●壊れた原発
険だが効率はよい。どこかギャンブルに似たところを感じさせるのが原子力発電だ。



あまり事情は知らないが、戦後の日本が大手の建設土木会社にせっせとダムを造らせていた頃、日本最初の原発である茨城の東海村の存在がクローズアップされ、その後はダムによる水力発電の代わりに原発が主流になって行ったように思う。タービンを高いところから落ちる水の力で回転させるか、原子力の高熱によって生じさせた水蒸気で回すかの違いだが、ダムが大がかりな工事が必要であるのに対し、原発の設備はよりコンパクトであるし、冷却水は海から取ればよく、また放射能の問題も海を除いた陸地の半円で済むという利点があって、アメリカの半分ほどの基数が造られて来た。筆者は学生時代に福井の山中にある九頭竜川水系の真名川ダムの建設事務所に1か月ほど通ったことがある。ダムはその後建設されたが、日本の河川にダムをたくさん造る動きはその頃が最後に近かったのではないだろうか。その数年後、友人は茨城で仕事に就き、その最初の頃の現場が成田空港やまた東海村の原発関連施設だったと思う。その後はゴルフ場の建設にも携わったが、やがてゴルフ場も日本では満杯状態になって、大手ゼネコンは造るものが減少して行った。ともかく、経済の膨張につれて電力消費が増加し、効率のよい発電を求めることから原子力エネルギーに頼るようになった。これはCO2の問題の点からもよかった。オール電化の掛け声が強く、業者がパンフレットを携えて訪れたり、電話勧誘も多いが、その電力の源は原子力で、日本の海沿いに原発が増えることを意味している。電力会社はたくさん電気を使ってほしいから、儲かる原発を増やし続けるが、地震大国という事情を、たとえば地震学者などとどのように話し合っていることやら。昔友人が東海村の原発の話をした時、東大出の秀才が地震では絶対に倒壊しない頑丈な鉄筋コンクリートの建物を設計し、その図面を見ると、よくぞこれだけの鉄筋をびっしりと配置するなと思わせられるほどに見事な図面であったと言ったが、その話を筆者の中学生時代の友だちに話すと、いくら東大出が設計しても、地震の威力は想定出来ず、また設計図どおりに業者が建物をしっかりと造る保証はないと疑り深かった。筆者もそっちの意見に賛成で、設計会社をやめた理由のひとつは、設計は机上でのこと、施工はそれを元にした全く別の、手抜きがまかり通る行為であることを思ってであった。設計者がいくら心血を注いでも、実際に出来上がるものはその思惑どおりでは絶対にない。また、その運営や維持管理はもっと泥くさいこととなる。原発にしても、その発電の仕組みは知識人の頂点にいるような人が考え出したものだが、それを造る人は業者であり、また運営するのは金儲け集団の会社であるから、それら各階層を下がるごとに純粋な思いが減少することは、誰にでも想像出来る。宗教もある意味では同じで、教祖は迫害も受け、偉かったかもしれないが、後の運営者はそれにあぐらをかく安易な連中が支配しやすい。これは洋の東西を問わず同じだ。
 昨日から福島第一原発の成り行きが刻々と報告され、それを世界の原発稼動国が見守っている。だが、津波がどのように原発を襲ったのか、その映像はもとより、原発内部で人々がどのように消火活動やその他、緊急事態に接して格闘しているかの生の声がいっさい伝わらず、写真の発表もない。撮影している暇がないはずはない。むしろ膨大に記録しているに違いないが、それを公表するのは、事態が沈静化してからというつもりなのだろう。また、国民を不安に陥れないように、総理の発表にしてもきわめて冷静だが、原発内部の写真や声が伝わらないので、何かおかしいと誰しも感じることになっている。そこで思うのは、昨日も書いたが、現場で懸命に活動している人たちが普段はどのような肩書きで仕事している人なのかという素朴な疑問だ。人体に影響が出る放射能がすでに出ている状態で、命を賭けて活動していることを自覚している人たちであることは間違いないが、チェルノブイリでの事故でも、数時間か数日後には確実に放射能で死ぬことがわかっていながら作業に従事した人が多かった。それらの人々は英雄と称えられ、勲章ももらったが、先の階層から言えば、いわば末端に位置する。今回も同様のはずで、簡単に言えば命の値段の安い人が動員されているのではないか。そして、現在の日本では命の軽重は学歴の高低で大部分決まる。そしてその学歴は大部分が生まれた家庭の経済力の差で決まる。TVで盛んに報告や弁明をする人は、階層で言えば中間から上にいて、名もないような最下層の人々は自分の意見を口にする機会もほとんど与えられない。いつの時代でも危険な仕事に携わるしかない人々はいるが、放射能という目に見えない、それゆえにその危険を意識しないものに関係せざるを得ない状態は、残酷さの頂点を思わせ、現代の無慈悲さを象徴している。電気は万能で、電気がなければケータイやパソコンも動かないが、人間はそれらがなくてもやって来たことを忘れてはならないだろう。先日ある音楽会社の社長がTVで、ケータイがなかった当時、どうして過ごしていたのか、今となっては考えられないと語っていたが、筆者はケータイを所有せず、それでも不便を感じていない。それは便利さを知らないからと言われるだろう。それはわかっているが、便利さをあえて拒否する生き方もいいではないか。電気万能の思想が常識化するのは文明国の端的な証明であるとみんな思っているが、その一方で、原発を抱えて予知出来ない大地震にどこかで怯えているという綱わたり的な生活の現実がある。それを改めて思い出せば今回の原発の事故は生じて当然でもあって、その危険と損失を織り込んで今までやって来たと思えばいい。つけはいつか支払わねばならない。充分儲けたとすればそれを吐き出す時期が来る。ただし、最下層の人々だけがいつも一番損をするようになっている。
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by uuuzen | 2011-03-15 17:22 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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