●嵐山駅前の変化、その84(広場)
葉の嵐山の方が観光客が多いので、京都の宿泊施設はそれに期待するとして、今年の桜の季節は、遠方からの観光客に対しては諦めムードのようだが、実際のところはどうなのだろう。秋と言わず、新緑の季節が期待出来ないものか。京都は福島原発から遠いではないか。そのことをもっと宣伝すべきと思うが、その努力を京都の業者がしているのかどうか。



さて、天気がよかった今日、阪急嵐山駅からは続々と人が出て来て、広場を過ぎて渡月橋の方面に向かっていた。天気とはいっても昨日ほどではない。明日から曇り坂で、日曜日あたりは雨のようだ。その予報を聞いたので、また家内が今日明日と仕事が休みでもあったので、今日は午後から桜を見に行った。写真はたくさん撮って来た。それを整理して後日、その花見の報告をしたい。今日は出かける直前に、21日に開催する自治会の総会案内のチラシを配り歩いた。嵐山駅前にも、また河原町にも、一見して外国人とわかる顔立ちの観光客は混じっていなかった。外国人観光客の足が一気に遠のいた京都だが、嵐山の桜を目当てにやって来る近郊の人は多いはずだ。昔はそういう状態の嵐山であったから、地震以後、一時的に昔の状態に戻ったと思えばよい。だが、地元で商売を大きくした人にとっては困りものだ。2年前まで嵐山駅前にあった食品会社は、全国の百貨店に店を出すなどして、一挙に売り上げを伸ばし、京都府の田舎に別の大きな工場も建てた。ところが数年前から売り上げに翳りが見え、10億か20億か、そういう単位の負債がかさんで倒産した。そして、元からあった駅前の小さな工場まで手放すことになった。商売を拡張して、売り上げが数倍、数十倍になったのはいいが、そうなったらなったで景気不景気に左右される度合いが増し、あっけなく倒産する。京都の老舗と言われるところはそうしたことを知っているので、めったに商売を大きくしない。これは人から聞いた話だが、松尾大社のすぐ南に小さな和菓子屋がある。名物として酒饅頭やよもぎ餅を売る。筆者はこの店で買って人を訪問する時に手土産によくする。この店は、客が2、3人も入ればいっぱいで、商品を包む手際もすこぶる悪いが、松尾駅からすぐということもあって、筆者にとっては便利だ。また商品は百貨店に置いていない。京都の百貨店から出店ほしいとの誘いを断り、また量産しないそうだ。それをすると味が落ちると思っているのかどうか知らないが、百貨店に店を出してさらに有名になり、現在よりたくさん作ることになれば、それなりの人や場所が必要となる。それは危険を伴う。商売とは、たくさん金を儲けるが価値という思いが一般化しているが、それだけでもないだろう。頑なななと思われても、納得の行く商品を提供し続けることが、店の長生きの秘訣とも言える。NHKでもたまに紹介される京都の干菓子の老舗では、昔ながらの手作りで、店のかまえや主の面がまえを見ても、決して金持ちとは言えない雰囲気があるが、満ち足りた表情が溢れ出ている。そして、そういう店が百年単位の歴史を刻み続けながら生き残って行く。一気に大きくなった店は一気に潰れやすい。だが、人は元来欲の塊であるから、金が儲かり始めると、さらにほしくなる。そして、そのことに切りがない。
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 もうひとつ同じような話を書いておく。わが家は鉄筋コンクリートの3階建てで、2棟あって全部で20軒のいわゆる長屋だが、これを建てたのは梅津の業者であった。その業者の本宅のすぐ近く、ほとんど隣りに毎日買い物に行くムーギョ・モンガがある。その業者は地元では有名で、30年ほど前に全盛期を迎え、梅津から嵐山に至る空き地にどんどん家を建てた。その一連の右肩上がりの商売の過程で、わが家のような鉄筋コンクリート造りも手がけたが、高価な売り出し価格となって、あまり儲からず、同じ体裁でもっと建てたかった夢が消え、わが家のような建て売り住宅は京都では珍しいものとなった。そして商売の方向を本来の木造建築本位に戻したようだが、10年ほど前か、ムーギョ・モンガの裏手にあったその業者の社長宅が、ある日急に取り壊しになった。建ってまだ2、3年の、大名屋敷のような広大な敷地の和風建築の豪邸であったのが、更地になった。そして、現在もそのままになっている。社長はその後、わが自治会に出来た高級マンションに引っ越して、今はそこで引退生活をしている。その社長の後半生は大儲けに続く倒産であったが、建てた家はまだたいてい健在で、その意味で人々に貢献したことになる。家を建てれば即売れる時代があり、その波に乗ったのはよかったが、大きな金が動くだけに、金の回りが悪くなるとひとたまりもなかったのだろう。それでも人生において成功したと思える時期があっただけでもいいではないか。今日は電車の中で家内とNの話になった。Nは亡くなる3、4年前は毎日娘や息子を連れて飲み歩き、また友人や筆者ともさまざまな店に繰り出した。そしてNは人生がとても楽しいと御機嫌であった。金回りがよく、しかも気心の知れた者と飲むことが楽しかったのだ。そういうNが最期はどういう思いであったかは知らない。だが、それを知りたいとも思わない。親の愛情に恵まれなかったNが、人生に楽しいと思える時期があったことは幸福であった。いい時もあれば悪い時もあるのが人生だ。いい時のことを思い浮かべればいいではないか。誰でもそんないい時というものがある。今日掲げる写真は7月30日のものだ。明日も同じ日のものを載せる。
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by uuuzen | 2011-04-07 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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