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●嵐山駅前の変化、その119(駅舎から広場、脇道から広場)
員教授は何歳までなれるのか知らないが、給与は出るし、肩書きもあるので、恵まれていると言えるだろう。昨夜音楽評論家の中村とうようが飛び降り自殺したというニュースがあった。



早速ウィキペディアがその死を編集していることに驚いたが、収集した資料を美大に寄附し、そこの客員教授になっていたようだ。中村とうようの名を知る人は40代以上のロック・ファンだと思うが、その名を改めて思ったのは、今年早々であった。雑誌「レコード・コレクターズ」の増刊号として、「フランク・ザッパ、キャプテン・ビーフハート、ディスク・ガイド」がミュージック・マガジン社から1冊送られて来た時のことだ。その著者の和久井光司が、「あとがき」で同号を中村に捧げる言葉でしめくくっている。ちょっと引用する。「私は本書をミュージック・マガジンをついに卒業されていった中村とうよう氏に捧げたい。長年の感謝をこめて。」となっている。同号が店頭に並んで2か月ほどで東日本大震災があった。自殺の原因は不明だが、厭世的になったのだろうか。遺書があったところ、そしてミュージック・マガジンから完全に引退して半年ほど経って、もう思い残すことがなかったのかもしれない。享年79で、そこまで生きると、もう自然に死ぬまで生きてもよかった気もするし、また79は充分かという感じもある。家内に言うと、前者の考えであったが、自殺するならもっと若い頃の方がさまになるというニュアンスがこもっていた。現在老人の自殺率がどれほどかは知らないが、ロック世代によく知られた存在だけに、自殺は複雑な思いを投げかける気もする。筆者がまず思ったのは、もう20年もすれば同じ年齢に達し、その頃筆者の周りの身内や知人などがどうなっていて、筆者がどういう孤独を囲っているかということだ。また体力の減退によって、何をするのも億劫になっているであろうから、中村とうようの自殺は人事に思えなくなっているかもしれない。だが、その一方で、筆者の母のように80代半ばでも相変わらず元気な場合もあって、結局人によりけりだ。もうひとつ考えたのは、中村を尊敬する同じ音楽評論家の若手がどう衝撃を受けたかだ。今のところ、中村ほど有名になっている若手はいないから、客員教授の話が来るわけでもないであろうし、またロック雑誌の売れ行き低迷もあって、音楽評論家の道は険しく、経済的な問題から老後を中村以上に心配せねばならない者が多いのではないか。ミュージック・マガジン社はホームページを長年持たず、2009年にようやく公式サイトを開設した。そのことについて、内部事情を知らない状態で書くと、そこには中村の意見が響いていたのではないだろうか。また、その想像からさらに想像するのは、中村がネット時代に適応出来ず、20世紀でその実質的な役割を終えていたのではないかということだ。
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 ロックの雑誌として、「ニュー・ミュージック・マガジン」(後年「ニュー」がなくなった)が、一番輝いていたのは1970年代だろう。筆者はほとんどその雑誌を買ったことがないが、それはたとえばレコード評が10人ほどの人が担当して手分けして書いているのはいいが、かなりとんちんかんな批評が目についたことだ。そうした評論家の名前は出さないが、その程度の文章と知識で有名になり、さらにあちこちに顔を出せることの不思議さとアホらしさを思った。また、筆者はザッパ・ファンであったから、ザッパの新譜が出ると、その評価を見たさにたまに買うか立ち読みしたが、そうした批評は現在のザッパの評価とはかなりずれている。そして、そのすれを当時からよく知って憤っていた筆者は、なおさらそうした音楽雑誌はつまらないと思った。それに、音楽は、批評の前にまず聴くことで、最初から最後までそれしかない。にもかかわらず、音楽雑誌が一種の権威になると、そこに書いてあることを鵜呑みにして満足する連中が多く、音楽をそうした他人が作った前知識を詰めこんで聴き、それで満足してしまう。満足するだけならまだいいが、そうした意見と異なる者、あるいは知らぬ者があると途端に見下げる。ロックがそのようにスノッブの物となって、排他的な様相を見せるのは、社会に異議を唱える立場もあるロックからすればわからないでもないが、そこからはたいしたものが何も生まれない。ともかく、筆者は雑誌による知識など必要とせずにこの年齢になるまで音楽を聴いて来たが、それはロックに限らない。そこが「ニュー・ミュージック・マガジン」を読まなかった理由でもあるが、クラシックを聴くとはいえ、やはりクラシック専門の雑誌を読むこともなかった。そこにはおそらくロック雑誌以上のひどさを感じたからだ。筆者が知りたいようなことはどこにも書かれておらず、有名な指揮者やピアニストが、まるで俳優かロックのヒーローのように持ち上げられているだけのことで、そんな雑誌を買って読む暇があれば、レコードを買って聴くことに回す方がはるかによい。話をザッパに戻すと、ザッパが70年代の終わり頃からアルバムを次々と発売し始めた頃、中村とうようは、さすがと言おうか、当然と言おうか、ザッパの活動をかなり持ち上げた。ザッパの日本での人気が拡大し始めるのもその頃からではなかったか。もちろんその前に76年の来日公演があったが、倍々の速度でファンが増えたのは1980年頃からと思う。そして80年代半ば、今度はCDの時代になる。そして時代はさらに加速化し、その10年後にはネット社会がいよいよ始まり、その頃からロックが面白くなくなって来た。今ではCDの売り上げも悪化の一途と聴くが、CDが簡単にパソコンでコピー出来るような時代になった途端に、新しくて面白い、時代を画する音楽を生み得なくなった気がする。そういう時代にあっては、「ミュージック・マガジン」やその姉妹雑誌の「レコード・コレクターズ」の人気もどうなるかは目に見えている。過去の有名ミュージシャンの発掘特集を5年や10年ごとに際限なく繰り返す道が残っているので、音楽雑誌がなくなることはないが、かなりの情報はネットで無料で得られる。であるので、情報ではなく、読んで面白い書き手に何かためになる知識を披露してもらうのがいいと思うが、今はそういう時代でもないのだろう。そういうものもまたブログで個人が発表する時代で、読み物はほとんど無料の時代になった。
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 中村とうようはロックと言うより、ワールド・ミュージックを紹介して広めた人物として記憶されるだろう。「ミュージック・マガジン」には毎月「とうようズ・トーク」とか題する見開き2ページ程度の随筆があった。これも稀に目を通すだけであったが、その印象を言えば、毎月心待ちにして読みたいほどのものではなかった。文明批評、社会批評といった内容で、今ならやはりブログで無料で読ませるようなものだろう。筆者の読んだのはごくわずかだが、その中にクラシック音楽評論家の吉田秀和が相撲好きであることを茶化したようなものがあった。筆者は吉田秀和がNHK-FMを長年担当していたモーツァルト特集やそのほかの番組をよく聴き、また著作も何冊か読んでいたので、中村の吉田嫌いは、クラシック嫌いから派生した、つまり坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというのと同じで、何だか大人げない気がした。中村のそうした論調で、全くクラシック音楽を聴かずに40、50代になった人も多いだろう。それはかわいそうなことだ。そして中村は罪なことをしたと思う。表現の自由があるので、何かを嫌ってそのことを書くのは自由だが、音楽をジャンル分けして、ある時代のある地域の音楽は嫌いというのは、派を作って敵対するのが好きな日本的をいかにもよく示している。その意味で、中村は筆者にはきわめて情緒的で日本的な人物であり、音楽を論ずるにはあまりふさわしくないタイプという気がした。だが、クラシック音楽をあまり好んで聴かなかったようなので、それでもよかったのだ。「ニュー・ミュージック・マガジン」の「ニュー・ミュージック」が何を指したのかは知らないが、仮にそれがロックが中心であったとして、そのロックはあらゆる音楽を基礎として、その上に立っている。もちろんクラシックも例外ではない。たとえばザッパはエドガー・ヴァレーズを崇拝したが、ヴァレーズは現代音楽の作曲家と言われながら、その基礎にはドビュッシーなどの先達の業績を見据えたもので、突如ヴァレーズだけが歴史上に浮かび上がったのではない。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を筆者は10代の終わりに読んだが、そこに登場する主人公の作曲家は、ベートーヴェンを匂わせながら、実際はヴァレーズをヒントにしたと言われる。これは、その小説を読んだ人はみな意外な顔をする。数年前に家内の中学生からの友人で、音大を出た女性がわが家にやって来て、その小説を読んだばかりと言う。そして筆者は、そこに描かれる音楽家は誰をヒントにしたものかわかるかと問うと、当然ベートーヴェンという返事があった。だが、ロマン・ロランはそんな古い時代の音楽家を念頭に置いていなかった。そのことよりも面白いのは、てっきりベートーヴェンであると思われる主人公がヴァレーズであることで、そこにはロマン・ロランが考える音楽が見えそうだ。それはベートーヴェンに留まらず、それを革新して行く才能で、その突端にヴァレーズがいた。つまり、ロランは西洋のクラシックの伝統と革新を誇っている。そして、そういう流れに今度はザッパが連なっている。ザッパの音楽を単なるロックで片づけられない問題がそこにはあるだろう。そして、たとえばザッパを含む同世代のロックを「ニュー」と形容するのであれば、「オールド」のクラシックも知らねば理解が浅いものになりはしまいか。それを中村のように、クラシックは一部の王侯貴族の音楽であったので好まないと言うのは、「ニュー」としての音楽も微妙にゆがんだものになる気がする。
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 中村とうようの文章でほとんど最後に読んだのは、もう20年ほど前かもしれない。「どの国の音楽でも結局はドレミで共通している」といった趣旨のことが書かれていた。それもまた筆者には容易に納得しがたいものであった。ドレミはどの国でも共通か。そんなことはない。むしろ全くその反対で、それぞれに歴史の長い国は固有の音階や調律を持っていて、ドレミでひとくくりなどには出来ない。無理にそうしているだけであって、その裏には平均律を生み出した西洋の音楽家の格闘の歴史がある。またこの平均律は妥協の産物で、数学で言う唯一の正解というものではない。あくまでも便宜上、そう定めておくと、さまざまな楽器の合奏が出来て、そのことが西洋音楽の交響曲の概念に馴染むからだ。合奏などせず、ひとりが歌ったり、また楽器を演奏するなら、平均律など必要ない。音楽は平均律ですっかり捉え切れるほど小さなものではなく、実態は途方もなく大きい。また、調律は無限にあって、そこに筆者は音楽の無限の可能性を思うが、そうした調律の話は、ギリシアの文明に遡ることであり、宗教や神学と関係し、また数学や建築とも重なる問題で、それほどにドレミはさまざまな問題と絡んでいる。ピアノの黒い鍵盤は白の鍵盤のぴたり中央ではなく、わずかに左右にずれているが、これは演奏しやすいことのほかに、各音程の調律の歴史を反映してもいる。ま、そうした話は調律の歴史の本に詳しく、それを読めば、平均律で小学生でも何も考えずドレミを奏でることが出来る現在の裏側には、何百年にもわたって調律一筋に生涯を捧げて来た人々が大勢いることを知るし、それはやはり西洋の、つまりクラシック音楽のものと改めてわかる。余談だが、平均律の概念は古代中国にすでにあったというが、そこには金属工芸の技術が深く関係する一方、祭祀からの要請もあった。平均律がまだなかった頃の音階は、平均律でそれをなぞったものとは響きが全く違い、前者を再現しようという動きが20世紀に活発化したが、アメリカにはこの調律の問題に生涯取り組んで作曲した音楽家が何人もある。そうした人の音楽を同じドレミで出来ていると言えば、きっと大いに悲しむであろう。そのドレミがさまざまで、どれが正しいというものがないからだ。また、平均律では通常音階を長音階と短音階に大別しているが、さまざまな音楽を聴いて来ると、この長短だけは満足出来なくなる。そして、これ以外の音階は多く存在し、そうしたものを使って耳新しい曲を書くロック・ミュージシャンもあるが、それもまたギリシアの音階に源があって、それがクラシック音楽につながって行く。ロック音楽を聴きながら、筆者が思いを馳せたいのはそういうところだが、「ミュージック・マガジン」あるいはクラシック音楽雑誌でもそういうことはまず書かれない。そんな難しいことを考える人物はほとんどいないという判断か、あるいは書き手にそんなことを考える能力のある者がいないかだが、そのどちらでもあろう。
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 音楽の面白さは、与えられていて誰しも当然と思っている平均律ひとつ取り上げても、それ以外の方法が無数にあるということだ。これはたとえばの話、原発があたりまえと思っている硬い頭の人を思い浮かべればよい。音楽はどのようにでも根本から全く新たに作ることが出来る。人間の文明や文化でも同じことだ。今あたりまえにあるものだけが正しいのではない。人々はそれに慣れて来たに過ぎないし、一部には疑問や不満を抱いて絶えず慣れない人はいるから、ゆっくりと社会は改革されて行く。そうした社会の動きをいち早く察知して、音楽家や芸術家は作品にそのムードを反映する。先日も書いたが、日本に生まれて来てよかったと言う人がある。日本のどこを指してそう言うのか。それは自分だけがよいと思っているだけで、多くの人を犠牲にしているかもしれない。それを知ってもなおよいと言うのであれば、その人は問題意識を抱えることの出来ない我欲の塊だろう。芸術家は絶えずもっと別のいい方法がないかと考える。職人はその反対に同じことを同じようにやり続ける。芸術家が社会になくてはならないのは、社会のあり様を根底から見直す契機になり得るところにもあるだろう。だが、社会がそれを知る頃には芸術家はとっくに不遇のまま世を去っているのが常で、現世で人気の出る芸術家はだいたいが社会に迎合、もしくはほんのわずかだけ先を読んでいるに過ぎない。先を進み過ぎるとヴァレーズのように不遇になる。それはそうと、吉田秀和の訃報はまだ聞かない。もう100歳近いはずだ。中村とうようも同じほど長生きすべきであった。吉田はヴァレーズに会った日本人としては数少ない、あるいは唯一の人物ではないだろうか。吉田秀和はピアノを弾くが、音楽評論家はそれはひとつのあたりまえの前提条件ではないだろうか。さて、今日の内容は「新・嵐山だより」向きだが、タイトルが思い浮かばない。それでいつもの駅前シリーズにする。駅前写真は去年10月6日を4枚掲げる。
by uuuzen | 2011-07-22 23:18 | ●駅前の変化
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