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●『視覚の実験室 モホイ=ナジ イン・モーション』
世の感がある。モホイ=ナジのこうした大展覧会が開催されるとは、ようやくという気がする一方で、その裏も考える。



●『視覚の実験室 モホイ=ナジ イン・モーション』_d0053294_1265792.jpgつまり、日本もよほど紹介する芸術家が乏しくなったか、あるいは、あまり知られない人物であるので、入場者数がたいしたことがなくて赤字になっても、かまわないという文化に金を使う先進国になったか、どちらも正しい見方だろう。これまた鳥博士さんにもらった招待券で見に行った。作品数が300、映像作品もたっぷりで、2,3時間を費やすつもりで出かけた方がいい。あるいは二度行くかだ。さて、モホイ=ナジがそう呼ばれるようになったのは、80年代に入るか入らない頃ではなかったろうか。人名を母国語の発音にしたがうことが常識化してからのはずだ。それまではモホリ=ナギと英語読みされていた。ヒトラー政権の誕生後、ナジは渡米してアメリカ市民になるから、モホリ=ナギでも間違いではないが、ハンガリーの生まれ故郷のモホイ村を名乗ったので、ハンガリーの発音にすべきということになったのだろう。筆者がナジのことを知ったのは10代後半だ。バウハウス絡みであったのは言うまでもない。昨日書いたように、筆者の下の妹はバウハウスの影響を受けた大阪市立工芸高校を卒業したが、筆者も中学生の時にその学校に憧れたことがある。結局、美術とは無関係の土木設計の分野に進み、やがてまた美術関係の仕事に戻ったが、遠回りしたことは無駄ではなかったと思う。ナジの著作で読んだのは、『ザ・ニュー・ビジョン』だ。カヴァーを外すと淡い藍色の表紙で、紺色の文字で題名などが印刷されていた。八尾の空き家にその本を置いたままで、今中身を確認出来ないが、読んだのは10代末期だった。また、その本を2冊所有する。もう1冊はある女性からもらった。表紙をめくるとその女性直筆の詩が書いてある。その女性とは、設計会社に勤務していた時に下請けで使っていた会社の社員だ。全く冴えない連中の集まりの会社であったが、その女性は筆者にすれば初めて見るタイプの、ボーイッシュな美人で、正直な話、一気にのぼせ上がった。筆者より、3,4歳下であったと思う。そのことを同僚で先輩のNに話すと、全く無理もないという顔をした。それほど明るくて魅力的な女性であった。ある日、Nはその下請け会社に赴いて打ち合わせをする予定を作り、筆者は同行した。彼女がいて、話は弾んだ。筆者が美術好きだと知るや、モホリ=ナギの『ザ・ニュー・ビジョン』を知っているかと訊いて来た。数年前に読んだと言うと、向こうも話が合うと見たのか、さらに笑顔で魅力を惜しげもなく振り撒く。その後間もなく彼女は会社を辞めたが、辞める前に筆者にわたしてほしいものがあると言って、会社の同僚に『ザ・ニュー・ビジョン』を託した。筆者はその本を持っていると言ったのに、なぜ彼女はその本をくれたのか、その理由がわからない。中に書かれている詩の内容については忘れたが、恋愛に関するものではなかった。いかにも青春に溢れたような内容で、彼女にすれば、『ザ・ニュー・ビジョン』という題名がただ気に入っただけではなかったか。ともかく、ナジと言えば『ザ・ニュー・ビジョン』であり、彼女の快活な美しさを思い出す。当時の筆者はかなり鬱屈していて、とても彼女の耀きの前では自己主張出来ない気後れがしたが、彼女に似合う素敵な男性のイメージが湧かない。奔放、陽気、美人、笑顔と言葉を並べても、彼女のイメージに結びつかず、かといって似た芸能人も思い浮かばず、筆者にとって全く新しい視覚、理想像といった感じがしたが、デートにも誘えないまま去ってしまった。どういう男がものにしたのか、その男が立派であればいいが。
 バウハウスの歴史の最後にナジが登場し、その種をアメリカに移植して死んだ。そのため、ナジの位置づけやその全貌については、専門家でない限り、わかりづらいことがあって、今回の展覧会は、その長年の曖昧になっていたところを一挙に埋める役目を果たす。また、ナジは51で死んでいるが、その年齢にすれば多方面の仕事をした。バウハウスで教えていたので、バウハウスから連想出来る分野はみな手がけたようなところがあるが、日本でよく知られるのは画家としてよりも写真家だろう。その写真はカメラを使わずに、印画紙に直接光を当てて作るものだ。同じ技法はその後日本でも試みる写真家が出たが、ナジの作品が先駆だろう。しかも、ナジらしさがある。また、そうした発想に、物事に囚われない自由さがうかがえる。その点において、渡米して活路を見出そうとしたのは理にかなっている。新しいものに憧れ、機械文明に期待したところは、ハンガリーの田舎生まれであることから説明出来るかもしれない。新しいものには影の部分も多いにあるが、ナジは光の部分を見て、そこに貧しい人も以前よりは恵まれるという信頼を置いたのであろう。最初は画家として身近な人の肖像を描いたりしていて、その素描が今回は最初のコーナーにまとめて展示されていた。線を何度も重ねた黒々とした太い輪郭による、筋肉の表現を特徴とするものだ。シーレを思わせたが、シーレの方が数歳年長で、どこかで作品を見たかもしれない。シーレでなければ、初期のミロに近い。ともかく、同時代の最新の絵画を見て、独自の様式をそれなりに得ているところが、後の多様な仕事を予想させるに足る。また、今回の最後の部屋も絵画で埋められていたが、それらは構成主義的なもので、人物の内面を抉り出そうとしたような最初期の肖像画とは様子が違う。だが、それとあまり年代が違わない時期の作品に、工場地帯を描いた油彩の風景画が2点並んでいて、そこにすでに後年のナジの好みが見えている。ワイマールやデッサウのバウハウスで教えるようになるのは30少し手前からで、すでにその頃までにバウハウスで求められるような仕事はひととおりしていた。写真やタイポグラフィの仕事がそこに含まれるが、この一見捉えどころのなさによって、バウハウスで教えたクレーやカンディンスキーとは違って、有名度において大きく損をしている。だが、それこそがナジの特質であり、また現代性だ。画家として一本筋を通しながら、同じ視るということに関係したあらゆることに興味を抱いた。そこがニュー・ヴィジョンという言葉を使わしめたところで、視覚芸術が急速に進展することを肌身で感じ、その変化の速度に合わせ、またその本質を見定めて仕事をした。その「ニュー」たる部分は、従来の個として独立した一回限りの芸術性ではなく、複製性をいとわず、また無名であってもよしとするもので、作品が工場製品的で無味乾燥なものになりかねないことに危惧を抱かなかった。モダニズムを信頼したということになるが、ポスト・モダニズムも過ぎ去った今、ナジの芸術を改めてどう評価すべきかという時代になっているのだろう。ナジがもう30年ほど生きて、70年代半ばの世界を見たならば、どのような仕事をしたか、また大量に生み出される工場製品に美をどう盛るべきかを考えたはずだが、第2次世界大戦を見ていたから、大量消費文明の何たるかはよく知っていたであろう。大量消費財では作家の名前は埋没しがちだが、それでもナジがそれを恐れなかったとすれば、工場製品であろうとも美が宿ると信じたからだ。実際ナジの構成主義の絵画や写真は、ナジの個性を宿しながら、誰でも似たものが作れそうな気配を漂わせている。それはナジの願ったことだ。画家の特権意識がなかったと言うべきだが、それでも画家でもあったのは、画家が社会に役立つと信じたからだろう。この信じる態度にナジの前向きの活力が感じられ、その芸術をポジティヴなものにしている。
 構成主義と言えば、定規を使った禁欲的な図形絵画という印象が真っ先に思い浮かぶが、タイポグラフィを好んだナジからして、絵画がそのように情緒を排したものになったのは納得出来る。ナジのタイポグラフィは、サンセリフでしかもフーツラに似た感じのものだが、そうした文字を組み込んだポスターや本の表紙などは、今見てもはっとする美しさに溢れている。そう思って1階の売店を見ると、ナジのデザインしたある雑誌か何かの表紙を、同じく表紙に再現したノートらしきものが売られていた。クレーにしてもカンディンスキーにしても、またほかのバウハウスの教授にしろ、タイポグラフィにここまで入れ込んだ人物はいない。そうした仕事は純粋画家のすることではなく、商業デザイナーが手がけるものと見下す人もあろうが、そういう立場からはナジの仕事と価値は理解出来ない。ところで、土方定一は、マン・レイはデュシャンの小粒的存在と書いていたが、ナジは絵画でも写真でも彫刻でもグラフィックな仕事においても、みな第一人者の小粒的なところがあると言えば、ナジの才能を貶めていることになるだろうか。50そこそこで亡くなっており、またあらゆる視覚芸術に手を染めたので、何かひとつが飛び抜けて優秀で、そのことで有名であるのではなない。そこがナジの、日本での人気をいわば玄人好みにしているところがある。だが、その手がけたあらゆるものにおいて、独自の、そして先駆的な仕事をし、しかもそれらを総合したところにナジの全体があるとすれば、ナジを単に画家とみなしては見えないところがあると考えるべきだ。そうした多彩な才能は、現在の方がまだ歓迎されるのではないだろうか。となれば、その点でもナジは先駆的であったことになり、現在回顧する意味合いもある。彫刻と書いたが、会場で毎日数回だけ2分ほど動かされる機械的な立体作品があった。ちょうど筆者がその作品の前に来た時が、始まる10分まで、隣の部屋で映像作品を見て時間を潰した後、定刻に戻ってその動く彫刻を見た。金属を使った動く彫刻はティンゲリーが有名だが、ナジのそれは、構成主義的絵画を立体化したもので、どこかデュシャン的な造形性も感じさせ、また回転しながら壁面に投影されるその影は、動く構成主義絵画となって、ナジの面白がっている様子が見えそうであった。その彫刻はナジ時代のものではなく、復元されたものであったが、その復元はナジの思想にかなっている。一回限りの芸術性の価値ではなく、複製されるものにも空間の美が宿ると信じたからだが、同じ考えによれば、ナジの芸術は永遠と言える。オリジナルが失われても、小さな写真があればよく、そこから復元しても、そこにナジの個性が宿る。同じ理屈によって、今回はナジの理念を映像化した10分ほどの映像作品が小さなモニターで映じられていた。それは「都市のダイナミズム」と訳せる題名で、その名のとおり、現在のドイツだろうか、ナジ時代にはなかったタイポグラフィやあるいは街角や携帯電話などが映し出されても、そこにはナジの精神が強烈に宿っていると感じた。おそらく100年や200年経って同じような映像を撮っても、ナジ風の演出は可能なはずで、ナジの言わんとしたことおよびその個性は、やはり独創的なものであったと言うべきだ。
 会場後半にはふたつの映像部屋があった。夜8時まで開館している金曜日に出かけたこともあって、どちらの部屋でも全作品を見た。最初の部屋では、20分ほどだろうか、ジプシーの生活を紹介していた。ナジがジプシーの生活に関心を抱いていたことは、構成主義とはそぐわない気がするが、初期の迫力ある人物の素描からすれば、ジプシーの生活を観察することは矛盾を感じない。また、ナジにはそういう恵まれない人々への関心と同情のようなものが基盤にあって、そこに新しい時代の万人の芸術を夢見た。この点はかなり大事な気がする。こうして書いていて、そのジプシーの映像があまりに強烈であったので、もう一度見に行こうかと思うほどだ。ジプシーに関心を抱いた人物としては、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトに関する映像を撮ったジャン・コクトーを思い出すが、ナジの映像は、ごく普通のジプシーの親子や、またジプシー同士の喧嘩の様子や音楽や踊りを生々しく撮っていて、そのまま映像作家専門になっていれば、昨日紹介した森山大道のような仕事をしたかもしれない。図録を買っていないのでわからないが、このジプシー生活の様子が他のナジの仕事とどう関係しているのか、またどういう関心があって撮影したのかの説明は会場にはなかった。そのため、元来謎めいていたナジの姿がまたさらに謎が深まったようなところがある。次の部屋の映像はロンドンに新しく出来た動物園の紹介だ。鉄筋コンクリートの可塑性を最大限に利用し、しかも動物が快適に過ごせることを狙った改修で、その設計にナジが携わったのだろう。それは現在では建築デザイナーと呼ぶべき人がする仕事だが、そういう側面をナジが持っていたのは、バウハウスの理念からして当然だが、欧米においてよほど当時目立った才能とみなされていたことになる。また、本人が各地に売り込みをかけて仕事を受注したのであろうが、その行動的なところがまたナジのよさと言うべきだ。とにかく活動的でエネルギッシュであり、その様子は肖像写真からもわかる。ナジの顔は昔から知っていたが、今回初めて見る家族と一緒に写ったプライヴェイトなカラー・スライド写真がたくさん上映され、いかにも理知的で精力溢れる様子がわかった。また、奥さんが美人で、子どもにも恵まれて幸福そうな様子であったが、実際はその生活はわずかしか続かなかった。話を戻して、リニューアルした動物園を紹介したフィルムは、キリン、ゴリラ、ペンギンに分けられ、檻の状態が夏と冬で変化したり、またペンギンが限られた空間をあちこち立体的に散歩出来るようにした通路の工夫など、やはりモダンな造形が特徴であったが、現在はもう残っていないだろう。キリンが広い囲いの中を走り回っている姿が二度映ったが、日本ではそのようなことが可能なのかどうか、それが気になった。ナジがデザインしたキリン舎であるとすれば、キリンが喜んで走り周ることは、よほど快適な空間であることを示す。そこにはデザインの何たるかをまず考えているナジの基本姿勢がうかがえ、ナジが今なお人々の記憶にあることは、そうした動物や人間の活動の機能性を最優先したからであり、その構成主義の意味合いもそこから理解すべきものに思える。芸術や絵画の基本は人間ということだ。
by uuuzen | 2011-08-27 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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