●梅雨時の白花三題、その1
シャツは嫌いではないが、あまり派手な色を着る年齢でもないなと自粛の気分が湧くのは、今年還暦を迎えるとの思いがあるからか。



以前自治連合会の集まりで、あるおばさんから笑顔で「芸能人みたいやね」と言われたことがあるが、それを家内に言うと、「それはね、変な色気があるということで、あまりいい意味とは違うで」との返事。色シャツをよく着ているからそんなことを言われたのではないとは思うが、筆者の顔はかなり変わっていて目立つのだろう。そう言えば、昔ある女性から、生まれて初めて見るタイプで、同じような顔つきの人とは出会ったことがないと言われたことがある。また、昔家内の兄からは、「サンダーバードみたいなや」と真面目顔で言われたことがあって、同席した一同が爆笑した。サンダーバードというのは、今50代なら知っているが、アメリカかイギリスが作った宇宙モノのTV用人形ドラマだ。そこに出て来る人形はみな濃い顔をしている。筆者は濃い顔ではないが、全体に人形劇に出て来るような四頭身的な風貌をしているのだろう。「男は目立なあかん」と自分に言い聞かせているが、これは母の影響が強い。筆者は小学生の頃から額があまりに広いことを気にしていたが、母はいつも「額の狭い男は賢く見えへんからあかん。ぱっと広いのがええんや」と言ってくれた。額が広いとさぞかし禿げるのも早いと心配したが、これは予想に反して、頭のてっぺんは禿げていないし、額もびっくりするほどには後退していない。禿げるより白髪になる方で、この調子で真っ白になることを期待しているが、散髪屋に言わせると筆者の髪は死ぬまでごま塩状とのことだ。大勢の人の髪を見ているからわかるそうだ。真っ白な髪に憧れるが、真っ白になれば、夏は真っ白な帽子に白のスーツ、靴といういでたちで出歩きたいと思っている。そうなるとますます芸能人っぽいと揶揄されそうだが、色シャツではなく、白で目立つのはいいではないか。そうした姿が夢なのだが、ごま塩頭では全体にうす汚れて見えるかもしれず、やはり夢に終わりそうだ。それはさておき、蒸し暑くなって来ると、半袖のシャツを着ることになるが、毎日着替える必要もあって、それなりに数は持っているが、出かける時に何を着ればいいかと迷うことが多い。よそ行きとなるようなものをほとんど持っておらず、年齢からすればちゃらちゃらしているものばかりで、そういうものを着るから芸能人と言われるのだろうが、それ以外に筆者の歩き方や全体の雰囲気に特徴があり過ぎることも理由だろう。昨日は午後に出かけたが、初めて着用する帽子にこれも初めてのサングラス、そしてシャツも普段とは違うものを身につけていて、おそらく筆者とはあまり認識されないだろうと思っていると、前方30メートルで昔から顔馴染みの宅配便のおじさんが立ち止まって挨拶する。つまり、一目で筆者だとわかったのだ。ついでに書いておくと、このおじさんとは数時間後、用事を済ませて帰宅中にもまた会って、同じように挨拶を交わした。地元でこうも顔が知られると、何となくまずいかなと思わないでもない。女性と歩いていると、いっぺんに噂になってしまうだろう。昔そんなことがあって、大いに慌てたことがある。
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 昨日の投稿に掲げた2枚の写真はウメサオタダオ展を見に行った日に撮った。万博公園の夢の池は長らく工事をしていたがそれが終わってまた水が張られていた。当日はお祭り広場でバザーがあったが、筆者らが到着した頃には雨が降り始め、みんな早々にキャリー・バッグに商品を詰め込んで駐車場に向かい、また車の列が長く続いていた。万博公園内には絶対に車は入れないと言っていたことが、いつの間にかなし崩しになった。これで日本庭園の野鳥にどういう影響が出ていることかと思う。一旦決めたことは長年守ればいいものを、日本は車で世界に冠たる経済国家になったこともあって、車さまさま、車のお通りだいとばかりに、道路がどこまでも整備され、車で移動することがケータイを持つことと同じほど常識化した。梅棹は車が安価で供給されることを予言したが、それに伴なうマイナス面はどう考えたのだろう。そのマイナス面は電気自動車の登場によって解消される向きもあるが、なくて済むものは持たない主義があっていいし、無駄と思えることに時間や気を取られないように筆者は今後も心がけたい。思い出したので書いておくと、ウメサオタダオ展の会場に入る前に傘を傘立てに立てる必要があった。「傘を傘立てに立てる」とは二重の言い回しで冴えないが、傘立ての器具を別に呼ぶ方法があるのだろうか。なければ作った方がいい。で、その傘立てには、100円を入れて鍵を締めるもの、そのまま立てるものなどいろいろ種類があって、どれも面倒なのだが、みんぱくでは3桁の数字をセットして傘を嵌め込み、数字を適当に移動するとロックがかかる仕組みであった。傘は家内の1本しかなく、家内が番号をどうしようと言うので、筆者はすかさず「オナニーの072や」と言ってセットしたが、それを聞きながら家内はいつものように『何という下品な』と呆れ顔をしていた。だが、555といったゾロ目では誰しも思いつくし、他人に持って行かれないようにするには変わった数字がよい。それに筆者はその行為をこのブログのネタにすることを思ったのでそんな番号にしたのだ。先日書いたように、「オナニー」という言葉を使うとかなり訪問者が増える。どういうキー・ワードでこのブログを訪れているかを知るページがあるが、「オナニー」は3位になっている。つまり、筆者のブログの訪問者はスケベエな話題を求めてやって来るケースがかなり多いことがわかる。それもあるので、今日もわざわざ「オナニー」を使う次第。さて、そのスケベエなネタに絡めると、女性のパンティは白がいいかなと今思った。シャツの話題からパンティへと相変わらず下品に傾斜するが、ま、話を続ける。白は無垢のイメージがあって、また梅雨時のばい菌が増殖する季節であれば、下着でなくても白を着用したくなる。筆者ももう少しましな白のシャツを着たいと思う。筆者は昔から襟つきのシャツが好きで、襟のないTシャツを着て外出することはほとんどないし、またTシャツはほとんど持っていない。そこが古い世代をよく示しているのだろう。また、母は筆者の身なりにかなり口うるさく、あまりに若い感じのものや、崩れたものを着ていると、必ずそれを指摘して文句を言う。お洒落をせよと言うのではなく、ぴしっとした感じを人に与えるべきと考えているのだ。したがって、筆者の身なりはかなり母の影響を受けている。母は知的な男が好きで、しかもダンディ好み、簡単に言えばそこらに大勢いるような普通の男性には目もくれない。また、筆者は年々父親に似て来ているらしく、それを母の弟に会うたびに言われる。ということは、筆者は母好みの顔つき、身なりになって来たのだろう。だが、性格は父とは全然違うようで、母は筆者と話すたびに、なぜこんな子が生まれたのだろうと呆れ顔だ。
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 さて、昨日は仕事のちょっとした区切りも出来ていたので、若冲の「薔薇小禽図」の訪問着を仕立て屋に持参した。バスを3回乗り換える必要があるが、以前は車でしか行くことの出来ない久御山に住んでおられたのが、数年前に今熊野に越されたから、同じ京都盆地内、バスでぐるりと回ればよい。仕立て屋さんは今年70で、筆者より10歳年長、最近かなり仕事の腕が落ちて来たとこぼしていた。筆者が今年還暦を迎えると言うと、お世辞だが、とてもそんな年齢には見えないと言われ、それは全く好きなことをして生きて来たからかなといったことで話がまとまった。仕立て屋で1時間ほど話をしてバスに乗って府立図書館に向かい、梅棹の全集から1冊借りてまたバスを乗り継いで嵐山に向かっていると、背後から大きな声で「先生!」の声、振り返るとさきほどの仕立て屋のおばさんだ。「いやあ、どうも先生に似たお帽子とシャツの男の方が座っておられるのでそうかと思いました」と言いながら、筆者の真後ろに座った。「どこからお乗りやした?」「図書館から祇園まで行って、そこで乗り換えました」 筆者が乗った時にはすでに乗っておられたわけだが、満員であったから席が空いてから見つけたのだ。京都の狭さがわかる話だ。ここで話が思い切り飛ぶ。夜眠りにつく時、家内はぽつりと言う。「今日歩いている時に何か思わへんがった?」「何で?」「今日、ふと○○ちゃんが歩いている姿が職場でありありと思い浮かんで、何だか小さな子どもみたいで、それに不本意なことばかりの人生でかわいそうやなと思ったん」「母性本能かいな」「そういうわけでもないけど、○○ちゃんは自分の思いどおりにならへんことばかりで今まで生きて来たやろ。それがかわいそうやなと思うんや」「そんなことないで、ずっと好きなことしてるし」「それはわかってるけど、その好きなことが充分でないやろ」「それは仕方ないわ。誰でもそうやろ。限られた中でやるしかないしな。それでも今年還暦やし、今と同じように元気で仕事出来るのももう10年ちょっとやと思うし、本当にいい仕事は残したいな。今までとは違う代表作と呼べるもんを作りたいな……」 そんなことを言いながら、筆者は、仕立て屋さんからの帰りの長く続く坂道、あるいはバス待ちの際の京都市美術館の前、そして帰宅途中で宅配便のおじさんに会った場所のすぐ近くという、各所で咲いていた白い花を思い浮かべていた。今日はそれら3枚、3種の花の写真を掲げる。泰山木、やまぼうし、カシワバアジサイだ。筆者の仕事はいつも真っ白なところから始まる。真っ白な紙や生地に何を描き染めるか。それは筆者の全くの自由だ。時間をそうした行為で埋めて行くことは、色をつけるところからは色気のある仕事と言ってよい。それは人から目立つものでなければならない。もちろんいい意味においてで、筆者が芸能人みたいと言われることとは少し違う。芸術家みたいと言われるといいのだが、下品な話によく傾斜するのでそれは無理かもしれない。
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by uuuzen | 2011-06-15 12:46 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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