●嵐山駅前の変化、その122(駅舎から広場、脇道から広場)
型の40インチのTVを大慌てで従姉の息子が買ったと言っていた。それまで使っていた箱型TVがまだまだ使えるので、量販店で3000円ほどでチューナーを買って来て取りつければいいと何度も言ったが、その方法がわからないと言う。



それで以前から筆者にどうにかしてくれと言っていたが、40歳で3人の子持ちの息子がそれではあんまりであるし、筆者も忙しいので、そのままにしていた。すると昨日の電話で知ったところ、電気屋に取りつけてもらうと1万円もするので、アホらしくなって結局40インチの液晶TVを買ったとのことだ。狭い家にそんな馬鹿でかいTVが必要とは思わないが、せめてTVくらいは豪華にというのが庶民の思いらしい。昨日の正午、TVの地デジ化に切り替わった。その時、筆者はTVを見ずに、ラジカセでNHK総合TVの音だけ聞いていた。正午になればその音が受信出来るかどうか確認したいために待っていたのだ。結果を言えば、地デジの電波は筆者のラジカセの周波数には含まれないようで、さっぱり音は聞こえなくなった。そのため、ラジカセは今ではFM放送を楽しむしかない。せっかくTVの音を聞くことに慣れていたのに、それはもう永遠に無理なようだ。わが家は地デジ対策を何もしなかった。家にはまだ箱型の14インチのテレビデオを2台置いていて、それで事足りている。10年ほど前にケーブルTVに加入し、2014年春まで、今までどおりアナログ放送としてTVを見ることが出来る。そのため、昨日の正午になっても、TV画面は何の変化もなかった。これはケーブルTV会社がデジタル放送をアナログの電波で流してくれているからだ。だが、それももう2、3年のことだ。そうなれば本当に地デジ対応のTVを買わねばならない。この地デジ化は、筆者の周囲の比較的年配者には不評だ。「もったいない」の精神が染みついているからだが、せっかく数年前に買った、よく映るTVをまた薄型に買い代えねばならない。それが不満なのだ。筆者もその部類だ。地デジは画像がきれいで便利な機能もついているが、そこまで望まない人もある。筆者は14インチの画面で充分で、またアナログ特有のややぼけたような画面の方が落ち着く。地デジとアナログの両方の電波を流し、視聴者は好みによってどちらかを選べるようにすればいいものを、それが出来ない理由が何かあるのかと思っていると、東北3県のみは今までどおり当分アナログ電波を流すというから、結局は出来るのだ。それを無理やり地デジ一辺倒にしてしまうのはなぜか。経費がかかるからだろうか。そんなものは知れていると思える。家電業界と結託した何かが裏で働いたに決まっている。何でも国が決めたとおりに否応なしに国民はしたがわねばならない。選択肢のない問答無用のその図式が気に食わない。いっそのことTVは見ないことにしてもいいが、NHKの毎月の料金は自動的に銀行から払い込みされ、それは解約出来ない仕組みになっている。NHKは先般、ネットでTVを見る若者が多いので、ネットにつないでいる者からも視聴料を徴収する方針であることを発表した。TVをどういう形であれ、本当に見ない人はこれからは増えるであろうし、自動的に銀行から引き落とすシステムはどうにかならないものか。「わたしはTVを見ません」とNHKに訴えても、まず絶対にそれが本当とは認められず、料金だけはしっかりと徴収される。これは強盗と同じで、犯罪ではないか。
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 家内は14型のあまりに古いTVをもういい加減液晶のもう少し大きなものに変えたがっている。それをするには、伏見人形や本など、たくさんのものを移動してTVを置く場所を確保しなくてはならない。筆者にとってTVはごく小さな存在で、40インチの薄型を置くなど、まず絶対に考えられない。おそらく家の面積に占めるTV画面の大きさで、その家庭のTVの重要度がわかる。2部屋のアパートに住んで40インチで見ている人もきっと多いはずで、TVがなくては退屈過ぎて死んでしまうと思っているだろう。これは地震の被災地での話だが、学校の体育館に避難生活を過ごしている人の大きな苦痛はプライヴァシーが確保出来ず、小さな子どもが1日中走り周ってうるさいことと言っていた。子どもたちは以前ならTVゲームをして遊んでいたが、避難所にはTVがないので、子ども同士で走り周って遊ぶことしか楽しみがない。そしてようやくTVはやって来たが、子どもたちは走り周ることにすっかり慣れ、TVを見なくなったとあった。TVゲームより、子ども同士で声を張り上げ、走り周る方が楽しいのだ。これはごく自然であたりまえのことで、文化が発達してTVゲームが出来はしたが、それにすぐに変わる本当の楽しい遊びがあるということだ。このいかにも健全な出来事から思うことは、文化の発達にどれほどの意味があるかだ。「国敗れて山河あり」の戦後すぐの状態から日本は国を建て直して来たが、今度は原発事故で山河をなくした。一部であるにしろ、人間が住めない土地を作ってしまった。こんな愚かな話はない。日本の歴史始まって以来だ。「国敗れて山河あり」は、山河があればまたしっかりと生活して行くことが出来るという希望の意味でもあるが、その根本の山河を自ら住めなくして、「国が勝つ」とはいったいどういうことか。山河なくして勝つもへったくれもない。そのことが科学者や政治家はわからなかったのだ。金さえ世界で一、二番目にたくさん蓄えれば、山河をいくらでも開発出来ると考え、その開発の挙句に山河を失った。ギャンブルと同じことで、日本はリスクの大きい賭けに挑戦し続け、予想どおりすっからかんになろうとしている。何百年か先、「日本という愚かな国がありましたが、今は誰も住めません」と世界中の教科書に書かれているかもしれない。「地震雷火事親父」という、恐い物の代表を言う言葉を誰しも幼少の頃に知るが、それほど地震の恐さを知っていたにもかかわらず、耐震設計学者の馬鹿な意見を鵜呑みにして、原発を日本中にびっくりするほど林立させてしまった。結局その地震によって、本当に恐いものは、原発であることがわかり、今後は「原発地震雷火事親父」と言い換えるべきだろう。そしてそれが死語になるのは、日本が原発を全部廃炉にしてからだが、そんな時代はまず来ない。世論が廃止に向かっても、きっとうまい言い逃れと洗脳によって、原発は今後もなくならない。また、すべて廃炉にしても、その場所が原発が建つ以前の放射能のない山河に戻ることは数万年先だ。その時はとっくに人類が滅びている。また、一部の者はこう言うだろう。「山河など、40インチの液晶薄型TVで見た方がきれいだぞ。」
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一昨日TWITTERがおかしくなったことを書いた。その時、アンドロイドというOSについて書いたが、これはパソコン用ではなく、スマート・フォン用のものであることを投稿後に知った。スマート・フォンは電車の中でもよく見かけるが、携帯電話を操作したことのない筆者にはさっぱり使い勝手がわからない。入手すれば即座に覚えるが、筆者は動くまでが時間がかかる。インターネットに関しても、ヤフー・ジャパンが登場する2,3年前だったと思うが、3年前に亡くなったNに盛んに話をしたものだ。Nは趣味で株を買っていた。筆者は、ヤフー・ジャパンの株が一般に販売されるかどうかわからないが、販売されればぜひ買えとも言った。その時Nはヤフーという名前を知らなかった。それは1990年頃だったと思う。それからNはパソコンを次々と買い換え、設計用のパソコン・ソフトを福岡のある会社から買うために、新幹線で、あるいは自家用車で何度も博多を往復した。やがてCADという便利な市販ソフトが最新式のパソコンで使えることを知って、それを導入した。筆者はそれには関心がなく、もっぱらインターネットをしたかったので、無理やりNにネットに接続させ、ヤフーのIDを取らせて、筆者がヤフー・オークションで何かを買うということになった。もちろんそれはNの事務所がある大阪に行った時に限るが、そのようにして他人のパソコンを使ってネット・オークションをしたり、また出版社に原稿を電子メールで送信するなどした。自分でパソコンを買えば済むものを、そうしなかったのは、まだそこまで頻繁に使うつもりはなかったからでもある。それから数年後、いつだったか、NはWINDOWS95が入ったデクス・トップ型のパソコンを筆者に送ってくれた。その時、Nはそれより新しいパソコンを4台も買い換えていたが、最新式のものは自分が使い、その次に古いものは女にプレゼントした。筆者より女が大事というのは、ま、理解出来る話だ。だが、Nは結局その女を物には出来なかった。それはいいとして、NからもらったWINDOWS95はたまに内部を掃除するが、ハード・ディスクは正規のものではなく、別の会社のノート・パソコン用のごく小さなものがつないである。Nはそのことを知らなかったはずだ。ソフマップで買ったと思うが、安いという理由だけで買い、その安さの理由を、パソコン内部を開いてまで確認するNではなかった。筆者はプリンターやスキャナー、デジカメをそのパソコンにつなぐ必要上、何度も内部を見て、パソコンのハード面の勉強もそれなりにした。そんなものは通常は不要だ。TVと同じように、箱の内部のことは何を知らなくてもネットは出来るし、ワードやエクセルを使うことも出来る。どちらかと言えば筆者もそういうタイプで、面倒臭いことはいやだ。だが、Nからもらった恐ろしく古いパソコンは今でも正常に動き、かえってWINDOWS98よりも使い勝手が便利だ。それなりにメンテナンスを続けているからと思う。
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 Nは筆者がHTMLをそれなりに使えることになったことを知って、自分はもうそんな気力がないと笑って語った。その時、とても不思議な気がした。まだ50代半ばの年齢でいったい何を言うのかと。Nは筆者と同じように、数学はかなり得意で、70年代に設計会社コンピューターのプログラミングもしたことがあるので、HTMLなど1日あればすっかり覚えられたはずだが、それをしなかったのは、自分で真っ白なところから何か文章や絵を描くといったことが苦手であったからと思う。最初に書いた従姉の息子は、2年前にやんやん言ってようやくパソコンを買った。筆者がパソコンで何でもすぐに調べて行動することを従姉がかねがね見ていて、それを息子にも学ばせようと考えたのだ。だが、筆者の予想どおり、パソコンを買ったはいいが、全く使いこなせず、今は子どものおもちゃになっている。筆者が言ったことは、「インターネットは基本的に自分で何か調べる思いが強い人でないと長続きしないし、またそれには文章を読み書きすることが好きでなければならない」であった。もちろん動画ばかり見る分には、文章力などどうでもいいが、HTMLという言葉があるように、ネットの基本は言語だ。従姉の息子は読書が大嫌いと言うより、本を見たこともないほどであるので、ネットには向かない。Nも同じようなところがあった。理数系の頭をしているが、読書はもっぱら安っぽい推理小説ばかりで、その点では筆者とはさっぱり話題が合わなかった。筆者もまた理数系の頭をしているが、どういうわけか10歳頃から文章を書くのが好きで、また絵を描くことも大好きであった。そのため、HTMLを覚えて、ホームページを持つことはごく自然なことであったが、Nの美的感覚と筆者のそれはかなり差があり、筆者のホームページを見たりすることはNはなかったであろう。何だかNの話が長くなっている。明後日がNの命日であるからだ。去年書いたように、その日は酒を買って来てNのことを思い出して飲むつもりでいる。Nが生きていれば、筆者はもらったWINDOWS95をまだ使っていることを伝え、また巨大地震のことで話に花を咲かせたであろう。新しいものが好きなNはスマート・フォンを即座に買い、そのさまざまなアプリの楽しみを筆者に見せたであろう。そして、筆者が携帯電話をまだ持っていないことに呆れ果て、古いのをひとつくれたに違いない。筆者がNと話をしたかったのは、たとえばインターネット・エクスプローラーを使わず、サファリやファイアー・フォックスなど、そのほかのOSを使った場合の画面表示の差といったことであったが、Nはそうしたパソコンの内部事情に関しては全く興味がなかった。WINDOWS95ではインターネット・エクスプローラー以外のOSを入れる余裕はない。そのためもあって、筆者は長年それ以外のOSに関心がありながら、現在もまだそれに触れたことがない。思っているだけで10年ほど経ってしまう筆者は優柔不断なのだろう。それは経済的に不如意である理由が大きい。そういう者は、今一番自分にとって何が重要かを常に真剣に考えねばならない。おして、わが家では液晶パネルTVはまだ手がまわらない。そのためのお金があれば、今ならほしい絵がある。今日の写真は去年10月11日に撮影したもの。
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by uuuzen | 2011-07-25 15:52 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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