●東北太平洋沖大地震、その後
の力に破壊された町並みを見続けながら、今日は仕事をせずに終日TVの前に座っていた。それでどうにかなるかと言えば、どうにもならないのだが、未曾有の被害の成り行きに目が離せない。



阪神淡路大震災の日もそうであった。時間が経つにつれて火事が各地で起き、また被害が報告されるのは同じでも、今回の地震は巨大と表現され、阪神淡路大震災の1000倍のエネルギーであったと言われている。また今回は津波の被害が主で、原発の破壊も重なって、不安はより大きい。TVを見ていると、気仙沼の長妻自動車整備工場だったか、社屋の2階から発煙筒を何本か焚いて助けを求めている人が映っていた。その人たちが助けられたかどうかのフォローがなかったが、今日助けがなければ、水や食料、電気がない状態でもう1日過ごさねばならない。そして、体力は落ちるから、発煙筒を同じように焚いて助けを求めることが出来るだろうか。TVで被害の様子を見ながら、自分が地震に遭遇しなかったこととは別に、情報に恵まれ、地震の被害を把握している点において、なおさら地震に遭った人たちとは別世界にいる気分になる。それがある人にとっては助けられないゆえにもどかしいが、ある人にとっては恵まれた優越の思いにもなる。そして、元来娯楽によりつながったTVは、ニュース番組であっても、後者の立場に人を引っ張るところがある。TV画面は残酷でしかも無力なのだ。自分に直接関係ないことは高みの見物にならざるを得ず、悲惨で哀れだなと思いつつも、TVの中に入ってそのまま現地に移動することは出来ない。その絶対的安心感の中で、津波の被害も見物のひとつになってしまう。だが、その一方で、地震は日本中のどこにでもいつ起きるかわからないという、一種の諦めも持っていて、それは日本の滅びの美学として大昔から遺伝子レベルで刻まれているようにも思える。あるいは、そういう思いをすることで、傍観者としての後ろめたさを忘れるのかもしれない。阪神淡路大震災で被災した神戸のある人が、自分の町や家が被害を受けた時点で、大阪や姫路、あるいはもっと広域が同じような状態であることを思ったそうだ。情報が全然伝わらなかったからだ。だが、その後同じ地域の中でも被害を受けなかった人があって、いつもと同じように仕事に行くのを見ながら、非常に奇妙な思いに捉えられたそうだ。それと同じことは今回も至るところに起きる。今日の夕刊掲載の写真に、津波によってすっかり町並みが消失した地域と、何の被害も受けていないかのように、従来どおりの家並みが整然としている地区が隣接している1枚の航空写真があった。家を失った人はその光景を見て、自分を不運であったと受け入れるしかないだろうが、津波に遭わなかったその町の人たちは、ちょうど筆者がTVで津波の被害を見ているのと同じような気持ちになるのではないか。ともかく、何もかも一切合切奪って行く津波を見ながら、人生は何のためにあって、何が得られればひとまず満足してあの世に行くことが出来るのだろうと思う。
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 昨日の地震のあった時刻を思い起こすと、その直前に開会式があって、辻館長などの話を立って聞いていた。開会式が終わったのが地震のあった時刻ではないだろうか。開会式の前、筆者は鳥博士さんと一緒に芦雪の作品を順に見ながら、芦雪が波の表現に長けていることを意見していた。ある吉祥画では、松林が画題の中心で、その向こうに海が描かれ、松に迫って白い筋の波が何本も引かれていた。その波は絵ではかなり目立つ、あるいは筆者にはことさらそう見えた。画面下中央は空白で、いわば砂浜だ。鑑賞者はその空白の砂浜に舞い降りるような視点で絵の前に立つ仕組みとなっている。そして、その砂浜前方の両側は松林で、そのすぐ根元までに両側から波が迫っている。また不気味なことに、松の一部の根元からは、波が砂浜に浸入して来ている。そのため、波全体はやがて砂浜を覆う津波に見えなくもない。そのことを隣に立つ鳥博士さんには言わなかったが、吉祥画題でありながら、どこかに不安めいたものを隠しているところが引っかかった。それこそが比較的短命であった芦雪の人生をどこかで暗示していると言えば全く穿ち過ぎだろうが、芦雪の絵にはどこか不安がある。その絵を見た後、今度は赤壁図の六曲一双屏風があった。そこにも波は多く描かれ、しかももっと芦雪らしさをかもしていると鳥博士さんにあれこれ説明したが、その中で筆者が特に注目して指摘したのは、左隻の左端に近い部分だ。入江に波頭が四方から寄り集まって荒れていて、それぞれの波頭の描き方が実に個性的で、応挙にはない表現だと言った。そのぶつかり合う波に目を吸い寄せられたのは、それが先の作品の砂浜に浸入する波と同じく、どこか生き物めいて、しかも不安を誘うからであった。帰宅して津波の様子をTVで見ていると、さきほど見たばかりの芦雪の波をまざまざと思い出した。芦雪の絵を見ながら地震を予想していたのではない。だが、芦雪の絵を見た同じ日にTVで荒れ狂う津波の波頭を見ていると、応挙と同じように水流を描きながら、つまり同じ画題を用いながら、全く別の何かを思って描いた芦雪を感じ、そういう個人的なシンクロニシティの体験によって、筆者の芦雪観が出来上がってしまうことを思い、またそれでいいのではないかという気にもなる。筆者のそういう思いは芦雪にすれば的外れのはずだが、作品が作者の死後にどう感じられるかは見る者の勝手という面がある。これ以上は芦雪展の感想の際に書くとして、今日はここまで。
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by uuuzen | 2011-03-12 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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