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●壊れた原発、その後
け石に水だ。さきほど、自衛隊の大きなヘリコプターが福島原発の3号機に上空から7、8トンの水を、合計4回散水した。原発内部の深さ15メートルのプールの水がほとんど干上がっているらしいので、数百回投下してもそれは満杯にはならないだろう。



TVで見ていると、最初の投下は半分程度が霧状になりながらも命中したが、続く3回は命中とは言い難く、あまりに拡散し過ぎた。狐の嫁入り程度の雨を思えばよい。ヘリがもっと高度を低く保つべきだが、放射能の怖れがあるとのことだ。それはわかるが、そのまま放置して放射能がもっと拡散し、広大な地域を汚染すればどうなるか。そこを考えると、ある程度の犠牲を払ってでも水をプールに溜めなければならない。戦後の日本では無責任が蔓延したので、命を捨ててでも任務を遂行する考えは誰も持たなくなったが、世界が注視する中、及び腰的な作業では物笑いにもなるだろう。こういう事故がどこかで予想も出来たはずであるから、ここは原発を積極的に推進した人々が中心になって、多少の被爆ないし死を覚悟で任務に当たるのが、昔で言えば武士道の精神ではないか。それを誰も責任を取らず、「やってみましたが無理でした。それで放射能汚染で福島県はもう住めません」となっては、地元住民が責任者を血祭りに上げても怒りは収まらないだろう。筆者がこう書く裏には、先日も触れたが、チェルノブイリでは多くの志願者が、数分で死に至るほどの被爆を覚悟で原発を閉じ込める作業に従事したからだ。結局そういう人たちの死によって封じ込めが完了した。簡単に言えば、ある程度の死人が出るのは仕方がない。それほど恐いのが原発だ。そういう事故が絶対に起こらないとは言えないことがわかっていたのであるから、こうした不測の事故が起こった時には、命を捨ててでもどうにか処置をして、被害を最小限に食い止めるべきで、後始末を迅速かつスマートにやれと言いたい。悠長にかまえていると批判するつもりはないが、これから予定されている高圧放水車による散水にしても、1回で4トンという微量だ。それで15メートル深さのプールがどう満杯にするというのか。ホースの口を確実にプールにつなぎ、水が100パーセント入るような方法を取らねばならない。でなければ、後々にもっとひどい放射能による病気が蔓延しないとも限らず、そうなった時、国や電力会社は、また住民からの集団訴訟に晒されながら、病気との因果関係は証明されないと逃げ回るだろう。いつもの図が繰り返され、泣き寝入りするのは力のない者だ。残酷かもしれないが、プール際にホースの口を固定する役割を、原発推進者の偉いさんたちがやるべきではないか。1万人を越える地震の被害者が出ている状況で、そうした任務に当たって数人が仮に即死しても、それで原発の暴走が食い止められるのであれば、それは大成功ではないか。それとも、無名の一般人が1万人死んでもいいが、偉いさんたちはひとりでも死んではならないということか。無名の下っ端に危険な任務を課すばかりでは、それこそ大悪人というべきだ。大悪人となるか、あるいは英雄と称えられるかの瀬戸際にあって、一刻も早く、英雄的行為を自ら進んでやってほしい。責任者とは責任感がある者のことではないのか。西洋では戦争があれば、真っ先に先頭に立って闘うのが貴族であり、それでこそ高貴な人々と目された。
 昨夜電話があって、いわき市江名の知り合いが無事であることがわかった。昼にグーグル・アースなどで調べても情報が得られず、悶々とし、グーグルが提供している探し人サイトに名前を登録しようかと思って手続きを一旦したが、もう1、2日待ってからと思い直した。そして、家は海岸べりからわずか500メートルではあるが、坂を上がったところにあるようで、標高は20メートルであることがわかった。その高さでは津波には飲まれなかったのではないか。実は一昨日、10年ほど前の年賀状を引っ張り出して、娘さんの山梨の住所に事情を伺うはがきを出した。その住所はこの10年で市に格上げとなって、そのままでは届かないようであったので、ネットで調べてたぶんこの住所かと想像し、そこに送った。その予想が当たって、昨夜電話があった。それによると、娘さんは地震直後に両親に電話すると、通じたそうだ。直後であったので、まだ回線が保たれていたのだろう。家は玄関と屋根が多少被害を受けたが、倒壊は免れ、老夫婦は以前と同じように過ごしているという。そして、水が多少足りないらしいが、食べるものはどうにかあるとのことだ。とはいえ、それもいつまで持つかわらない。娘さんは山梨の上野原から救出に向いたいが、途中で道は通行出来ず、またガソリンを途中で補給する必要があり、仮に向こうへたどり着いても帰るのが不可能という。老夫婦は先の短い人生であるので、放射能汚染の被害にあってももうかまわないと言っているらしい。そこは原発からは30キロ圏外だが、40キロ内には入りそうだ。そのため、今でも放射能は少しずつ心配になっている。移動するなら早いに越したことはない。それが親子であるのに会うこともままならないとは、関東東北の混乱ぶりがわかる。避難所に移っていないので、援助の手がどれだけ差し伸べられているかは疑わしい。おそらく家があまり被害を受けていないと見れば、援助隊はそこを後回しにするだろう。家は古い木造で、昔に建ったものであるからかえって頑丈であったのではないか。壊れた玄関にはビニール・シートで覆っているそうだが、いつまでもそういう状態のところにいるのは不便だ。嫁ぎ先に世話になるのは心苦しいという思いもあろうが、こういう非常時には助け合いは仕方がない。とはいえ、京都の筆者は車の免許もないし、また荷物を送りたくても受付けでもらえない。心配することしか出来ないが、ひとまず無事であることがわかって、多少安心した。問題はまだ解決していないので、事態の推移を見届けたい。
●壊れた原発、その後_d0053294_1255881.jpg

by uuuzen | 2011-03-17 12:06 | ●新・嵐山だより
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