●「LIKE A ROLLING STONE」
補曲が3,4あったが、今月の「思い出の曲、重いでっ♪」の投稿はボブ・ディランの曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」にする。昨日甲府では38度の気温を記録したと夜のネット・ニュースで知ったが、わが仕事場の3階は真夜中でも35度を下がらなかった。



d0053294_10474089.jpgそれでも日中に比べて涼しく感じたから、35度は36度とは大違いのようだ。ともかく、筆者の脳裏には、蒸し暑さとこの曲は密接につながっている。だが、それにしても昔の夏はこんなに暑くはなかった。少なくとも筆者がボブ・ディランのこの曲を初めて聴いた1965年の8月のとある夜は、確かに蒸し暑くはあったが、クーラーはなく、扇風機もさほど回っていた記憶がない。それは大阪の街中と違って京都であったからかもしれないし、また地球が温暖化してもいなかったのだ。数十年で地球環境が激変した。このままでは半世紀すると気温50度になって生物全滅だろう。温度調節のためにクーラーを要し、それには原発がもっと必要になって、放射能によってどっち道、全滅する。それはさておき、小学生から中学生まで、毎年夏休みには京都の母方の親類の家で数日過ごすのがならわしであったが、この曲を大きなステレオのラジオから聴いたのもそんな夏休みの夜だった。一度聴いただけですぐにメロディを覚えた。2分30秒ほどの短さではなく、6分以上あったこともその理由だ。この長さは当時例外中の例外で、ビートルズの「ヘイ・ジュード」は3年後だ。いつ果てるともわからない繰り返しの多い歌声がとても珍しく、なおさらいい曲だと思った。ボブ・ディランは日本ですでにいくつも有名な曲でよく知られていたにもかかわらず、筆者はエレキ・ギターのうるさい曲が好きで、フォーク・ソングにはほとんど関心がなかった。ディランの曲は歌詞が重要であることを知ってもいたからで、いちいち対訳を読んでまで曲を好きになろうとするほどにディランの曲のメロディは耳に心地よいものではなかった。語りをそのまま歌にした味わいで、やはり英語の理解力がなければ楽しめない。それは13、4歳の筆者にはとても無理な話であった。そして、その思いのままこの年齢に達した。ディランのアルバムはCDで10数枚持っているが、ほとんど聴かない。だが、先日は「ハリケーン」を急に聴きたくなって、3日ほどは終日大音量で聴いた。その曲を今日取り上げるつもりもあったが、やはり初めていいと思ったこの曲にする。
 歌詞の概要については、最初に聴いた夜にDJが簡単に説明したと思うが、そうでなくてもそれからさほど年月が経たない頃に知った。そして、何とも言えない大人の味わい、また他のミュージシャンにはない辛辣さを思い、そのことでなおさらディランの曲には怖れをなした。その最初に聴いた夜から45年経とうとしていて、自分のこれまでの人生をこの曲に多少は照らし合わせて思うところもあるので、今日取り上げておくのは意味があるだろう。そして、この曲の恐ろしさは、人間は死の寸前まで人生がどう転ぶかわからず、油断出来ないということだ。「転がる石のように」は、「蹴られて転がって行く石」の意味で、取るに足らない存在の象徴だが、これは油断して怠けている人だけを形容したものではない。ここ日本においては、先ごろの巨大地震を思えば、誰しも結局は転がって行く石に過ぎない存在であることを思う。筆者はその点今までどうであったか、またこれからどうであるかと思う。一方のディランはこの曲以降もヒットを放ち、今なお健在で、人から蹴られない大きな岩のような大御所になっている。それを思うと、ディラン自身がこの曲の歌詞を絶えず反芻しているのではないか。ディランの近寄り難さはその顔によく出ている。ジョージ・ハリソンがディランを敬愛し、バングラ・デシュのコンサートに招き、LPの片面をディランの曲で占めさせたことは、当時のビートルズ・ファンには大きな驚きで、その時にディランのファンになった人も少なくないだろう。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は『追憶のハイウェイ61』というアルバムに収録されているが、このジャケットに写るディランの顔は、どこから見ても知的過ぎるところがあり、すでに顔が出来ている。Tシャツにカラフルなシャツをはおって、その様子は全くサラリーマンとは別世界の人間を示してもいるが、背後にカメラを持って立つ男の下半身が写るのは何とも理解に苦しむところがあって、アルバムの写真としては出来がいいとは言えないし、またその謎めいた点こそがディランの曲に対するとっつきにくさを象徴している気にもさせる。ディランの曲の面白さは詩の巧みさ、その物語性にある。たとえて言えば、この「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞から映画を作ることも出来るほどだ。あるいは話は逆で、映画から着想を得て歌詞を書いたとも思える。ともかく、歌詞の面白さ、巧みさは、ジョン・レノンやザッパなど、作詞する音楽家には無視出来ない影響を与えた。ディランの曲の歌詞を網羅的かつ深く吟味したことがないのでこれは直感だが、今日取り上げる曲だけを見ても、そこには実にうまい言い回しや、また聴き手のある程度の知識の高さを念頭に置いたところがある。簡単に言えば文学的だ。それはディランという芸名がイギリスのディラン・トーマスに由来するものであることからもわかる。ディランはユダヤ人で、ジンマーマンという名字だが、これでは成功を収めることが出来たであろうか。余談だが、ジョン・ゾーンはディランのことをどう思っているのだろう。同じユダヤ系アメリカ人として、また音楽の偉大な先輩として意識はしているだろうが、ゾーンは文学に造詣は深くても作詞はしない。
 さて、この曲は4番まである。それぞれにホームレスになった人物を取り上げ、はなむけの言葉を送る。はなむけと言えばえらく皮肉が利いているが、つまり、ホームレスになった人物に、「どんな気持ちか?」と言葉をかけながら、なぜそういう身分になったかを暗に言い及ぶ。それは奢る者久しからずの精神に発したものと言ってよいが、歌詞、そして歌い方の調子には、「ざまあ見ろ」といった蔑みの思いが濃厚で、その点を先に恐いと書いたのだ。その蔑みは日本ではかなり反感を食らう質のものに思える。日本ではホームレスに同情する人が多いし、そうなったのは自己責任ではあっても、なるべく国が保護の対象にしようというのがだいたいのところだろう。だが、それも日本の現実をよく知らない寝ぼけた思い込みに過ぎず、日本のホームレスはディランがこの曲を発表した1965年とさして変わらないかもしれない。たとえばある都会から一斉にホームレスが消えたとする。その人たちに仕事が与えられたのはいいが、原発の炉内の清掃に狩り出され、基準以上の放射能を浴びながら、また名前を変えさせられて何度も同じ仕事に就き、最期は病院の片隅で末期癌で死ぬ。これは事実であり、ホームレスになればさらにどん底が待っているのが現実だ。そういうことが情報の操作でうまく世間からは隔離されているだけのことで、ディランがこの曲で歌うように、ホームレスになればもうおしまいなのだろう。歌詞からは60年代半ばのアメリカでホームレスが多かったことが想像され、そのことが多少は意外な気がするが、それだけアメリカは人生の浮き沈みが激しい国で、金持ちも貧乏人も過酷に生きていることを思わせる。そのひとつは国民健康保険がないことだ。日本は国民皆保険の制度が今まではかなり機能して来たから、ホームレスになる一歩手前でどうにかそれを防いでくれる社会保障があったし、また今もそれなりに機能していると思うが、アメリカがそうなっていないことはこの曲の歌詞から暗にわかる。それと、ホームレスになる人には親兄弟がいないようで、またいたとしてしても個人主義が徹底していて、自分の人生は自分ひとりでどうにかしなければならないという覚悟を小さな頃から徹底して教え込まれるようなところを感じる。この日米の差によって、この曲は60年代半ばの日本の若者にはおそらく現実感が伴なわなかったのではないか。それがここ20年ほどでアメリカに追いつき、ようやくこの歌詞が日本でも言い当たることになった。ディランはこの曲の歌詞を書いた時に、自分は絶対に歌詞で揶揄するような人種にはならない自信があったことだろう。それは次に説明するように、「誰からも知られない」存在としては生きず、表現者である自負があったからだろう。その表現者の立場はネット社会になってその気さえあればほとんど誰もが持てるようになった。たとえばの話、このブログでもそうだ。こうして何か毎日書いていることで、名前は知られなくても、存在は誰かに伝わっている。だが、ディランがこの曲で歌い及ぶ連中は、おそらくネット社会になっても自分から何かを発信しないだろう。
 第1番の歌詞をざっと訳す。「昔は格好いい服を着てたね。羽振りがいい時には乞食に小銭を投げ与えたことがあったね? みんなは言ったものさ。「気をつけろよ、気前のいい人、落ち目に向かってるぞ」 あんたはそれを自分をからかっていると思ったものさ。あんたはうろついている連中をよく笑っていたよね。それが今では、あんたは大声で話さない。それに、次の食事を漁らねばならないことにプライドも全くあったもんではないね。どんな気分かな。家がないことは。誰からも知られないことは。転がる石のようなことは。」 この歌詞はホームレスになった者を嘲笑すると同時に、その人物がかつて笑ったホームレスも同じような人間であったことを思わせ、ホームレスへの温かい眼差しが欠如している。あるいはそう思われても仕方のない書き方がなされている。だが、その一種の埋め合わせは3番目に出て来る。ホームレスではなく、ジャグラーや道化などの大道芸人だが、そういう人々を嘲笑した金持ちが落ちぶれることが歌われる。また、4番目は島流しになったナポレオンが出て来るが、同じように豪華な生活をしていた連中が同じような身分になることを歌う。ここには『聖書』に同調する思いがあるかもしれない。さて2番の歌詞だ。「立派な学校を出たよね。ミス・ロンリーさん。けれど、もう知ってるね。そこですっかり搾り取られたことを。路上で生活する方法は誰も教えてくれなかったね。そして今わかったんだ。その生活に慣れなければならないって。あんたは絶対に得体の知れない者とは仲よくならないと言ったよね。けれど今は彼の目の真空を覗き込んで取り引きしたいって言っても、彼がどんな言い訳も売っていないことを知ってるよね?」 この後半は少しわかりにくい。「得体の知れない者」は「Mystery Tramp」だが、本当はどう訳せばいいだろう。結局、半ば乞食みたいな生活をしている連中の身分になってしまったミス・ロンリーは、そうなってしまった口実(Alibi)を「Mystery Tramp」の眼の中を覗き込みながら求めるが、そこにはないということだ。つまり、連帯を求めても、それも拒否される存在に身を落としたということだ。立派な学校は出たが、そこで搾り取られたというのは、この2番の歌詞の主人公が独身女性であるだけに意味深長だ。その部分は「You only used to get juiced in it.」と歌われるが、「get juiced」という表現は「ジュースにされた」であるから、果物のように瑞々しかった女性がすっかり「弄ばれた」ことになって、具体的な映像も眼に浮かびそうだ。ディランの歌詞の面白さはこういう表現にあるだろう。1番は成り上がりの男の末路、2番はいい学校を出ただけの社会適応性の欠如した未婚の女。3,4番はそれぞれ中流と上流社会の人々の没落を歌うが、何もかもなくしてしまった人に対して、それに見合うだけのことをして来たという戒めと取ればいいだろう。そして、そこにはホームレスになってしまった人への救済の思いは微塵も込められていない。アメリカはあくまでも自力でまたそこから這い上がるべきで、そういう非情な社会であるからこそ、ディランのこう響きの歌詞が書かれもする。日本ではこの内容では無理ではないだろうか。この曲はシングル盤で発売され、たまにネット・オークションでも見かけるが数千円はする。それで今回はCDのアルバム・ジャケットを載せる。このアルバムの冒頭にこの曲が入っている。オルガンがとても印象的で、これはアル・クーパーが演奏している。この人物は日本でも大ヒットした「恋のダイアモンド・リング」の作曲を手がけた。この曲はシングル盤を持っているし、好きな曲なので、いずれここに取り上げる。
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 もう少し書こうか。昨日CDデッキがついに壊れた。最近急に調子が悪くなっていた。カートリッジが取り出せず、どうにかごまかしながら聴いていた。分解して調べると、プラスティックの小さな爪が折れていた。それを瞬間接着剤でくっつけたが、うまく行かなかった。メカニズムに少しわからないところがあり、またどうにも取り外せない細部に問題があるようで、もう寿命だろう。カートリッジは6枚連続再生が可能なものと1枚だけセット出来るものの2種が交換可能で、当初からそのメカニズムには多少無理を感じていた。買ったのは20数年前であるから、もう元は取ったか。当時7万円ほどしたが、今は同じほどの価格でもっと高性能のものがあるだろう。20数年の間に3,4回修理に出して、前回出した時はデッキ両側の塗り板の一部が無残に破損していた。修理業者が高い場所から落としたことが明白で、当然文句を言ったが、修理代を無料にするからと言われてそれを飲んだ。だが、その時に多少内部がおかしくなったのかもしれない。仕方がないので、またラジカセで聴いているが、先月だったか、これを1メートルほどの高さから落とし、CDをセットする蓋を壊してしまった。重しで押さえれば問題ないので、そうして聴いているが、リピート演奏出来ないのが癪に障る。CDデッキもラジカセと同じように蓋を開けてCDをセットするという簡単な方法であれば、多少壊れてもどうにか聴くことが出来るのに、カートリッジのセットだけがうまく出来ないことによる処分は惜しい。デッキを買う余裕は今はないので、当分はラジカセが頼りだ。何でも寿命があるものだ。もちろん人間もそうだが、音信が途絶えてその後どうなったかわからない知人のことを最後に書いておこう。筆者と同じ年齢のKは、5,6年前まではたまに電話をくれた。奥さんと離婚した後、ひとりで西陣に住み、そのうち高槻に引越し、やがて大阪市内、そして岸和田あたりに流れて行ったようだが、電話をくれるたびに声が弱くなって行った。奥さんとの間には子がふたりあったが、Kの働きぶりは不況もあって思わしくなく、また無類の酒好きで、酔えば便所と居間を間違ってTVに放尿するようなこともざらにあり、結局奥さんから放り出された。奥さんは母の遺産もあって、金には困らない。Kはその点、ほぼ無一文同然で、離婚後はどのようにして生活したのか、訊いたことがないのでわからない。Kは出来れば筆者と会って話をしたそうであったが、会っても話す内容がなく、やんわりと拒否した。Kと知り合ったのは、あるおばさんを介してで、面白い男がいるからぜひ筆者に紹介したいというのであった。80年代前半だったと思う。だが、第一印象はよくなく、いきなり筆者は半ば喧嘩を吹っかけた。すると、その手に乗り、Kは逆上し、食ってかかって来たが、論理や説得力で筆者にかなうはずがない。筆者が嫌悪したKの態度とは、言っていることは勇ましいが、行動はその逆であったことだ。それは全く筆者とは反対だ。そのため、Kは初対面では女性に持てるタイプだろう。男らしいというわけだ。だが、実態を筆者は会ってすぐに見抜き、そのことでKはその後最後まで筆者を崇拝、尊敬、そしてライヴァル視したが、こっちはライヴァルとも何とも思わなかった。だが、そういうKにもどこか憎めないところがあったのは確かだ。ただし、そういう態度の後ですぐにいつもの自慢が出る。空元気と言おうか、出来もしないことに幻想を抱き、何も手をつけない前から戦利品を獲得したような法螺をよく吹いた。そういうところが奥さんから嫌われたのだ。Kの最後に近い電話に、10歳ほど年長の花屋の金持ちの奥さんに迫られて、一度セックスをしたという話があった。それを想像して絶句したが、一度だけでその後はその花屋も家の戸を閉ざしたようだ。遊ばれたのだが、母性本能をくすぐるところがまだ残っていたのだろう。Kは筆者の電話番号を知っているのでかけることは出来るが、ぷつりとそれをしなくなった。どこかで野垂れ死にしたのではないかと思う。そうなってもおかしくない経済状態であったろう。60年代のロックが好きで、話はいつもローリング・ストーズの「サティスファクション」になった。そしてシュルレアリスムの絵画など、それなりにスノッブな側面もあったが、筆者とはまともな話に発展することはなかった。だが、そういう断片的な興味や知識でも、若い頃は女性を簡単に口説くことも出来た。やがてめっきは剥がれるし、いつまでも女性は我慢しない。Kの奥さんとはその後も筆者は会えば話をするので、これ以上書くのはやめておこう。Kの友人にはなれなかったが、かと言って、この「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞のように、Kを見下げて思うことはない。また、筆者がそういう性格であることをKはよく知っていて、筆者を唯一の友人と思っていた。だが、筆者にはKをどう世話してやることも出来なかった。転がる石はこっちも同じなのだ。
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by uuuzen | 2011-06-30 10:49 | ●思い出の曲、重いでっ♪ | Comments(0)


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