●嵐山駅前の変化、その91(広場)
された気分だが、予報であるからには仕方がない。昨日は数日前の天気予報では雨が降るはずであった。そのため、その数日前からさらに数日前に予定していたことを断念した。



ところが昨日は雨が降らず。夜は満月に近い月が晧晧と照っていた。雨は結局一滴も落ちて来なかった。天気予報ですらこうであるから、地震の予知がいかに困難であるかは想像出来る。今回の巨大地震の後、余震が頻繁にあり、その中には専門家が見て余震とは呼べないものも混じっている。それは不気味だが、その専門家の意見とは違う専門家もいるはずで、誰の意見が正確であるかわかったものではない。それはいいとして、TV番組の途中で緊急地震速報がよくある。場合によってはすぐに番組が中断され、アナウンサーが登場して地震に注意してくださいと伝える。その速報についている不協和なメロディは不安を掻き立てるところがある。誰の作曲か、筆者はこのメロディが鳴るたびにそれに歌詞をつけて頭の中で歌う。あるいは実際に発声する。その歌詞とは、不謹慎だが、「♪チャランポラン、チャランポラン」だ。地震学者が集まって大いに考えた結果、そうした地震速報を発することが出来るまでに進歩した。その速報は地震の数秒前、あるいは10数秒前に伝わるが、その程度の短い時間でどういう心がまえが出来るだろう。ないよりかはましというものに過ぎない。それに、速報があってもほとんど揺れがない場合もある。天気予報と同じで、必ず当たるとは限らない。数日前、ある評論家がTVで科学的という言葉を使いながら、地震や津波についての学者の考えを批判していた。想定で5メートルの津波しかやって来ないと考えた福島原発は、科学的根拠で造られたものではないと言うのだ。一方、京大の今年の入学式で学長は新学生に対して、今回の地震によって科学の意味が疑問視されているが、決してそうではないと語っていた。科学そのものには何の責任もないが、その科学を扱うのは生身の人間だ。そこには利害や欲が絡む。そのきわめて人間的な部分によって、純粋な科学が現実に適応される時には微妙に歪む。科学の基礎の基礎には、「1足す1は2」という、いつどこでも通用する事実を前提とする立場があるが、現実社会では1の内容は時代や国によってわずかに見方が変わる場合がある。そこは科学が踏み込まない領域には違いないが、科学が科学だけの中で充足することは一種の趣味や道楽と同じであって、現実社会ではその科学を応用して、技術を駆使して人の行為の役に立つ何かを生み出す。その人の役という部分が科学では量り知れないほど多様となっている。あるいはそれさえも科学が踏み込んで分類化、数値化し、それぞれの分野において先のことを予測することは出来ると考える。ちょうどバベルの塔を思えばよい。だが、研究しても食べて行くことが出来ないとなれば、現在の科学者は誰もそんなことを研究対象にしないし、また経済的に出来ない。
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 『ガリヴァー旅行記』では、人糞を分析して、その基の食べ物が何であったかを研究する科学者が登場する。スウィフトが科学の無意味を笑った部分と捉えてよいが、スウィフトの思いに反して科学は進み、今ではやろうと思えば何でも科学で知ることが出来ると人間は考えている。そのいい例が地震予知だ。そして津波は15メートル級がやって来ることを原発の被害と引き換えにようやくわかった。だが、15メートル級の津波に対向出来る何かを科学の力で造り上げても、遠い将来にそれを覆す自然の何かが生ずるに決まっている。科学は常に自然の追いかけているだけで、自然の遠い未来のことまでわからない。あるいは、それよりもっと明らかなことは、大津波がやって来なくても、人間がミスを冒して自滅する。そのミスは科学とは無関係で、科学には責任はないが、人間がミスをする存在であることを科学的に知って予測しようと考える科学者はいるはずだ。だが、その科学が確立されてもなお、人間は新たなミスをやらかすはずで、何でも後追いして理由を調べようとする科学には限界がある。TVに出た評論家が科学批判をしたのはそういうところを言いたかったのかもしれないが、相手をしたアナウンサーは評論家の意見をさえぎって、やや反論めいた口調で話題を変えた。科学は純粋だが、科学者は自分のすべてを律し、意識によって制御出来ると自惚れてはならない。科学は永遠に自然や人間のごくごく一部の何かを数量化するだけで、大部分は捉えられないものであり続ける。であるからこそ、科学者は科学しようとする。昔、ある人と科学も芸術と同じ創造行為であると語ったことがある。画家が自然や人間を対象に表現するのと同じように、科学者は別の方法で自分の考えを論理的に構築する。そして絵画が自然や人間そのものではないのと同じように、科学もやはりそうなのだ。昨夜は大阪のあるお笑い芸人が、地震学者や専門家が今回の原発事故でうんうん唸りながら対処してもいっこうに埒が明かないことに対して、偉い人ばかりの中にお笑い芸人を入れて話し合いをすればいいのではないかと突っ込みを入れた。何を馬鹿なと思うかもしれないが、そこには一抹の真理がある。専門家と言われる人はしばしば裸の王様となり、そのことを本人は自覚しない。津波を5メートルと想定し、それ以上の津波が来ればひとたまりもない原発が不安であることは、子どもでもわかるではないか。そして今回は15メートルの津波がやって来てその危惧が現実のものとなった。子どもや無知な大人の不安の方が地震学者よりも正確に物事を見抜いていたのだ。科学者は猛反省すべきだが、一流大学を出て学者と呼ばれる人種は、自分たちは尊敬され、また高額の給料を得て当然と自惚れている。そして今回のような震災があってもまた巧みな弁舌を駆使してうまく切り抜ける。スウィフトが科学者を皮肉ったのは、文明の進歩を一手に担っていると自負する科学者を傲慢と見定めたからだろう。画家は勝手に絵を描き、それが売れなければ忘れられた存在となって、たとえばゴッホのように自滅する。だが、国家から金をもらって研究する科学者は、生活が保証され、尊敬も集める。どちらも創造に変わりがないとはいえ、科学者は恵まれ過ぎている。それを思うからこそ、芸術家も芸術大学を作って国家から金をもらい、教授という肩書きがほしくなった。それはさておいて、芸術家が勝手に何でも表現していいと思うのもまた自惚れであるだろう。誰にも見せない日記のようなものである場合以外は。
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by uuuzen | 2011-04-17 12:47 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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