●嵐山駅前の変化、その102(グーグル:脇道)
めば都と先日書いた。これを「住むなら都」と勘違いしている若者がいると以前TVで紹介された。都というと筆者には京都のイメージがあるが、これはもちろん東京だろう。日本の人口の1割が東京に住むから、住むなら都という勘違いが生まれても仕方がない。



地方では商店街が疲弊し、老人が都会以上に目立つようになっているが、そうなればまたそれが加速化して若者は田舎に住みたがらない。筆者の自治会内で綾部から引っ越して来て住んでいる人がいる。聞くところによると、定年すれば田舎でのんびり暮らしたいと考え、引っ越して来る人があるらしい。だが、2、3年でまた都会に戻ってしまうのだそうだ。それは草刈など田舎の昔からの仕来りに納得が行かないからで、田舎はよそ者をそう簡単には受け入れない。これは見方によれば受け入れられると居心地がいいということになる。特に嫁不足の過疎地に嫁ぐと大変大事にされるであろうから、子育てをしながらきれいな空気を吸い、ストレスを抱えずにのんびり長生きするのにはよい。だが、これは田舎で育った女性でないと無理だろう。そうした田舎で生まれ育った者ですら、先の綾部出身の人のように、都会に出て住みたがる。便利さを覚えれば逆戻りは出来ないのだ。筆者は都会で生まれ育ったので、田舎はごくたまに行くのはよくても、そこで永住は出来ない。だが、これも先日書いたように、インターネットで何でも買える時代になっているし、そう考えるとどこでも住めるかという気がする。つまり住めば都で、その考えはネット時代になって新たな意味をある人には植えつけているのではないだろうか。筆者の仕事は部分的にどうしても外注に出す必要があって、その業者が京都市内にあるから、京都で仕事するのが最も便利だが、同業者はここ10数年の間に地方から依頼が増えた。宅急便で生地が届き、それを整理した後また宅急便で送るのだが、ネット販売と同じことが出来るようになっている。送ったり送ってもらったりする数日のロスはあるが、送料はわずかであるから、筆者が仮に北海道で仕事してもその外注に出すという問題点はほとんど気にせずに済む。ま、それより筆者が思うのは、体ひとつどこへ行っても出来る仕事が一番で、俳人や歌人、小説家がうらやましい。ペン1本以外は身ひとつであるから、それこそいつも旅してどこででも仕事が出来る。もう今さら遅いが、そんな人生がよかった。それは無理であるとして、このことも以前に書いたように、こうしたブログを旅行先から投稿するにはノート・パソコンが必要で、それはいずれほしいと思う。これも書いたことだが、形あるものはいずれ失われるとして、最も失われにくいのはやはり書かれたものではないかと思う。そして短い詩のようなものほどよい。長いものは長年のうちに部分が伝わらなくなり、書き変えられたりする。文章は形があっても、物理的なそれからは解き放たれていて、それが長生きする理由だ。地震以降、海外からは日本に絵画を貸さないという国が出ているが、書かれたものならば、印刷された本という昔ながらの形を取らずとも、電子の力で瞬時にどこへでも到達する。同じようなものに歌がある。メロディは口づてにいつどこまでも伝達される。絵画やそれに類するものは持ち運びにまず不便で、物理的に失われればそれでおしまいだ。そういうものを制作する作家よりも文学や音楽に携わる方がいい。
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 いきなり本題から脇道にそれた段落を書いてしまったようだが、もともと何が本題かわからないカテゴリーだ。また、カテゴリーを越えて、ある話題について関連させて日々書いているところもあるので、毎日読んでいただいている人ならばその点はわかるが、初めてこれを読む人には意味不明のことが多いだろう。なるべくそうならないように、たとえば「先日書いたように」という表現を使って、以前のブログとの話題のつながりをほのめかせているが、これはリンクを張って、その文字列をクリックすると関連画面に飛ぶようにするのが親切だろう。たまにそれをするが、たいていは面倒くさいのでそのままにしている。さて、「京都嵐山花灯路、アゲイン」(これは早速リンクを張っておこう)の最後に書いたが、現在のグーグル・アースで見られる阪急嵐山駅前のストリート・ヴューは一昨年2009年12月の撮影だ。それ以前のものが昨日と今日掲げるもので、昨日書いたように2007年2月だ。だいたい2年ごとに更新されているのかもしれないが、となると今年はそれに相当し、筆者がこのカテゴリーで掲げる予定でいる写真と同じ雰囲気のもの、つまり完成した駅前広場が紹介されるのだろう。さて、今日は昨日に続いて番外編その2で、阪急嵐山駅改札口南側の、住宅地に通ずる道路、これをこのカテゴリーでは脇道と読んでいるが、の写真をグーグル・アースのストリート・ヴューからコピーして3枚載せる。昨日の写真ではわからなかったが、カメラのマークがついている地点で360度の写真が撮影されていて、そのカメラ・マークをクリックすると今日掲げるような写真が見える。360度であるので、そのうち筆者は視点を定めて1カメラ・マーク当たり1枚を取り込んだ。この際、ある画面に必ず写っている道路に沿って別のカメラ・マークが前方(画面の奥)に鈴なりに並んでいて、順次それらをクリックすることが出来る。このカメラ・マークが未舗装の道路や私道も含めて日本中の全道路に表示されると面白い。今や車で玄関からどの玄関まで走ることが出来るが、それを同じことになって、画面上で次々と周囲360度の景色を確認しながら、たとえばわが家の前から東海道を東京まで走ってその延長の鳥博士さんの家の前までも仮想散歩が出来る。それこそ面倒なことで、ユー・チューブに投稿されているように、車や単車で走った国道や県道の映像で充分という意見があるが、このカメラ・マークをクリックすると、球体が浮遊していて、それが展開して360度の景色が見え、その浮遊球体がその中に情報が詰まったひとつの宝物にように感じられるところがいい。そのシステムは今後変更になるかもしれないが、その球体は現在日本全土でいくつ用意されているのかと思う。東京だけで1万ほどはあるのではないだろうか。また、昨日書いたように、ある市ではひとつもなかったりするので、これは人口によって分けているのだろう。せっかく撮影しても見る人が少なくては無駄という考えだ。また、この球体は変化の激しい都会に対応して、定期的に撮影し直されたものと交換されているが、その作業のために田舎の道路まではますます手が回らないのだろう。これも以前書いたことがあるが、ついでに書いておくと、筆者が1階で使っているパソコンはウィンドウズ95のままであるので、グーグル・アースもユー・チューブも見ることは出来ないが、隣家を去年買った時にパソコンが置いてあって、それはウィンドズXPで、さほど調子はよくないが、どうにかグーグル・アースやユー・チューブが楽しめる。それを2階に置いて、それ専用にたまに使っている。
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 日本を田舎と都会に分けることの無意味さを昨日従姉の家で話した。福島原発が津波の被害を受けた直後の新しい映像が昨日は紹介されていたが、風向きによって意外なところに放射能の被害が出ていて、原発から半径20や30キロの制限があまり意味をなしていないことを実感した。原発がある地域は田舎だが、風向きによってたとえば東京にも微量の放射能が降り注ぐのであれば、またそれは実際そうなのだろうが、田舎に原発を持って行って安心していたことの大きなつけを支払っていることになる。日本中が呉越同舟の意識を持つべきで、原発推進者は特にそうあるべきだ。いわきの江名は真夏でも気温が25度程度で、クーラーなしで過ごせると聞いたが、それは海流のためで、風もこれと同じと考える必要があろう。つまり、福島原発の放射能はやがて地球全域に到達するはずで、日本中全部に撒き散らされるのはごく当然ではないか。微量であるから安心という発想は本当はやめておくべきで、放射能はないのに越したことはない。海外が日本の食べ物を、たとえそれが関西のものであっても輸入しないというのは、先方の立場から見ればごく正直な反応だ。それを関西は関東とは違って福島原発から遠いと言っても、それならなぜ福島原発から遠く離れた東京でも放射能が検出されるのだということになるし、これが外国の同じような出来事なら、日本もきっとその外国の農産物や魚を買わないはずだ。放射能を侮っていたために、こういう事態になって東京電力も政府も非常に慌てて、しかも国民の不安を煽らないように躍起になっているような気がするが、原発に最初に注水する際、NHKのTVに専門家が出演して意見を述べていたこととは全く違って、現状はもっとひどいことが少しずつわかり、国民ももう今さらという一種投げやり気分になって何がどうあっても驚かなくなっている。これこそが政府の思うつぼであったのではないか。悪い方に物事を考えないようにしたいのは山々だが、簡単に物事を考え、国民が知るべきことを正確に伝えないのはもっと危険だ。今急に1966年にビートルズが来日した時の識者の意見を思い出したが、その中にビートルズはエレキ・バンドであるので、電気がなければ音が出ないと嘲笑したものがあった。今それを改めて思うと、電気を使わずとも音楽はやれることで、ビートルズ時代にもそれはあった。その代表はフォーク・ソングで、生ギター1本でみんなで歌いことが出来た。そのフォーク・ソングもボブ・ディランがエレキ・バンドをしたがえて歌うようになって、フォーク・ロックというジャンルが生まれもしたが、時代は確実にエレキ化して来た。それが今電力不足でみな電気を始末しようということになれば、またフォーク・ブームが再燃するのではないかとにらんでいるが、どうせならベートーヴェンの電気のない時代に戻る覚悟はないか。それにはまず田舎住まいをすることで、住めば都の本当の意味を徹底して若者に教えるべきだろう。だが、閉鎖的な田舎では都会人に憧れがある一方で、劣等感から嫌うところもあって、そういう話は太平洋戦争の時に都会から田舎に疎開した人たちの話にたくさん残っている。アメリカではフォークが流行った60年代、ヒッピーが田舎暮らしを求めたことがあった。だが、アメリカはほとんどが田舎で、日本とは事情が大きく違うだろう。筆者は真夏でもクーラーなしの生活を毎年しているので、電力不足になっても平気のつもりでいる。それでも大音量でロックが聞けないのはさびしい。「神様、電気頂戴!」「そりゃっ! 雷でも食らえ! ピカピカッ!」
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by uuuzen | 2011-05-20 16:41 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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