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●嵐山駅前の変化、その125(駅舎から広場、脇道から広場)
却する本を手提げ袋に入れて昨日は岡崎の府立図書館に行った。1か月ほど前、6時前に図書館前に着くと人気がなく、日曜日は5時に閉まることを改めて知った。



返却ポストがあるので、そこに本を放り込んでおけばいいが、新たに借りる本がある場合は出かけ直さねばならず、その労力の無駄が癪に障る。昨日は館内で少し調べものをした。節電対策のため、温度は高めに設定されていて、少し汗ばむ。だが、表に出るとまるでサウナで、涼しいところに体が慣れると、後が大変だ。筆者はなるべくクーラーの部屋に入らないようにしている。図書館から出た直後、ぽつりと雨を感じた。傘を持って出なかったので、大急ぎで河原町まで行かねばならない。ところで、わが家から図書館まで行くには、ふたつの方法がある。ひとつは家から松尾橋をわたってすぐにあるバス停まで歩き、500円の1日乗り放題バス切符を買って、それでバスを2,3回乗り継いで行く。もうひとつは、家の横にある阪急嵐山駅から電車に乗って河原町に出て、そこから岡崎まで歩くかだ。これなら440円で済むが、バスであちこち立ち寄ることは出来ない。家から松尾、また河原町から岡崎までの距離はほとんど同じなので、歩くエネルギーは変わらない。昨日は図書館以外に行くところがなかったので、電車を利用することにした。その方が図書館に着くには早いからでもある。家を出たのはちょうど3時で、これがバスなら松尾まで25分ほどの徒歩、そこからバスに乗って岡崎まで1時間はかかる。電車なら河原町まで20分、そこから歩いて図書館まで25分として、電車を利用する方が断然早く、バスならが、3時に家を出れば、下手すると5時閉館まで2,30分しか残っていないことになる。この考えは正解で、図書館ではじっくり時間を使い、4時半に出た。筆者にとってこのふたつの方法は、最も経済的に安くつくことを考えてのもので、本当ならば河原町まで電車で出て、そこからバスに乗れば岡崎まではもっと早い理屈だが、このブログに何度も書いたように、京都の市バスはほとんど停まっているのと同然ほどに遅い。岡崎まで行くのに歩いた方が早く、それで電車で河原町に出るのであればそのまま歩くことにする。市バスのほとんどの系統は四条河原町を通過し、その界隈での交通渋滞は慢性化しているうえ、岡崎まで行くのにぐるりと変なところを迂回するので、よけいに時間を要する。この点、徒歩ならばどこをどう通れば最も距離が短いか感覚的にわかっているし、また京都の碁盤の目状の道のあちこちを毎回違ったように選びながら歩く楽しみもある。今思い出したが、図書館に入る直前、後方の京都会館から若い女性たちの束になった悲鳴が聞こえた。まるで動物園のようで、どんな人気タレントが来たのかと思って帰宅後に調べると、そうではなく、吹奏楽の大会があったようだ。それでも若い女性の黄色い声が100人や200人ほど集まった異様さを初めて実感し、人間が猛獣並みの動物であることをつくづく思った。
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 図書館から出た時、2、3人の学生が雨に困惑して庇の外に出るのをためらっていた。筆者はそのうち止むと踏んでさっさと歩き始めたが、これが予想に反して強くなる一方だ。東大路通りを南下すると、祇園前の四条通りの商店街に天井がついているので、そこを歩けば濡れずに済むと思って、いつもとは違うコースを歩いた。ところが、ついに知恩院前のバス停でドシャ降りとなった。凄まじい降り方で、前方が見えないほどだ。それで慌てて200メートルほどを全力疾走し、祇園会館前に着いた。そこでは雨宿りが出来る。ハンカチで濡れたところを拭いていると、若い女性がチラシをくれる。祇園会館はこのブログで何度も書いたように、邦画と洋画を上映する2,3番館で、以前はよく見に来ていた。ところがぴたりと行かなくなったのは、無料入場券が入手出来なくなったことによる。これは、新聞社が顧客あるいは、新規の客を勧誘するのに、毎月祇園会館の無料券を配布していたのだが、ほかの新聞社がその習慣に横槍を入れた。そのため、今まで大量に出回っていた無料招待券は製造されなくなり、正規の価格でしか入場出来なくなった。おそらくそのことは祇園会館にとっても死活問題ではなかったろうか。新聞社に大量の招待券を一括で買ってもらうことで、毎月一定の収入になっていたはずで、それがなくなれば、別の方法で館運営のための費用を捻出せねばならない。それが吉本の花月に場所を提供することになったと想像する。吉本が7月15日から毎日ではないが、日を決めて同館を借り切ることを知ったのは10日ほど前であったが、昨日チラシをくれた女性としばし立ち話をすると、今までの映画館はそのままで、舞台上で吉本の芸人に漫才その他をやらせるようだ。ただし、舞台の補強は多少行なったと言う。同館は客席がかなりせせこましく、2時間も座っているとかなり疲れるが、その改修は行なわなかった。また、吉本の演芸がない日は今までどおりに映画を上映するから、吉本にしても、どれほど客が入るか様子を見ようということではないか。20数年前までは新京極に吉本ビルがあったが、老朽化で撤退し、それ以来の京都での劇場ということになる。だが、祇園の同地は観光客には馴染むだろうが、京都の固定客がどれほど訪れるだろう。交通が不便というわけではないが、中心部からはやや離れたとところという印象が強い。吉本のことであるので、格安で借りることが出来たので、使ってみようかというところではないか。そして、思ったほど客が入らねば、さっさと撤退するに決まっている。そうなった時、祇園会館はまた映画1本で経営が成り立つだろうか。レトロの味わいの強い同館はどうにか今後も残ってほしいと思う。となれば筆者も客として映画をせっせと見る必要があるが、どういう映画がヒットしたのかさっぱり知らないでいる。
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 さて、雨宿りしていると、そこがバス停前でもあって同じようにたくさんの人が雨の上がるのを待っていた。その時、日本の20代の女性の引率によって、4,5名のアメリカ人の同年齢の女性がぞろぞろとやって来た。引率者は、祇園会館がコメディアンの劇場と説明していたが、関西人ではなかったようだ。それはいいとして、引率されていた数名はみな直径7,8センチの缶バッジを胸に留めていて、そのうちのひとりはAnnie Goldsmithという名前の金髪で眼鏡、小柄な女性で、夏らしいワンピースを着ていた。その名札を間近で見た瞬間、思わず「ハイ、アニー」と声をかける姿を想像したが、変なおっさんと思われるが落ちで、想像だけにした。この女性とは対照的に、身長170センチほどはある大柄でブロンド、長髪の女性がいた。彼女の木綿のプリントのワンピースがあまりに体にぴったりで、しかもミニで、その色白の豊満な肉体に目のやり場に困った。ワンピースの下は恐らくパンティ1枚で、ブラジャーはつけていなかったと思う。だが、淫猥な感じは皆無、ただただ健康で快活、正真正銘の典型的アメリカ人女性という雰囲気がとても面白かった。もうひとりは中肉中背であまり目立たないが、ワンピースの胸が大きく開いたところ、乳房の上に直径5センチほどの錨とハート・マークの青い刺青が見えた。まだ20歳そこそこと思うが、そういう目立つ箇所に刺青することに抵抗がないのだろうか。日本でも近年は刺青をする若い男女は少なくないが、まだ市民権を得たとは言えない。先月だったか、海水浴場が刺青をした人の来場はお断りとのお触れを出したところ、TWITTERでも賛否両論といったニュースがあった。刺青人の入場を許さないというのは、昔から銭湯には表向き、注意書きとしてはあった。だが、たいていひとりやふたりは全身に刺青した人がやって来ていたし、それを見ても周囲の人は無言で素知らぬ振りをするだけで、一応は黙認されていた。その半世紀も前のことに比べると、今は簡単に現代風の模様を腕た足首に入れる者が増え、すっかりファッションの一部になった。だが、やはりアウトローの象徴として、刺青した者を一般人から遠ざける風潮は根強い。数年前に大阪市の助役として一躍有名になった弁護士の女性は、若い頃にやくざと同棲して、背中に大きな刺青があると公言していた。顔を見ると、全くそういう風には見えず、まるで大学の先生といった真面目な感じだが、刺青を公言する勇気は大したものだと思った。差別の目を気にすることはとっくの昔に経験済みで、それを経たからこそ、弁護士にもなったのだろう。このように過去の経験はそれはそれとして、それをバネとして今どう生きているかが重要であって、消すことの出来ない刺青があることで、その人の全人格を決めつけるのはよくない。
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 先の海水浴場の刺青禁止のニュースを家内に言うと、全く刺青反対派で、刺青した人は刺青した時点で通常の人の生活を捨てたことを自覚し、通常の人が大勢集まる場は遠慮すべきと言った。そこで筆者は、もう60にもなることでもあって、思い切って全身に刺青しようかなと言うと、家内は即離婚すると息巻いた。画家の藤田嗣治は腕に時計の刺青をしていた。それはアウトロー気取りに見えるかもしれないが、画家など所詮世間のはぐれ者という覚悟に思え、筆者は嫌いではない。だが、全身に入れるとなると、数百万円はするだろう。そんなお金はない。それに下手な絵を入れられるとたまったものではない。入れるのであれば、下絵は筆者が描きたい。だが、老化する一方の肌に入れても美しくないはずで、刺青はやはり若い20代の女性に限るだろう。小村雪岱の名作に、刺青を背中一面に入れる女を描く図がある。小村はそのような危うくいなせな美を愛した画家で、その美意識もまた筆者は好む。そう言えば、以前よく行った中古レコード店のHOTLINEに、アルバイトで20代半ばのかわいい女性がいて、彼女は会うたびに刺青を入れたいと言っていた。その考えに対し、西川さんはやんわりとやめておけと諭していたが、彼女はその後どうしたろう。西院に住んでいて、朝晩は新聞配達をしているとも言っていたが、通常のOLになるのがいや、あるいはそのための学歴がなかったのか、とても快活な女性で、話題も豊富、一緒にいるのが楽しかった。筆者はデジカメで店内にいる彼女の顔を撮影させてもらったことがある。その画像は古いデジカメにまだ残っているかもしれない。撮影時、彼女は、あるカメラマンから完璧に化粧したうえで撮影してもらったことがあるが、自分とは思えないほどきれいに撮れていたと語った。それは自惚れからの言葉ではなく、本当は自分はそんなきれいではないのに、化粧と撮影技術で嘘をついたといったような、恥じらいの意味合いが強かった。だが、もともと美人であるので、きっととんでもなくきれいに撮れていたであろう。そういう女性がしきりに刺青をしたいというのは、どういう心境からか。何度も機会がありながら訊ねなかった。刺青したような男性に惹かれてしまうようなところがあったのかもしれない。あるいは彼女は男などに頼らずとも、自力でどうにでも世間をわたって行くだけの貫禄を持ち合わせていたように見えたが、もう5,6年前のことであり、街中で出会ってもわからないだろう。さて、雨宿りは20分ほどしたが、雨は止まない。それにアメリカ娘もどこかに行ってしまった。アベックが1、2組、田舎から出て来た女性ふたり組、そして女ばかりに数人連れが固まって雨の上がるのを待ったが、田舎出の女性ふたり以外はみな中国人であった。京都が放射能の影響はないということで、観光客は戻って来ているのだろう。少しも止みそうにない雨なので、また土砂降りの中を突っ走って、天井つきの商店街に辿り着いた。そこから徒歩10分で四条河原町に着き、地下に潜って電車に乗り、嵐山駅に着くと、真っ青な空で、雨が嘘のようであった。今日の写真は去年10月13日のもの。
●嵐山駅前の変化、その125(駅舎から広場、脇道から広場) _d0053294_17513078.jpg

by uuuzen | 2011-08-01 17:51 | ●駅前の変化
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