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●嵐山駅前の変化、その114(駅舎から広場、脇道から広場)
欠と思っていたラジカセのCDプレイヤーの調子が急変し、どのCDをかけても2曲目から先に進まなくなった。CDデッキが壊れたばかりなのに、ついに好きなBGMを選んで聴きながら仕事することが出来なくなった。



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泣きっ面に蜂のたとえのように、困ったことはこのようにして相次ぐ。CDは駄目でもカセットやLPは聴くことが出来るので、音楽なしの生活にはならないが、それでも不便だ。パソコンでCDを鳴すことが出来るが、つなぐ必要があるスピーカーがない。1階のWINDOWS95は小さなスピーカーが内蔵されているので、また1階で仕事すればいいかもしれないが、仕事の切りがまだ少々悪い。それでもパソコンで音楽を聴くのはそれこそ補欠的な方法で、CDデッキを買うまでのつなぎだ。新品を買いに行くのが面倒なので、ネット・オークションで中古を探そうかと思っているが、まだ調べていない。ネット・オークションのいいところは、自宅で落札して、ネット銀行から送金すると、2,3日後には品物が届くことだ。河原町に出る時間も交通費もかからない。家にいながらにして品物が届く様子は、パソコンの画面から品物が飛び出て来るようでもあって、田舎に住む人は特にパソコンが必需品ということに今後はなって行くのではないか。ただし、中古でもかまわない場合に限る。電気製品は絶対に新品でないといやだという人は多いが、筆者はそうでもない。それに、よく買う本の場合は、新刊本ばかり置いている本屋では手に入らないものばかりであるので、ネットに頼るしかない。話は急に変わるが、今こうして書いている午後7時11分、嵐山の向こうが夕焼けで、世界が全部山吹き色に染まっている。30分ほど前からそうであったのが、もっと色が濃くなって来た。辺り一面がこんなに黄金色に見える日は珍しい。今日は気温が34度で、昨日よりかなり過ごしやすく、ずっと3階にいたが、夕暮れになるとほっとするうえに、この夕日が演出する色合いにとても気分がいい。だが、これももう10分もすれば闇が迫って来る。また話は変わるが、1階のパソコンと、今使っているWINDOOWS98の違いとして、WORDソフトの変換がある。元々記憶されている変換語句に大きな差があって、たとえば筆者は「人」という文字をよく文章に使うが、これがWIN98では必ず最初に「日と」と出る。この「日と」は絶対に使わないので、パソコンから消去して「人」を最初に出るように設定したいが、その方法がないようで困っている。ほかにも同様の例が多く、先ほども「向こう」と出すのに「むこう」を入れると「む甲」が最初に出て来て、やはり絶対に「向こう」は出て来ない。一度記憶すれば二度目からはそれが出て来る機能がWORDにはあるはずなのに、それが作動せず、毎回「日と」が出て来るから、先日は「ひと」を「人」に、新たにすべての品詞で登録し直した。それでもやはり「ひと」から「人」は最初に出ず、3,4番目だ。「ひと」から「日と」を書きたい日とがどれほどいるだろう。おそらく100人中ひとりもいないはずだが、それなのになぜ「日と」を最初に出るように設定してあるのだろう。パソコンがこんなに馬鹿ではは全く不便で、書いていてストレスが溜まる。手書きならば1回で済むものを、WORDを使ってこうして書くと、2,3倍の不要な文字を画面に表示させ、そこからいちいち選ばねばならず、本当に無駄が多い。だが、1階のWIN95では、「ひと」と打てば最初に「人」が出て来る。この差はいったいなぜか。95を改良する意味で98が出来たはずなのに、改悪になっている部分がある。これと似た話は無数にあるに違いない。機能を増やすほどに便利と考えているが、その一方でかえって初歩的なことがないがしろにされる。WORDの変換語句をいろいろと見ていると、95パーセント以上は筆者が死ぬまで一度も使用しないもので、それなら最初から変換語句など記憶させておかず、使う人が少しずつ充実するようにすればメモリーの容量も少なくて済むはずなのに、親切心があだになっている。
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 だが、便利な世の中とはそのおせっかい度が高いことを言う。日本は経済成長し、そのおせっかいがどんどん進んだ。ケータイ電話に多くの機能をつけ過ぎ、アフリカで最もよく売れているケータイは韓国製のもっと操作が簡単で、安価であると以前ニュースで知った。性能がよさを誇るのはいいが、それが世界的に見て商売につながっていないのであれば本末転倒ではないか。会社は芸術をやるではなく、まず利潤だろう。日本は科学で世界一にならねばならないと去年はえらくTVをにぎわしたが、科学と技術の兼ね合い、そして技術と商売の兼ね合いがどうもうまく行っていない。そして、これら科学も技術も経済もみんな国民、人類のためであるはずなのに、その根本も見過ごされている。それが原発事故以降の対応だ。何をさておいても助けるべきは人の命だが、それはいつも二番目か、まだもっと後だ。国の経済が立ち行かねばならないという思いはわかるが、その一方で被害を受けた人々は切り捨て、見殺して平気というのと同じ感覚が、この日本では大昔からあるようで、欧米並み民主主義の根本的な考えはいつまで経っても政治家の頭にはない。日とを(面倒臭いので「人」を出さずに「日と」とやることにする)見捨ててより大きな何か、つまり国家を尊重するという考えは、先に書いたように全くの本末転倒で、日とがいるから国家があるということを忘れている。日本の政治家は国家すなわち自分たち政治家で、それが安泰であるためには、多少国民が犠牲になっても仕方がないと本気で思っている。福島原発の事故はそのことをよく証明している。前にも書いたが、どうせ見えない放射能であり、データがどうのこうのと言ってもどのようにでも操作出来るし、すでにそういうことを盛んにしているに違いない。その片棒をかつぐのがNHKなどの国家放送局でもあるだろう。不安を煽り立てないようにと言いながら、実際は不安が大きくなってもらっては困るからだ。そしてその不安は現実に即したもっともなものであっても、躍起になってそれは間違いだと喧伝する。だからいつも筆者が言っているように、国会や放送局、議員宿舎など、全部原発の隣に持って行けばいい。そうすることで初めて国民は納得、信用する。そんな簡単な理屈なら3,4歳の子どもでもわかる。自分たちだけが安全地帯にいながら、福島が安全などと言っても誰が信用するか。繰り替えすが、科学や技術で世界のトップを走るべきという意気込みはわかるが、もっと肝心なことは、国民の命や健康が何よりも大切で、それを無視して金を儲けていったい何に使おうというのだ。みんな死んだ後に現ナマだけが山積みされているアホな光景を思い浮かべればいい。何のための科学、何のための技術だ。だが、そんな政治家を選んでいるのが国民であるから、そのつけが来ているだけの話だ。菅降ろしの声が1か月前から高まったが、かと言って自民党がどれだけスムースに問題を処理してくれるか。元をただせば自民党が今のような世の中を作って来たのであって、菅降ろしを大声で口にする人は単細胞が多い。ま、誰に代わってもうまく行くはずがないし、どうせ政治家は国民からくそみそに言われてなんぼの商売で、せいぜい次の総理を1年でやめさせることだ。これも昔から筆者は何度も言っているが、総理は1年で交代する法律を作ればいい。どうせ1年と思えば諦めもつくし、国民の幻滅も経る。そして、ここ数年は全く筆者の思いどおりにほぼ1年で交代しているから、案外日本の政治はまともなことをやっていると評価したい。
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 食事をして今は8時40分。外は真っ暗、昨日よりかなり涼しい。さきほど6時頃、いわきのTさんから電話があった。昨日こちらから何度もかけたが留守であった。震災に遭った日とは医療費の還付が役所からあるとのことで、昨日は終日夫婦でそれを受け取りに出かけたそうだ。市役所まで遠いのかと思って訊くと、小名浜に出張所があるそうで、家からは片道5キロだ。1時間に1本バスがあるが、バス代は片道300円ほどと言う。Tさんは杖をついて歩くので、バス停まで行くのが大変、それでタクシーを利用するが、片道数千円になり、医療費の還付金が飛ぶ。それに大勢の日とで順番が回って来るのに1日かかる。買い物が不便だが、魚は売りに来るあばさんがいるらしい。バスに乗って小名浜まで行くのは交通費も高く、時間もかかる。田舎は自家用車がないと生活出来ないようになっている。Tさんに先ごろ品物を送った。毎年中元と歳暮の品を送ることにしているが、震災で家が半壊したこともあって、お返しに気を使ってもらっては困るので、いつものように百貨店からは送らなかったし、また電話でもお返し不要と言っておいたのだが、毎年のようにまた海の幸が届いた。その品物はいわきや東北で獲れたものではなく、アラスカやチリなどの外国産で、そのシールを業者に貼っておいてくれと頼んだのに、業者が忘れてしまったことのわびの電話であった。その業者とは、いつも魚を売りに来るおばさんであることを今日初めて知った。もっとも、そうしたおばさんから魚を買っていることを知ったのも1か月ほど前の電話による。筆者は往復1万歩近く費やしてスーパーまで買い物に行くが、Tさんの年齢になればもうそんなに歩くことが出来ず、買い物をどうしていることかと思う。Tさんの生活をあれこれ想像していると、交通の不便な田舎住まいの大変さ、また老夫婦だけの生活の大変さを思う。それでもわが自治会では同じような年齢の老人が大勢いる。そういう日とが毎年数人ずつ確実に死んで行き、敬老名簿に線が引かれる。それはいいとして、Tさんから電話があるとつい長話になる。お元気な声であるので、つい安心するが、足腰が悪いため、家の中では這っていると言う。昨日Tさんから海の幸が届いて電話しても話すことが出来なかったので、早速お礼のはがきを書いた。そのついでに地震から4か月目でもあったので、今まで書いたのに出さなかった手紙を一挙にまとめて出すことにした。ただし、出さずにおいた箇所を墨で消した。なぜ出す気になったかだが、墨で消す箇所以外は今後の話の中で出て来る可能性が大きく、筆者としてはてっきり手紙に書いたはずなのに、それを忘れてその話題になった時、Tさんがきょとんとしては困るからだ。つまり、今後の補助になるとの思いだ。記憶力のいいTさんはとても古いことをよく覚えている。なので、手紙の内容もそうだと思うが、筆者にしてもせっかく書いたことをなるべく読んでもらう方がいいと考えた。書いた全部の内容が没になる対象ではないからだが、墨で何行も消した手紙をTさんは見てかえって驚くかもしれない。その消した箇所は、簡単に言えば手紙に残すのはよくないと考えた。実際にお会いして筆者の口から語るべきで、そうなれば筆者とTさんとの間にしか残らない。それを思って墨で消した。手紙は本当は5通あったが、1通は完全没にし、残り4通分で合計20枚、切手代は140円であった。そんな分厚い手紙をもらってTさんはまた驚くかもしれない。それにその4通は何度も書き直したものであるから、どれかがどれかによく似ている。そこに筆者が呻吟した様子が伝わるだろう。本当はそれもよくないのだが、そのことについては今後の手紙で詫びようと思う。最後になったが、今日の4枚の写真は去年9月23日の撮影だ。相変わらず駅前広場の工事が続いている。
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by uuuzen | 2011-07-12 21:17 | ●駅前の変化
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