネット・オークションを始めてからは、そこでも買うことが出来た。今もなお筆者はこの鈴を集めているが、大きさの異なるものを全部ほしいと思っている。だが、作者や制作年代によっても形が異なる。いったいどれほどの種類があるのか、全貌はわからない。高さ60センチほどの巨大なものもあるが、これはまだ入手していない。
 岐阜のバス道路に面した店に飾ってあった蚕鈴は、中島一夫さんのものとは違う。厳密な意味で郷土玩具とは呼べず、別の作家が近年作ったもののはずだ。だが、そのデフォルメした形はかなり手馴れた作家の手になるはずだ。中島さんは筆者が手紙を送った数年後に亡くなり、現在は高齢の奥さんがぼつぼつ制作しているようだが、中島さんが手がけた土人形は非常に種類が多く、蚕鈴のそのうちの1点で、代表作とは言えない。そのため、奥さんもこの鈴を熱心に作らず、干支ものなどで手がいっぱいのようだ。中島さんがひとりで手がけていた土人形は「起(おこし)」と呼ばれる。これはかなり好き好きがあるようで、嫌いな人は見向きもしないが、ファンも多い。筆者は蚕鈴以外に興味はない。蚕鈴はほかにUFOの形をした赤いものや、俵型など、いくつか種類があるが、筆者が絶賛したいのは宝珠型だ。バス道沿いの店で見かけたのは、宝珠型とUFO型(こう呼ぶのは筆者だけ)の2種だが、目が吸い寄せられたのは当然前者のみだ。昼食を終えていたので、その店に入ることはなかったが、営業している雰囲気もなかった。どこで作られたものか、またどこで売られているかを知るには、その店に訊ねるのが一番だろう。その機会を得るには、また岐阜に行かねばならない。ところで、3日前、2階に置いてあるパソコンでストリート・ヴューを久しぶりに起動した。だが、以前のように、路上に360度の風景が詰め込まれた球体が出ない。おかしいなと思って一旦グーグル・アースを削除し、ダウンロードし直した。それでも同じことで、どうすればストリート・ヴューが見られるか、しばし悩んだ。すると、細長い人の形をしたオレンジ色のアイコンを道路上に移動させれば、ストリート・ヴューが展開することがわかった。以前のように、道路上に浮かんだ球体はどうしても出現せず、その理由をあれこれ考えたところ、1か月ほど前、インターネット・エクスプローラーの8をダウンロードしたことを思い出した。TWITTERにまた投稿出来なくなったので、そうしたのであったが、そのヴァージョン・アップとともに、ストリート・ヴューは、球体が出現するヴァージョンではなく、もっと使い勝手のよいものに自動的に変化したのであろう。それしか理由が考えられない。それはともかく、ストリート・ヴューによって、筆者と家内が歩いた道路のどこに、ウィンドウに蚕鈴を飾る店が位置するかを確認したかったのだが、その付近であろうと思われる箇所に、トラックが通過していて、店頭は遮られていた。あるいは、飾り窓があまりに小さいので、ストリート・ヴューでは見えないかだ。
 全く予期していなかった蚕鈴に出会えたことは、バスに乗らずに炎天下を歩いたことの褒美みたいなものだ。家内は関心がないが、筆者は感激は大きい。ほとんどそれだけでも岐阜に行った甲斐がある。話を戻して、3日前ストリート・ヴューで遊びながら、蚕鈴について調べ直すと、意外なことがわかった。中島一夫さんが住んでおられたのは、現在は一宮市になっているが、何度も市町村の合併があり、地元の人でもどのように合併が繰り替えされて来たかわからなくなっているほどだ。筆者は全く土地勘がないので、中島さんは蚕鈴を売る寺の近くで制作していたものとばかり思っていたが、実際はそうではない。以前から蚕鈴のことを何度か調べ、それが美江寺という寺でずっと販売されていることは知っていた。この寺のある町は、尾西市という、これもどこに正確に位置するのか知らない町で、行くこともまずないと思っていた。だが、岐阜市役所のホームページで知ったが、蚕鈴を売っていた美江寺は奈良時代後期の十一面観音を有する有名な寺で、岐阜市役所からすぐのところだ。これにびっくりした。ストリート・ヴューでは岐阜市役所前の鵜のブロンズ像もはっきと見えるが、10日は家内と一緒にその前を通った。その少し北に東西に走るバス通りがある。その北東角にビルがあり、婚礼の引き出物用の鰹節などを売る店が入っていて、その看板を、信号待ちをしながら南西角で見た。その角を2分ほど西に行くと、北側に美江寺がある。ストリート・ヴューでそれを確認すると、そこまで行ってはいないが、行った気分になれた。その寺で昔はいくつかの業者が蚕鈴を持って来て販売していたそうだが、その頃は岐阜では蚕を飼う家が多かったことになる。となれば岐阜独特の織物が盛んであったはずだが、そういうものは聞かない。岐阜の有名な産業は何であったのだろう。戦前は繊維であったことは充分にあり得る。だが、絹糸だけを産出し、それを各地に送り出していたのかもしれない。それはともかく、長年気になっていた美江寺のすぐそばを歩きながら、今頃それを知ったとは、筆者の蛍光灯ぶりはそうとうなものだ。ともかく、岐阜とは無関係と思っていた蚕鈴が、そうではなかったのであるから、岐阜はなおのこと好きな町になりそうだ。二段落で終えようと思っていたのに、その倍になった。下の写真は、高さ2メートルの手作りしてふたつ並べているCD棚の、その片方のてっぺんに飾っている蚕鈴だ。これ以外にももっと小さなものを持っている。
●岐阜城と商店街、その1_d0053294_112657.jpg

by uuuzen | 2011-09-19 23:59 | ●新・嵐山だより
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