●嵐山駅前の変化、その145(ホテル、売店、脇道)
声が風に乗ってよく聞こえて来たが、午後7時には終わったようだ。その頃、家内が、明日も休みだと言うので、初めて連休であることを知った。



平日も祝日も筆者には関係がない。日にちすら覚えないので、何かの用紙に日にちを書き込まねばならない時、そばにいる他人に必ず、「今日は何日ですか」と訊く。さすが何月であるかは知っているが、これを書きながら、今日が何日かを知らない。16日か17日か。今確認すると、もう18日ではないか。それはさておき、これを書きながら、キーボードの操作をどこで間違ったのか、「まだ」と打つと、「もちしち」と出る。カナ入力になったのだが、これを元のローマ字入力に直すのに、1時間ほどかかった。こういう初歩的なことを正確に覚えないまま、ここまで来たが、ローマ字入力に直せたものの、相変わらずどこをそう触ればそうなるかを知らないので、今度また同じことがあると、また1時間かかるだろう。筆者は学習能力に欠けるようだ。それもさておき、今日はいつものように午後7時前にムーギョに向けて歩くこと以外、外出しなかった。昨夜は11時頃に家内にコーヒー(インスタント)をビールのジョッキいっぱいに作らせてガブ飲みしたが、そのためか目が冴えてなかなか眠れなかった。実際のところは、久しぶりに同じようにコーヒー(熱いのをカップ一杯)を飲んだ家内が、何度も寝返りをしつつ、眠れないことの立腹にため息ばかりつき、その耳障りな声のために、何度も眠りに落ちかけながら目が覚めた。結局、筆者も眠られず、家内に悪態をつきながらタオルケットと枕を持って1階に行き、板の間にそのまま寝た。真夏同様の暑さなので、風邪を引くことはない。ひとりになった家内はようやく眠ったであろうが、朝6時には起きていたから、睡眠3時間ほどだろう。家内はいつもそうだ。もうすぐ58になるが、完全に老人だ。老人になると眠れないと家内は言うし、コーヒーを飲んだために布団の上で3,4時間も眠りに入ることが出来ないのは、どこかおかしいのだろう。筆者は6時に階下に来た家内に一旦起されながら、そのまま同じ場所で眠り、10時過ぎに目覚めた。玄関の向こうに人の気配を感じたからだ。女性ふたりがドアの前でごそごそしている。飛び起きて家内にそのことを言うと、家内はドアを開けた。見知らぬ女性ふたりが、また『目ざめよ』のパンフレットを2冊手わたしてくれた。しばらくこの「エホバの証人」の勧誘人はやって来なかったが、わが家と名前はどうやら登録されていて、ほとんど毎回違ったふたりがやって来る。それにしても、「目覚めよ」で目覚めた日曜日とは、何とも愉快と言おうか、無様と言おうか。今回の「目ざめよ」の内容は、お金に関する特集と言うが、まだ開いていない。そう言えば、『聖書』には金に関するどんなことが書かれていたろう。宗教も金がなくては回らない。カラー印刷の「目覚めよ」も資金があってのことで、宗教に賛同した人はみなお金を納める。それが信心の証しだ。いつの時代も、集金能力が一番高い方法は宗教だ。しかも今の日本では無税であるから、ますます庶民とは乖離した考えを抱きがちになるのではないか。そう言えば、10日ほど前、梅の宮神社の北東角の道を歩いて驚いた。そこは筆者が京都に来た頃は鬱蒼とした森で、京都でも珍しいフクロウが住んでいて、毎夜ホーホーと鳴く声がよく聞こえた。その樹木がすっかり切り倒され、広い駐車場になった。収入源のためだ。その駐車場の一画が、今度は大きな住宅が3軒建つ。駐車場より儲かるからだ。駐車場は、かろうじて以前の石垣がそのまま残って、そこが神社の神聖な領域であることを誇示していたが、宅地にするには、自家用車の出入りのためにその石垣を撤去しなければならない。おそらく10年後には駐車場全体が宅地になっている。神社を守る神主も人並みに生きていかねばならないから、敷地を切り売りするというのはいたし方がない。寺が境内の一画を墓地にするのと大して変わらない。鬱蒼とした樹木など誰も喜ばない。ならば、住宅でも建って、人が住む方が人のためだ。
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 話を最初に戻す。インスタント・コーヒーは、筆者は通常は飲まない。だが、豆を切らしているため、またアイス・コーヒーを作るにはインスタントの粉末は便利で、今年はかなり飲んだ。氷で薄まるので、濃い目に作るが、500ミリリットルがちょうど入るジョッキの8分目ほどの量、ただし氷をたっぷり入れるが、これを作るのに、小匙で3倍ほどの粉を入れる。砂糖は入れず、また氷がほとんど溶けない間に全部飲むので、普通に飲むコーヒーの3倍は濃いが、そう感じないのは、濃さに慣れて来たからか。ウィスキーと同じで、どんどん濃いのが平気になる。これは舌が鈍感になっている証拠だろう。今年の夏はお盆以降涼しくなったので、このまま秋風が吹けばいいなと思っていたが、また猛暑がぶり返し、これを書いている今(後1分で深夜0時を過ぎる)、上半身裸で窓は開けっ放しだ。それでも暑いので、1階に行って麦茶を500ミリリットルのジョッキ一杯飲んでやろうと考えているが、水分を1日最低3リットルは飲むる。なぜそれがわかるかと言えば、今年の夏はそのキリンの昔のビア・ジョッキを用いて、ビールを初め、コーヒー、麦茶など、日に最低6,7杯は飲むからだ。水分の摂り過ぎと家内は言うが、それはまずいのか。むしろ、水分をたくさん摂るほど、筆者は便秘になる。全部汗に出るからだ。先ほどムーギョを往復した時もそうだ。帰宅すると、シャツは絞ればボタボタと汗がこぼれるほど濡れている。そのために上半身裸になる。9月の中旬を過ぎてこういうことは珍しい。どうでもいいことを書いてしまった。話を変える。今日の日中は、嵐山から歌声が聞こえて来た。そのことを枕に書き始めたのに、脱線してしまった。歌は昨日の昼も聞こえた。昨日は町内の配り物をしたが、渡月橋の方面からジャズの歌声が響いて来た。2,3分あればそれを目で確認出来るのに、面倒なのでそうしなかった。そして、今日は法輪寺の方面からフォーク・ソングがずっと聞こえた。同寺での名月鑑賞会はもう終わったので、同寺ではなく、その近くの渡月橋の畔、嵐山公園からだろう。昨日がジャズだったので、今日はフォークであったか。一歩も外を出ていないので、ムーギョに行く前に、反対方向の嵐山公園に行って、何の催しをしているのか見に行こうかと、家内と相談したが、お互い服装を整えるとその気が失せた。短調のフォークは大嫌いだ。ガンガンとうるさいロックがいい。これは死ぬまで変わらない。ロック爺がろくでもないロックを聴く。いいではないか。それで、ふたりでムーギョに行くことにした。筆者は徒歩だが、定期券を持つ家内は阪急を一駅分だけ乗る。ところが、いつも筆者の方が先に松尾駅に着く。わが家から早足で15分はかかるが、嵐山での電車の待ち時間がそれくらいになるのだ。出かける際、筆者は大きなビニール袋とスコップを持った。昨日引き抜いた雑草を始末するためだ。松尾駅で家内を待つと、すぐに電車が来た。家内の顔が窓に少し見えた。ふたりで橋をわたり、筆者は作や雑草を抜いてそのままにしている場所で作業があるからと言って、家内を先に行かせた。スコップがあれば簡単に根が掘り返せると思ったが、間違いであった。右手のあちこちを傷つけ、また泥だらけにしながら、結局深くて太い根はびくともしない。コンクリートをかなり剥がさねば無理だ。昨夜抜いたものは干からびて容積が小さくなっていたが、ちぎれて散在するものも全部袋に詰めた。家内は、犬が小便を引っかけた雑草なので、それを素手で触るのは汚いと言うが、手は洗えば済む。そのほかの小さな雑草もついでに引き抜いたので、当分の間はスミレは天国気分だろう。そのほかの植物が出現すればまた抜いてやろう。家内はいっそのこと、スミレを抜いて家で植えたらと言うが、そうしても根づかない。以前、種子を拾って帰って植えたが、発芽しなかった。野草のスミレは気難しい。そこがよい。
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 昨日と同じように、3軒あるスーパー全部に立ち寄り、そのうちの2軒で買った。Sがいればそこでレジをして、家内にSを見せたかったが、休みであった。ということは金と日に休み、週5日の勤務か。パートならその程度だろう。ふたりで出かけたので、買い物はいつもの倍になった。家内は歩く速度が遅く、気づけば筆者の100メートルほど後ろだ。追い着くまで待ち、またさっさと歩くと、いつのまにかまた100メートル後方だ。だが、雑草を引き抜いたり、カメラをで何かを写している間に、家内が筆者の前方100メートルということもよくある。まるで兔と亀だ。そう言えば筆者はウサギ年の生まれだ。買い物を済ませて来た道を戻ると、橋をわたった頃に嵐山行きの電車が来る予感があった。それは正しかった。重いキャベツを急いで家内にわたした瞬間、電車がホームに入って来て停まった。家内は慌ててそれに飛び乗った。今度ばかりは筆者が15分ほど遅れて家に着く。さて、一段落には少ないので、もう少しどうでもいいことを書く。家内と別れて、両手に重いスーパーの買い物(左手は雑草入りの袋に買い物を少し足した)を提げながら5分ほど歩くと、ほとんど街灯だけが見える暗い道に至る。バス道の裏手だ。ここを歩くとわずかに距離が長くなるが、バスや車がたくさん通る道の恐怖がないだけよい。その道に点在する街灯が照らす物として、マンホールの蓋がある。これは下水管を直線に結ぶ。筆者はほぼ必ずこのマンホール上を歩き、マンホール間は最短距離、つまり直線を守る。このマンホール間の距離は、道の曲がり具合に関係する。その道はわが家の裏庭のすぐ向こうを流れる小川がずっと沿っていて、蛇行している。したがって、マンホール間は長くて35歩程度だ。またあまり車が通らないこともあって、筆者は目をつぶったままそのマンホール間、つまり地中に埋まる下水管の真上を歩く。前にも書いたが、30歩ほどは目をつぶって歩くが、20歩を超えると、不安が急増する。左に曲がり過ぎると、小川沿いのガードレールにぶつかる。右にそれると畑に転落するか、家にぶつかる。この危ない遊びによって、だいたい次のマンホールまでの歩数が把握出来るようになり、また、マンホールではなく、遠くに見える目印までの歩数もわかるようになって来た。偉そうなことを言うが、時には数十歩も間違える。目をつぶって歩くと、聴覚だけが頼りで、耳が驚くほどよく聞こえる。これは新鮮な気分をもたらす。それにたとえば、目測した歩数を数え歩き終えた時に目を開けると、到達すべきマンホールの蓋からどれだけ離れているかがわかるが、それがあまりに違うと、がっかりしながらも、目をつぶってまっすぐ歩くことの難しさが改めてわかる。そのようにして次々と現われるマンホールの蓋で遊ぶのだが、目を開けた時に、車や自転車が接近していることがしばしばあるから、あまり夢中になるのはよくない。マンホールは道の中央を通っていることがほとんどであるから、そこをふらふら歩いている筆者を見て、人は変に思うだろう。今日はそんなことがあった。目を開けた途端、すぐ左手の暗闇に老婆が座り込んで涼んでいた。筆者の方を見ていことがわかって、ぎょっとしたが、目をつぶって歩いていることを悟られたであろうか。真っ暗な道であるし、顔はほとんどわからないが、目覚めた瞬間に目に入った老婆は、筆者に「目ざめよ」とテレパシーで言っているようにも一瞬思えた。つまらない話で茶を濁した。今日は去年11月9日の写真を3枚。
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by uuuzen | 2011-09-18 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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