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●嵐山駅前の変化、その93(売店、脇道から広場)
っとこっちを見る日傘を差したGパンの女性が写り込んでしまった。今日の2枚目の写真の左端だ。だが、画像を縮小加工すると表情がわからなくなったので、こうしたブログに載せても大丈夫だろう。



シャッター・チャンスを待ったのではなく、いつもさっさと現場に行って、さっと撮る。たまたまそこに人がいる場合もあるし、そうでない場合もある。その自然さがこの駅前シリーズではいいと思っている。前回の投稿分は去年8月14日、今日は19日の撮影で、お盆前休みを挟んで5日開いているので、その間に別のカテゴリーを挟む方がいいと考えた。以前は週1回長文日を設けたが、「おにおにっ記」のひとまずの区切り以降、その規則が崩れた。ついでに書いておくと、「おにおにっ記 フィナーレ」の本当のフィナーレ分は現在写真を撮りためていて、またそれに添える文章は今までとは違ったものにしたいと考えている。その再開は目下のところいつになるかわからない。毎日が長文日のようになって悩むのは、文章の長さもそうだが、冒頭の大文字だ。何度も書くように、これは今まで同じものを二度使わないことにしている。それが日を重ねるごとに困難になるのは目に見えている。どうでもいいことなのになぜそんなに悩むのか不思議がられるだろうが、やれるところまでやりたいと思う。で、今日は何を書こうかとはたと立ち止まる。今朝写した2枚の写真を用いて別のカテゴリーにしようかとも考えたが、話が膨らまない気がしてやめる。そうそう、駅前で思い出した。今日は2階のパソコンでユーチューブを何本も見た。福島県いわき市の関するもので、もちろん地震関係の映像だ。以前にも2、3度探したが、新しい映像がアップされているかもしれないと思ったのだ。予想は当たって、つい数日前のものがあった。江名のメイン通りを車で走りながら撮ったもので、グーグル・アースやヤフーの地図でおおよそ想像していた実際の地形とは比較にならないほどの情報を与えてくれる。その映像は地震がなければ誰も撮影しないものと言ってよいが、津波の被害が江名やその南北の海岸にどの程度及んでいるのか、付近の住民、あるいは同県の人々は関心があって、それで撮影して情報提供しようと思ったのだろう。そのほかにも2、3本同じ地域を撮ったものがあって、静止写真で知っていた地区が、より現地に実際に立つ気分になった。江名に行くにはJRいわき駅からバスに乗って南東の海辺に向かうが、いわき駅やその付近の映像もユーチューブには何本か出ている。その中に、最近筆者が探し当てたある店の前を歩いて撮影した映像があった。それもまた地図で想像していたのとは多少違って、通りの両側の店が1軒ずつ確認出来て、実際に歩いた気分になれる。そこへ行く予定があるならば、こうした映像で確認しておくとあまり迷わずに済む。だが、現地に立った時、新鮮味は減少する。インターネットによって本当に今まででは考えられないほど便利になったことをこうしたことで実感する。
●嵐山駅前の変化、その93(売店、脇道から広場)_d0053294_0271244.jpg

 筆者は京都でも最も有名な観光地に住み、また家の前の道がグーグル・アースのストリート・ヴューで確認出来ることもあって、それが普通であるような感覚を抱きがちだが、グーグル・アースで見られない道路の方がはるかに多い。つまり、田舎に関しては全くそうした道の映像情報はない。それを穴埋めするのがやはりユーチューブで、たとえばいわき駅から江名までの道のりのある区間を車で走って、3倍速ほどの映像で載せている人がある。その映像を何度も確認すると、グーグル・アースのストリート・ヴューほどではなくても、道沿いがどういう状態であるかがわかる。これは日本中のどんな田舎の道であってもやがてそうなるはずだ。筆者は動画を撮影する機器を持っていないこともあって、どのようにすれば動画を掲載出来るのか知らないが、今やケータイ電話でもそれが出来るというから、ネットの進歩の速度には驚く。相手を画面で見つめながら話すTV電話の発明は80年代ではなかったろうか。プライバシーの問題があり、当初さほど普及しなかった。それがネット時代になり、会社あたりが必要として、今では珍しくなくなっている。ユーチューブがはやるとなおさらで、ネット社会はもはや静止画像は時代遅れで、動画時代に突入している。何でも映像で暴き出し、神秘がなくなった。誰もそんなものを期待しておらず、卑俗なものに引き下げて笑う時代になった。そして、卑俗であるから、どれも使い捨てのようになり、飽きれば次から次へと乗り換える。性もそうだ。何事も豊かな時代になったから、我慢せずに済むようになったのだ。ほしくても物が少なかった時代は我慢せざるを得なかった。そして、ほしがるなという標語のもと、人々はそれこそが美徳だと思った。ところが経済が豊かになると、みんなが物をせっせと買わねばならない。古いものをいつまでも持っているようでは日本が貧乏国になる。どんどん買ってはどんどん捨てる。そういう時代になると人間もそうなる。男も女もどんどん遊んで相手を変え、どんどん性に貪欲になる。
●嵐山駅前の変化、その93(売店、脇道から広場)_d0053294_0274144.jpg

 先日甥から耳にしたが、性行為を撮影して載せるサイトがあって、それがケータイ電話ででも無料で見放題という。一応未青年禁止になっているが、成人である証書を提出するわけでもなく、そんなことはどうにでもなる。性情報の氾濫に歯止めがかからず、小学生でも今や持っているケータイ電話でポルノ映画顔負けの映像が無限に見られるようになった。それで今朝もネット・ニュースにあったが、16歳の男子が同じ年齢の女性を孕ませ、そして生んだ子を捨てるという事件が起こった。栄養状態がよくなり過ぎて、今では12歳でも大人の体で、性の欲望は一人前になっているから、こうした事件にはもはや誰も驚かなくなっている。最も性行為をしたいのが10代半ばだろう。大学生になるとそれがもっと前進して乱交やSMということになるのだろうが、そのことがネットによるポルノ見放題と無関係とは思えない。だが、一旦そうなったものは逆戻りは出来ない。その一方で男の性能力が低下しているとも聞くが、これは女が性の満足を求めることを恥ずかしがらなくなったからではないか。女を満足させるために男は大変だ。富士正晴の本に同じようなことが書いてあった。70年代のことだと思うが、富士の友人が何人もの女子大生と性交渉を持つことを趣味にしていた。ところが久しぶりに会った富士がその後のことを訊くと、友人はもうやめたという。文学部あたりの女子大生は小説をたくさん読んで性に関心が強く、声をかければすぐに着いて来るし、ホテルではベッドの上でさっさと両股を広げて待っているというのだ。それを見て富士の友人は女に奉仕していることに気づき、そういう遊びはやめたと言う。女子大生は別段その年配の男が好きというのではない。恋愛感情は抜きで、ま、金も持っているし、性の技術もあるし、性の欲望を満足させてもらうにはもって来いの相手というだけなのだ。大半の20代の女はそれが現実ではないだろうか。昔ならそれを不健康と言ったが、体が健康過ぎて性欲があるのだ。中年男は女子大生をいくらでもものに出来るということになるが、成人女ならまだしも、中には12歳くらいの女子でないと発情しないやっかいな児童ポルノ愛好の男がいる。富士はそれについては書いていない。
●嵐山駅前の変化、その93(売店、脇道から広場)_d0053294_028353.jpg

by uuuzen | 2011-05-10 23:59 | ●駅前の変化
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