●嵐山駅前の変化、その110(円形階段、駅舎から広場)
われるものは世間にいろいろとあるが、一昨日ネットで見かけたのが、夫のセックスが長いことというのがあった。妻がしかめ面で夫の体の重みを我慢している光景が目に浮かんで、思わず笑ってしまう。



長年夫婦をやっていると、だいたいそういうことになって来て、同じ気分を味わっている女性は多いことだろう。同じように嫌われるものとして、話が長いということもある。自治連合会の集まりで、ある老人が話し始めたが、要領を得ずに話は別の方向にそれる。そこで進行役が次に宴会が控えているのでといった理由で話をさえぎったが、それを見ていて筆者は少し気の毒になった。話をした老人は年1回の機会であり、また新し自治会長たちに事情を説明せねばならないと考えていたのだ。ゆっくりと話し、またあちこち脱線するのはやむを得ないところがある。それに、話したのは2、3分だったと思う。その2、3分が長ったらしいと感じるのは、宴会が迫っているといった理由ではない。あまりみんなが関心のないことに話が移るからで、筆者はその部分はそれなりに面白かった。だが、進行役がさえぎらなければ、おそらく1時間でもしゃべったであろう。以前空気が読めないという言葉がはやったが、老人になるということは、自分の空気しかわからないということらしい。その意味で言えば、筆者のこのブログも全く時代に反して空気を読めないものになっている。まず話がくどくどと長い。いつ果てるかわからない長文で、画面右のスクロール・バーの高さがあまりに短いので、それを見ただけでも、もう全文を読む気がしないという多忙な人はきっとたくさんいる。ネット中毒者が出る一方、ネットにはさっぱり縁のないまま人生を過ごす人は今後もある程度の割合を占めて絶対になくならない。ネットの基本には文字を読むことが依然としてあり、その文字の読み書きの苦手な人がいつの時代にも何割かはいるからだ。そういう人もネットに取り込もうと、時代はホームページからブログ、そしてもっと短い140字以内のツイッターと変化して来ている。長いことはますます時代遅れになる。リニア新幹線がやがて大阪東京間を1時間で走ろうという時代に、140字でも長いとみんなは感じ、やがてせいぜい20字で表現することが求められる。筆者はそれを別段おかしいとは思わない。俳句の例から言っても、日本は古来物事を単純に示すことを得意とする。その俳句を思えば20字以内で投稿すべしという時代になってもそれは当然と思うし、またその20字でみんなが他人とは違う個性を表現出来るのであれば、これは世界的に見ても歴史的に見てもとんでもなく芸術的で素晴らしい。20字に満たない文字で他人にはない個性を発揮するのは、長文を書くより時間もエネルギーも要す。そして、そういうことをよくわかった人が20字以内で投稿するのであればいいが、これは全く期待外れで、きっとみんなほとんど区別のつかない文体や内容になるに決まっている。ブログやツイッターを個性の表現の場と真剣に考えて行動する人は稀であるからだ。筆者が言いたいのは、長文であろうと20字であろうと、何かを書いて世間に晒す行為は、恥晒しでもあって、それを常に自覚しておかないと、人々の目に留まったり、好印象を与えるものにはまずならないということだ。そして、そんな覚悟がない人、また書いたり考えたりする時間のない人は最初からネットに文章を投稿しないし、読み手にもならない。
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 長い文章を読むのが苦手という人が中心になっているために、長文が嫌われるのだろうか。先の自治連合会の話にもあるように、そうとは限らない。空気を読めない部分が嫌悪の対象になる。そしてそういう人は老人に限らず、ごく若い人にもある。幼稚園児にもあるほどで、空気の読めない子どもがしばしばいじめの対象になる。その空気の読めない態度とは、みんなとはいささか違っていると、ある一定数のみんなが決めるから、そのことでいじめの対象になるのはたまったものではないが、そのみんなとはいささか違う態度が、筆者の経験から言えば、他人とは違って自分はいいところの出で、親や兄弟の学歴がよく、また金持ちでもあるといった、自慢が見え見えになっている場合が多い。こう書くと、いじめられる者にその原因があると言いたいようで、批判を浴びるかもしれないが、話を続ける。筆者のように、片親に育てられ、家柄や経済状態など、自慢すべきものが何もない子どもはいつの時代でも多く、そういう子らは、その自慢げな子どもに対して、半ば反感を抱いても仕方のないところはある。それを大人はいじめと称し、保護されるべきはその空気の読めない子で、非難されるのは結局貧しい子であったりする。その矛盾を敏感に感じる貧しい子は教師や世間をあまり信用しなくなり、そして反社会的にもなって非行に走る場合も多々あるが、大人になるにしたがって、空気の読めなかった子とは全く接点のない世界で暮らすようになり、一方の空気の読めなかった子は相変わらず空気が読めずに嫌われ者でありながら、周りに自慢話ばかり続けて生きて行くだろう。筆者が中学生の頃にはそんな空気の読めない子が、学校のワルによくいじめられていたが、筆者はその中に入ってよくそれを止めさせた。筆者はその空気の読めない子と親しく、またワルの心情もよくわかっていて、ワルたちは筆者をいじめの対象とは全く考えなかった。また筆者にすればその空気の読めない子にもそれなりのよさがあって、実際その子の家に行くと、空気が読めない部分も確かにあるが、自慢ではなく全く正直に自分の育ちや家柄について話していたことを知ったものだ。それを空気が読めないと一方的にいじめの対象にするのは、いじめる方もひねくれている。そのひねくれが貧しさから発しているとすれば、実に悲しいことで、貧困者がいじめの対象になるのは、その部分においてだ。経済的に貧しくても、心がひねくれていなければ、心の美しい金持ち以上の価値があるのではないだろうか。また、そういうことを教えたのが半世紀前の日本の義務教育ではなかったか。それが今では学習塾を認め、そこに通わない限り、いい高校や大学に入れないことが常識化し、貧しい者は昔以上に将来の夢からほとんど弾かれている。そこで思うことは、金持ちが美しい心の持ち主になることへの期待だ。いい大学を出て、社会的にもいい地位に着く人は、恵まれない人へのさまざまな援助を行なうべきだ。そこを義務教育でしっかり教えてほしいと思うが、学校でそういうことを教える時間があれば、もっとテストの点を取る方法を教えろという親の声が大きいのだろう。信じられないほど馬鹿親が増え、生活保護費にしても、騙してまでももらえるものはもらおうとする、心まで貧しい恥知らずの大人が増えた。
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 さて、嫌われる長文をもう少し続けよう。このブログの投稿はいつも最初に2、3行の文章だけ示し、後は「More」をクリックすることで展開するようにしている。この折りたたみ機能を使って長文を投稿している人をほとんど見かけたことがない。クリックを強要する点でまず嫌われるからだろう。だが、筆者はこの「More」機能を、封書の封のように思っている。「More」なしで最初から全文を表示すると、まず表示速度が落ちる。この点は今時のパソコンでは問題ないが、筆者のような長文であると、いきなりそれが全文表示されると、あまりの異様さ、つまり世間並みではない空気の読めない態度に、まず訪問者は驚いて、ただちに画面を切り替えるだろう。そういう驚きをさせたくないことと、封書の封を切るようなドキドキ感を与えたいために、「More」ボタンを設置しているところがある。筆者なりに、自分の空気の読めない長文書きの態度を、少しでも読み手の興味を引くようなものにしたいと思っている。また、長文を全部読んでもらえるかどうかは、「More」ボタンに先立つ最初の2,3行にかかってもいる。何度も書くように、冒頭の一文字は二度使わないこと決めているので、毎日その文字を探すことから始めるのだが、その文字が決まればその日の長文内容はほぼ決まったも同然で、筆者の長文は最初の1文字からつながっている。そして、そういうことを感じ取ってくれる人だけが「More」ボタンをクリックして最後まで読んでくれるだろうが、その長ったらしい文章を楽しむという心に余裕のある人は少数派であろう。たいていの人は夫の長いセックスにうんざりするのと同じ気分だ。それは夫のセックスがいつも同じ調子で、工夫のかけらもなく、ただの排泄行為と思うからで、またその考えは当たっているのだが、それを思えばこそ、このブログもマンネリにならないように心がけたいが、毎日こうして長文を書いていると自分では気づかないだけで、工夫している思いがさっぱり読み手には通じていないことがあるだろう。ここで急に思い出したことがある。30年ほど前、染色工房にいた時、ある女性が別の女性から指摘されていたことがある。それは、ある女性の話し方が筆者のそれにそっくりだと言うのだ。それを小耳に挟んでドキリとした。実際そのことを念頭に、ある女性の話し方を聞いていると、筆者にどことなく似ている。それをその女性に言うと、あえて筆者の真似をしているとの返事で、そのことにまた驚いた。つまり、筆者の話し方には大きな特徴があって、それが珍しく、その摸倣がまた簡単らしいのだ。それは筆者の話し方がいい意味においても悪い意味においても個性的であるということで、同じことはきっとこのブログにも色濃く出ているはずだが、他者から自分の話し方の特徴を摸倣、しかもそれが筆者より若い女性によってされることは初めての経験で、他者の視線の恐さをその時に自覚した。その女性はいつしか筆者の大阪弁までうまく真似て普通にしゃべるようにもなったが、それがまたとてもかわいらしく感じたものだ。それはさておき、この女性についての脱線話は、工夫することはまず自分の行為の自覚から始まり、またそれは他者から摸倣されることを知ればさらに促進するかもしれないことを言いたかったまでのことだ。話を戻して、「More」ボタンを設置してこのブログを封書のようにしたいという思いは、全文を最初から表示する葉書状の内容にはしたくないからだ。だが、はがきは家に届くと誰もが目を通せるので、こうしたブログには本当は似合った形だ。ブログの内容を個人が開封して読む個人宛てのものとして捉えることは、筆者が読み手に親密さを求めていることになる。それは140字以内のツイッターでは望めないもので、公のものであるこのブログを特定の個人に向けて書いている思いがたぶんにあるかもしれない。実際はそうではなく、誰かの顔を思い浮かべてはいないが、筆者のことをよく理解してくれる相手を望んでいるのは確かで、またそういう人がごく少数であっても存在するのではないかとのかすかな思いがある。また、コメントの書き込みがなく、個人的なメールにおいても反応が皆無であるので、筆者のそういう期待が現実的ではない可能性がかなり高いが、読み手がどう思おうが、好き勝手に書く快感、つまりそれこそが空気が読めない嫌われ者の条件だが、ま、空気を吸って生きている間が花の人生、こうし長文を書くこともまた花と思えばいいではないか。今日の3枚の駅前写真は去年9月18日のもので、残り半分は明日。
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by uuuzen | 2011-06-08 18:23 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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