●嵐山駅前の変化、その141(広場でのセレモニー、その3)
太の筆を使って書かれた書は、その後どうなったのだろう。書道家が持ち帰ったのか、廃棄されたのか。パフォーマンスにこそ命があるとすれば、処分されるのがよかったであろう。



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背丈より高い箱に貼られた紙に書かれたから、それを剥がすのも大変なことで、おそらく支えになった箱ごと役目を終えたと思う。若い女性書家であったせいか、参列したほとんどの人がその女性に名刺をわたしていた。筆者は名刺を持たないし、また持っていたとしてもそんなことはしない。競って名刺をわたしている姿を見て、男は単純と言おうか、若い女に弱いと言おうか、とても滑稽であった。これが男の書家、あるいはお婆さんであれば、みんなそっぽを向いていたに違いない。また、参列した人々は会社では上役で、肩書きも立派だが、それも会社に勤めているだけの間だけで、定年すればその名刺は過去のものとなって意味も持たない。それを知っているので、彼らは競って名刺を女性にわたしていたのかもしれない。いくら大きな会社のえらいさんとはいえ、その点、自由業で生きてそれなりに名前のある者と比べると、軽いということなのだろう。またそれを自覚しているから、競って名刺をわたしていたのだろうが、サラリーマン、そして男の悲哀を見る気がする。筆者は自治会長の名目で参列したので、これはもっと下のどうでもいい存在だが、そういう身であるからこそ見えて来ることもある。いつだったか、若宮テイ子さんが筆者に言ったことの中に、看板を背負って活動している、そこそこ有名な芸能人は、みなそれなりのオーラがあるというのがあった。そういうオーラはサラリーマンでは身につかないのかもしれない。だが、これは会社の規模にもよるだろう。大会社の会長となると、若手芸能人のオーラごときではないはずで、人間は責任感を自覚してどれだけ長年活動したかでそれなりのオーラが出る。ただし、他人でもすぐになり変われる仕事の場合は、迫力にも限界があるだろう。昨日JRに乗っていると、斜め向かいに、70代半ばとおぼしき背の高い老人と、同じほどの年齢の女性が並んで座り、ふたりが語っていた。男性は自分は有名企業に長年勤務していたことを女性に伝え、話の途中で、「卑弥呼ってご存知ですか?」などと、馬鹿な質問をしていたが、女性は失礼に当たらない程度に言葉を返していた。ふたりの話に気づいて5分ほどして男性は下車したが、その顔つきや服装はどう見ても一流企業に勤務していたように見えなかった。これは勘だが、一流企業にいたのは若い頃のごく短い一時期であろう。あるいは、一流企業とはいえ、工場の生産ラインにいたかだ。服装はカジュアルであっても、その人の経歴を示す。顔はもっとだ。また、二度と会わない見知らぬ人に、自分が一流企業に勤務していたと打ち明けるだろうか。一流企業の立派な職に就いていた人ならば、かえってそういうことを自慢気に言わないだろう。その男性が立ち上がって電車を下りるまでの間、筆者は目で追いながら、さびしさがこみ上げて来た。立派とはとても言えな身なりと雰囲気で、仮に一流企業の戦士であったとしても、定年後にその経歴を打ち消すほどのさまざまな人生の荒波が襲ったのだろう。80近い年齢まで元気でいることは幸福だろうが、その男性の心にどれほどさびしい思いが詰まっているだろうか。だが、誰でもそういう年齢になるし、筆者も四半世紀すればどういう姿になり、60歳ほどの人からどう見られているかわかったものではない。
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 さて、今日は4枚の写真を掲げるが、3枚は以前と同じ角度で撮影している。その題名を書けば、「広場、ホテル」となる。最新では、8月9日の「その132」に「広場、ホテル」と題して投稿しているので、その写真と見比べてほしい。なお、その日、つまり去年10月18日に撮影した写真について少し説明しておくと、駅前広場が完成し、阪急が雇ったカメラマンが書類を片手にした案内の女性をともに、広場を撮影しに来ていた。それは「その131」の投稿を見ればわかる。筆者がカメラを持って広場に行った際、ちょうどその現場に遭遇した。また、駅を下りたばかりの観光客は広場が新しくなったばかりであることを知り、植え込みに設置されたガラス製の「嵐山」の書の看板の前で記念撮影していたが、その様子も写り込んだ。これは「その132」の写真で見える。除幕式まで「嵐山」のガラス看板は丸見えであったわけで、それにまた白い布を被せて除幕式が行なわれた。どうせなら式当日までずっと覆っておけばいいものを、それをするといたずらされる怖れがあったのだろう。これもついでに書いておく。この「嵐山」の二文字は、看板にあるように横書きで書かれたはずだ。そして、横書きでバランスを保っている。ところが、式典当日、参列者に配布された記念の一合枡に印字された「嵐山」の二字は、看板と全く同じ筆跡ながら、縦書きになっている。これがどうにも収まりが悪い。中心線がかなりずれているからだ。そして、それを知って改めてこのガラス看板の二字を見ると、見事とは思えなくなる。この女性書家が、「嵐山」を縦書きしたならば、中心線がずれたようにまとめたであろうか。あるいは中心線などどうでもよいと考えているか、それは知らないが、いずれにしても、見た目に落ち着きが悪いというのは、字のうまいへたに関係なく、まず構図感覚がないからだ。枡に文字を印字する際、デザイナーは縦書きではまずいと思わなかったのだろうか。そうだとすれば3,4流どころに頼んだことになる。また、その完成品を予め書家に見せたのかどうか知らないが、もし見せたとして、そして書家がそれに納得したとすれば、書家の才能もたいしたことがない。実際は、阪急が書家へのギャラをけちって、その二字を自由に使ってよいという契約を交わし、勝手に枡の側面に縦書きで印字したと思うが、そのことを書家は非難出来ないのだろうか。二字はあくまで横書きで書いたもので、それを縦書きにするとバランスが崩れるから、ギャラの問題はひとまず置いて、縦書きの場合はこれを使えと、もう1枚書いてわたしておくべきではなかったか。こうした美的な感覚に関しては、当日枡をもらった人が数十人であり、まず誰もその看板文字の縦書きを注視した人はいないはずなので、ここに書いておく。筆者はとても気になったし、またその一見些細なことに、今回の式典の特徴が出ていると思う。
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 秋は日が暮れるのは早い。書家の「満」字パフォーマンスと名刺交換が終わった後、参列者全員で記念撮影があった。豪華なタトウ紙入りの大型写真は後日送付されたが、この写真がまた傑作で、参列者の中にはまるで顔が写っていない人がいる。また、日暮れであることもあって、前に立つ人の影が後方の人に色濃く写り込んだ。筆者は中央付近に立ち、顔をなるべく写るように心がけたが、それでもこの影で顔の幾分かが隠れた。顔が小さいので誰が誰ともわからにが、当日の雰囲気がよく出ているので、載せておく。この記念撮影はどれほどの意味があるのだろう。最前列の書家は全身が写っているので、ほとんどは書家のためのサービスだ。参列者はお互い知らない者同士の集まりで、もう二度と同じメンバーでは顔を合わせない。そして、年齢からして、定年になった人もあるかもしれない。こんな記念写真でお金を使う意味はほとんどないと思うが、阪急では、電鉄に関するこうした工事の式典ごとに同様の記念写真を撮っているのだろう。そして、く社報に載せるなりする必要もあってのことと思える。ところで、筆者はデジカメを使うようになって自分の写真はほとんど皆無であり、この集合写真はその意味では貴重なものだ。そう言えば、ここ数年、筆者は自分の写真は1枚も持っていない。いや、数年と言わず、10年ほどはないだろう。また、老けて来た今ではもう自分の写真は必要ないと思っているが、その一方で、急死した時など、遺影に困るから、せめて2,3年に1枚くらいは自分の顔が認識出来る写真を撮っておくべきかと考える。還暦になった記念に写真館で撮ろうと思いつつ、まだ実行していない。40歳くらいに撮っておくべきであったが、それを言えば、80歳になると60歳の時に撮っておけばよかったと思っているはずで、思い立った時に写しておくべきだ。たまに写真館の前に立って、男性の記念写真を見るが、どれもあまりいいとは思えず、どうせ撮ってもらうのなら、気に入った技術を持つところにしたい。ところがこれが問題で、そういう店がどこにあるかわからない。また、家内に戯れに撮ってもらうと、これがいつもよくない。かまえてしまうと言おうか、いい表情ではないのだ。家内に言わせると、筆者が一番朗らかで、いい顔になるのは、若くてきれいな女性と話す時だそうだ。これはにやけているだけと思うが、優しい笑顔で、どこかに恥ずかしさも感じているような顔であれば、そういう女性に撮ってもらうのが一番かもしれない。思い出しついでに書くと、息子が4,5歳の頃か、大阪天王寺で博覧会があった。天王寺公園が改装されて労務者が寝転べなくなった時の博覧会だ。その会場で、カメラはこっち持ちで、子どもに動物をかたどった帽子を被せてもらい、コンパニオンの若い美人女性と一緒に記念撮影してもいいコーナーがあった。その女性はTVタレントそのままのとびっきりの美人で、しかも息子を両手でぎゅっと抱き締め、頬まで寄せてくれた。その時、息子は顔を真っ赤にし、今までに見せたことのない恥ずかしさを露にした。その表情を見て筆者も家内も大笑いしたが、数歳の息子でもきれいなお姉さんに抱き締めてもらうことがどれほど緊張を伴なう嬉しさであるかを知っていたのだ。つまり、男は数歳であっても筆者のように還暦になっても同じで、若い美女の前では別人になってしまう。また、自分に対する優しさを感じた場合はなおさらであるのは言うまでもない。さて、記念の集合写真を撮った後、少し休憩があったが、空は見事な夕焼けになった。その写真を最後に掲げておく。
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by uuuzen | 2011-09-10 23:08 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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