●嵐山駅前の変化、その96(売店、円形階段、脇道から広場)
き出しで石巻を訪れ、地震の復興に気焔を上げていた内田裕也が脅迫容疑で逮捕された。内田は71歳、女性は50歳で、交際は平成21年12月からで、翌年3月には女性は暴力を振るわれていたらしい。



別れ話を持ち出した女性に何度も復縁を迫り、ついには住居の鍵を業者を呼んで変えさせたり、脅迫まがいの手紙を入れていたりしたというから、女性が警察に相談するのも当然か。男女の間は他人にはわからない事情があるので、とやかく言うつもりはないが、交際後3,4か月で暴力を振るうのは、仮に女性がマゾヒストであってもどうかと思う。だが、どうせロック野郎、みんな大した事件とも思わず、失望もさほどないのではないか。これが首相ともなれば話は別だが、男には変わりはないから、男たるもの、女性問題を起こしてもそれで世間から抹殺されることのない職業に就くのがよい。その意味で芸能人はよく、またロック・ミュージシャンならなおよい。大阪府知事の横山ノックは女性問題で最晩年の経歴を汚して失脚した。漫才師のままならそれがネタになってよかったのに、なぜつまらぬ政治家などになりたかったのだろう。そこに横山ノックの助平根性が出ているし、女性問題が表沙汰になって当然だ。その点、内田裕也はロックに命を注ぎ込んでいて見上げたものと一見思えるが、都知事選に立ったこともあるようで、横山ノックと変わらない。であるから今回のような事件を起こしたとも言える。あるいは同情的に見れば、70を越えた男がまだ性欲が強く、それに降り回されて自分の行動を冷静に見つめられない悲しさだ。それを理解してくれる優しい女房と、そして愛人がいれば人生はほかに何も必要がないほどだが、残念ながら内田の50歳の交際相手は内田を尊敬出来ず、警察に訴えてまで遠ざけたかった。この現実、つまり女性がそういうことをする性質であることを内田が見抜けなかったのは少々情けない。その意味で言えば内田側に立てばつまらない女に出会ったが、自分が蒔いたタネでもあるから仕方がない。そして、素直に罪を認めているからそれはそれで立派なことだ。こういう男女の問題ははたからは見えないことが多々あり、逮捕された内田のみが悪いと一方的に見てしまうことはどうかと思う。筆者は男であるから、どうしても男の味方をしてしまうが、女性が別れ話を持ち出した時は、筆者ならそれを受け入れる。筆者がそういう経験をしたのは中学2年生の時で、それ以降はない。そう簡単に諦められないだろうが、時間をかけてでも認めるしかないではないか。もう付き合いたくないと言っている女性にそれをやめてくれと懇願するのは男が廃って惨めだ。女など無数にいて、もっといい女が自分にはふさわしいと思えばよい。交際は双方がその気になって初めて成立するものであり、どちらかが別れようと言えば、その時点でもう終わっている。これは結婚でも同じだ。だが、落ち度が何らないと思っている時に相手から別れの宣言を持ち出されると、やはりうろたえるし、そのことが血迷った行為に結びつくことはあるだろう。内田の今回の事件は未練がましい点で非難されるが、男はそんなものと言える。その幼稚さを包み込む女もいるだろう。
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 これはかなり昔の話だが、友人が性欲の処理に悩んでいて、筆者はどうしていると訊ねたことがある。その友人にはあまり詳しく語るとまずいので、ただ若い女性には不自由していないと答えると、「まさか」と言って一笑に伏した。その友人の限界は人を侮ることだ。その時にもそれを感じたが、信用しないのであればそれでもよく、それ以上話題にしなかった。そして、その友人は女性に持てないだろうなと思ったものだが、男のそうした性の悩みは内田の今回の事件からもわかるように、何歳になっても続く。同じ話題は、先頃の門坂流さんの個展のオープニングにも出た。門坂さんは最近ようやくその悩みから開放され始め、若い頃の苦しさがなくなってほっとしていると言った。男は誰しも同じ悩みを持つと思えば、これには個人差が大きく、富士正晴はさっぱり女性の方は興味がなかったし、また一昨年亡くなった筆者の友人Hもきわめて淡白な方であった。女性も同じはずで、淡白な女性と結婚した絶倫男性は困るだろう。その逆もしかりだ。性の不一致や浮気に悩まされるという相談事の根本にはみなこの性欲の差があるのではないか。これが最初からわかればいいが、男女ともに加齢で性欲に変化が出るから、さほど単純な問題ではない。それにしても70歳の内田が40代末期の女性と交際するのは20の年齢差で、これは男からは理想的な年齢差に思えるが、女性からはどうなのだろう。閉経もし、老いを感じ始める50の女性ならば絶対に20代か30代の男がいいのではないだろうか。70の老人のどこがいいだろう。それが大方の事実であるとすれば、内田の50女に対する渇望は悲しみを帯び、その悲しみを感じた女がなおさら内田を遠ざけたくなったと想像してみたりもする。男が70にもなればもう若い女性に手を出さず、淡々と生活すればいいものを、活動的な男ほど性への欲求も強く、それを受け止めてくれる女が必要ということだ。そこに恋愛感情がどれほど混じるかだが、交際3か月ほどで女が暴力を振るわれ、別れ話が出始めたようであることは、女はあまり内田に深く惚れなかったことを示し、恋愛感情は内田ほど持たなかったと考えることも出来る。男は恋愛感情抜きで女を抱けるとよく言うが、それは確かであるとしてもそんなセックスは記憶に残らない。内田にしても性処理だけの女であればいくらでもいたろう。それでは満足出来ない、男としての純情な思いがあって、そのことが別れないでほしいという思いにつながり、事件を起こすことになったとも想像出来る。まるでロックの安っぽい歌詞そのままで、いかにも内田らしい。いやがっている女性を追い回してストーカーになったのは非難されるべきだが、内田もその女性もお互い相手をよく見定めることが出来なかった点で本物の恋愛ではなく、醜い幕引きに興醒めする。
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 女房がいて若い女性と性行為を持つことは、不倫であって汚らしいと簡単に断罪することも出来るし、またそういう見方をする人の方がはるかに多い。だが、男と女がいる場ではもっとえげつないことがあって、表沙汰にならないだけだ。たとえば中学や高校の男の教諭が教え子をホテルに誘い、フィスト・ファックまでしてその光景を撮影するなどといったことは、今この瞬間も日本のどこかにあるはずで、ロック野郎の世界だけではなく、聖人面をした人々にはもっと多いのではないか。不倫であっても男女が合意すればよいという見方が支配的であるのが世間の暗黙の了解であり、そうすることでレイプを差別化して非難している向きもある。ところで、これはユルスナールの小説にあったが、ある女性が行きずりの性行為をしてオーガズムを感じる。だが、それは単にそれだけのことで、身体の一部の痙攣に過ぎず、全身全霊で愛したかつての相手との性行為とは比ぶべきものではなかった。死ぬほどの熱烈な恋をしても、その後の長い人生の間に行きずりの性行為をすることがあることは、誰しも想像は出来るだろう。その行きずりの恋によってかつての輝かしい最大の恋の相手に内心済まないと思うかどうかは人によりけりであるから、そんなことはどうでもいいのだが、後になって考えると、やはり身も心も捧げたかつての相手との性行為以上のものはなかったことに気づく場合がある。ここで重要なことは、性に振り回される動物的本能とは別に相手を敬愛する、慕うという思いだ。ユルスナールは同性愛者で、男には関心がなかったので、先の話は普通の男女には当てはまらず、もっとピュアな、精神性が勝ったものとして見る必要がありそうだが、男女であっても精神的な係わり合いはある。そういう高まった恋愛に至った者同士は、たとえそれが不倫であっても生涯記憶に残るだろう。その点を今回の内田の事件と照らし合わせたくなる。不倫であってもそこにピュアなものがあり得るのかと言えば、もうこれは個人の考えによる問題で、面倒なことは避けるという人は不倫は絶対にしないであろうし、これが常識として通用するほどに世間の相場となっている。また、そういうピュアな恋愛感情が何歳になってもあるかどうかとなれば、せいぜい30代までではないだろうか。老いらくの恋という言葉もあるし、内田もその部類に入るが、ユルスナールが小説に書いた生涯ただ一度となるほどの燃えるような恋とは言えないだろう。いやいや、そう決めつけるのはよくない。こういう問題はみな個人の思い方次第だ。
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 燃えるような恋愛を経て結婚するのが理想で、大概の人は自分たちの結婚をそう思いたがる。結局最良の相手をお互い見つけることが出来たと思わぬ限り、その後の半世紀にわたる夫婦生活を築くことは出来ない。だが、許されぬ不倫で、結婚に至らない場合、そうした燃えるような恋愛はその後どういうことになるか。これは人さまざまで、若い者同士の場合は若気の至りとしてやがてきれいに忘れるか、あるいはむしろ否定的に思う場合もあるし、そうはならず、死ぬまでよい思い出として反芻される場合もある。老いてからの恋の場合が難儀で、醜態を晒す可能性が大きいように思う。それは死が接近しているために悲壮感が漂うことにもよる。あるいはその分、若い頃より真剣と言う人もあるかもしれない。昨日書いたことに関係するが、恋愛は楽しいだけのことだろうか。門坂さんが言っていたように、それはとにかく苦しいもので、悶えにほかならない。一種の病気と言ってもよい。その病気にみんな憧れるのであるから、病気と認識されていないだけの話だ。先に内田の今回の事件がロックの歌詞みたいだと書いたが、内田にすれば自分の仕事に何らかのよい影響を与えるために若い女性との恋愛が必要であったのかどうか。創造的な仕事をする人は、その霊感の源になる何かを常に必要としている。それを昔からミューズの女神と言うが、筆者に言わせればそれはつごうのいい話で、悶え苦しむ感情の持って行き場所がないため、その吐け口として何かを創造することで紛らわせるしかなく、そこにミューズの女神という存在を作り出したように思う。ま、これは結局同じことを言っているのだが、男が何かを創造する時には、女の存在が大きいということだ。そうとはもちろん限らないし、また女とは無関係に創造されたものの方が、絶対的な強固性を獲得出来ると思うが、この世は男と女しかおらず、女が男と交わって子どもを産むとすれば、男は女から何かを得て創造するしかない。その得る何かは、失恋や裏切りに由来するものも含む。また、直接女とは関係せずとも、遠因にそれがあるという場合があって、創造を生業にしている男の生涯は、はたからはそうとはうかがえなくても、女との関係に彩られている場合は多いように思う。この考えからはふたつの疑問が浮かぶ。まず子どもを生む女は創造的であり得るかどうかだ。ユルスナールのように結婚せず、同性愛の相手と生涯暮らす場合はそうあり得る。また、子どもを産んでも創造的な仕事をする人が稀にあるから、女が創造的ではないとは言えない。だが、子育てに時間が取られ、日常に埋没してしまいやすいのは確かだ。もうひとつは、創造的ではない仕事に携わる男だ。どのような仕事でも創造性は本来求められるものであるから、男はみな創造的であると言えるが、単純作業に従事する者と芸術家を同等には扱えない。そして芸術家は女性に振り回され、苦しめられながら、それをミューズと内心賛美し、他人が感動する作品を作り出すからご苦労な話だ。だが、世の中は全くうまい具合に出来ていて、そういう男をこそ愛する女もいる。その両者の交わりから世の中に美の創造物が存在し続けるのであれば、こんなにいいことはないではないか。内田はその点、醜態を晒し、人々に幻滅を与えたとすれば何とも格好悪い。「石巻」を「ロックンロール」と洒落ていたのに、今回は洒落にならないではないか。だが、格好いい芸術家も時には全く情けないほどに格好悪い場合があるものだ。そういう恥を晒さないように、常に矜を忘れないでいたいものだ。ということで、今日もまたついつい筆が滑って駅前写真とは何の関係もない話を書いてしまった。今日の4枚の写真は去年8月27日の撮影だ。毎日撮っているのではなく、気が向いた時と変化が著しい時だ。後者の理由でここ2か月ほどは変化がほとんどなく、あまり撮っていない。
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by uuuzen | 2011-05-13 13:43 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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