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●嵐山駅前の変化、その136(駅舎から広場、脇道から広場)
典の準備の様子が昨日掲載した写真の右上に見えている。緋毛氈の上に大きな白い箱状のものが見えるが、これは後日説明する。駅前広場改装の式典であるので、会場はその広場でということになった。



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雨が降ればどうなったのかわからないが、好天に恵まれた。今日は4枚の写真を載せるが、式典直前に撮った同じ角度の写真4枚を明日掲げる。以前の広場は中央に丸い植え込みがあったが、それが取り払われ、見通しがよくなった。また、嵐山にふさわしく、桜が植えられ、早速今年の春に咲いた。2本だったと思うが、大きい方は枝垂れだ。改札を出て右端に位置する、以前からあった桜の老木はそのまま保存されたが、この措置はよい。その木の下に前は木製の床机があり、それから5メートルほど離れたところに公衆電話ボックスがあったが、ともに撤去された。駅前には、売店にも電話があった。新しく大きくなった売店にまだ入ったことがないのでわからないが、たぶんなくなったと思う。駅前のミニ・ストップというコンビニにもないので、嵐山には公衆電話は皆無の状態だ。テレフォン・カードで利用出来る電話の数はめっきり減り、公衆便所と同じ扱いになって、今や京都市内では図書館や美術館、重要な交差点の近くといった場所にしかない。携帯電話を持つことが当然となったので仕方がないが、テレフォン・カードはうすっぺらで重さもほとんどないが、携帯電話のかさばる厚みや重さを思うと、持つことをためらう。携帯電話がテレフォン・カードと同じ大きさと厚みになれば持ってもいいかと思う。テレフォン・カードは、公衆電話があちこちにある場合は、現在のような邪魔になる携帯電話を持たずに済む点ではとても便利なものだ。その意味で携帯電話は自家用車に似ている。自家用車は便利な面もあるが、駐車場やメンテナンスを考えると不経済でもある。なくて済むならそれに越したことはない。それでも自家用車が人気があるのは、玄関から玄関が直結している点で、これは電車やバスにはない。同じことが携帯電話に言える。昔なら、彼女に電話する時に、家に電話をし、家族が電話を取るかもしれないという不自由さがあったが、携帯電話では彼女に直接話しかけることが出来る。つまり、個人の秘密を重視するところから携帯電話は生まれて来たと言える。自家用車と携帯電話がセットになって、いつでもどこでもふたりの意志で自由に会える状態が生まれた。そう考えると、自家用車や携帯電話を持ちたいという思いは、人間の性の欲求に直結していて、子孫を残そうという、遺伝子の意志の賜物かもしれない。だが、何事も便利になり過ぎるとありがたみがなくなる。スリルがなくなって、肝心の性の欲求そのものが減退しかねない。いつでも恋人と話すことが出来て、ふたりでどこへでも車で移動出来るのであれば、逢瀬を重ねるといったことは日常事となって、感動が消え去るのは早い気がする。空腹であれば、どんな食べ物でもおいしく感じるのと同じように、満たされ過ぎると、ありがたみがなくなる。
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 誰も充分満たされているとは思わないだろう。だが、それは満たされ過ぎているからだ。物事をそう考えてみることは大切だが、たいていの人は不平が多く、もっとほしいと願う。赤ちゃんは生まれて来た時から、手をグーの形にして、何かをつかもうとしている。これは人間が常に何かを所有したいということを象徴している。手がだらりと垂れるという表現は、だいたい死んだ時の様子に用いるが、それは遂に物をつかむ行為から離脱したことだ。物欲がなくなった状態こそ死であり、生きている限りは常に何かをほしがる。またその欲こそが生きるエネルギーだ。となると、欲が強い人間ほど活力があることになるが、これはある面では真理と言える。国の単位で見るとそのことがもっとはっきりするかもしれない。国に活力があるとは、世界遺産の数が多いことではなく、どれだけ金を持っているかで、それが豊かと言われる。その豊かさは、じっとしていて、あるいは無欲であるから出来上がった状態ではない。そう願ったからこそ実現した。同じことは個人にも言える。本気でほしいと思うものは、生涯の間に必ず手に入る。人生はそのように出来ている。本気で思うその意志の強さはみな同じようなものに見えて、執着する度合いは違う。「自分なりに努力した」と息子はよく言うが、それは大勢の中で見れば、努力のかけらにも値しないほどの執着のなさであることに本人は気づかない。であるから、ほしいものは何も手に入らない。だが、ほしいものがないと思えば気が楽であるし、努力するしんどさを思えば、何も手に入らなくてもかまわないと考える。そのようにのんびり出来ているのは、今の日本ではホームレスになっても栄養過多で死ぬほどに恵まれているからだ。「自分なりに努力した」という言葉は便利なものだ。敗北を認め、それから後は努力する必要がない。人生を運の有無とみなすことで、自分の努力のなさを棚に上げることが出来る。この開き直り主義は本人の自覚がなければ絶対に消えない。誰が何をどう意見しても聞く耳を持たないので、自然と誰も意見しなくなり、ますます自分が正しいと思って、開き直り主義は頑丈になる。ある漫才師のネタに、「あんたはやったら出来るんやから、もっと努力し」というのがあったが、人間誰しも「やったら出来る」のであって、そのやる気になるかならないかが大問題だ。やる気のある者は、誰に何を言われずともそうなる。それは小学生の低学年ですでにそうでなければ、将来ものになるはずがない。であるから、「あんたはやったら出来るんやから、もっと努力し」という言葉は、10代後半ではもう手遅れだ。人間は10代後半で人生が決まっている。もちろん、大人になればいつでも一念発起し新たなことを始めることは出来る。だが、それが本当にものなるには、並みの努力では無理だ。
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 それでも人間の偉さは何かと思う。学者が普通の人より頭が賢いとして、そのことにどれほどの意味があるか。アクセル・ムンテの『サン・ミケーレ物語』には、無学な老人が出て来る。ムンテは勉学に勉学を重ねて将来を嘱望される医師になったが、そのムンテが頭を垂れる人物がカプリ島の無学な老人であった。ここには、人間の価値が頭脳の明晰さでは計れないことが示されている。この本が名著と言われるのは、ムンテがそのことに気づいていたほどの偉い人物であったからだ。頭がいいことに自惚れて、無学な田舎者を嘲笑するような人間からは、大学者は生まれないだろう。だが、その無学な老人は、おそらく開き直り主義など持たず、自分の与えられた環境の中で最大限の努力をしたはずで、その点ではムンテと同じであった。与えられた環境の中での努力は、誰でもそれなりにするから、息子が言うように、何事かに失敗しても「自分なりに努力した」と思うことが許されるが、問題はその後だ。自分なりに努力したことが一度程度で諦めてしまうのは、その「自分なりに努力した」も高がしれていると思われても仕方がない。社会に出ると、「自分なりに努力した」は通用しない。何か形になるようなものを示す必要がある。それがなければ、努力はしなかったとみなされる。結局のところ、努力の跡が認められる仕事に就くしかないが、「自分なりに努力した」という言葉を吐く程度では、努力の何たるかを知らない、努力を侮っていると世間ではみなされるだろう。本当に努力する人は、苦労や努力を水から主張しない。まずは結果を示すことに邁進するし、それこそが努力したことを照明すると思っている。人間は本当にほしいものを生涯かかって手に入れる。そのことは『サン・ミケーレ物語』にも書かれている。ほしいと思うものに出会うことがまず大きな幸運だが、それを完全に自分のものにするには、努力が欠かせない。これはあたりまえ過ぎることだが、この努力なしでほしいものが手に入ると思うずぼらな人間がいるし、また本当にほしいもので出会えない人は大勢いる。であるから、何をどう努力していいのかわからなままうろうろしながら死を迎える。このほしいものが金で買えるものであれば問題はさほどない。人生は運と思っている人ならば、宝くじの当たるのを待って、自分がほしいと思っていたものを買うことが出来る。だが、本当にほしいものとは、物や者ではなく、求め続ける努力そのものではないか。今朝のネット・ニュースで、ある女優が社長の長年の愛人であったが、社長が60で死に、遺産が100億ほどあって、その愛人がいくらほどもらえるかと詮索したものがあった。その社長はほかにも愛人と子どもがあったそうだが、精力絶倫で、金儲けの執着も並み外れていた。おそらくほしいものは全部手に入れたのだろう。同じような男はごまんといるので、何も驚くに当たらない話で、また筆者はうらやましくも何ともないが、金と女に貪欲な男は、女にとっては学者の何倍も魅力があるはずで、世間的にも大人物とみなすし、筆者もその動物的と呼べる本能は見事とは思う。女優は昔で言う白拍子、つまりは遊女であり、権力者の慰みものだが、いつの時代でも男の中には権力者がいて、それに抱かれることを夢想する女がいる。ムンテは生涯独身であったが、『サン・ミケーレ物語』には、ムンテが愛した女については書かれない。僧侶のような禁欲さを持っていたとすれば、それはなぜか。その書かれないことが、この本をなおのこと面白いものしている。この本についてまた書いてしまたっが、先日から再読し始めているからだ。
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by uuuzen | 2011-08-23 16:19 | ●駅前の変化
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