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●嵐山駅前の変化、その79(広場、桜の林)
ahooの検索結果は、以前はGoogleとはかなり違って、前者は精度が低かったが、去年双方は互いのメリットを考え、提携を結び、今は同じ結果が表示される。



パソコンを起動した時に最初にヤフーのホームページを表示させるように設定している人は多いと思うが、以前は検索だけはグーグルに頼っていた人も、ヤフーの画面だけで事足りるようになって、提携はグーグル側に損なような気がするが、それがそうでもないのだろう。会社の提携にはよくわからないことが多い。それはいいとして、昨日の投稿で気になったことがある。いや、以前から気になっていた。それは検索の精度だ。昨日はメキシコ土産の小銭入れについて触れたが、それについて写真つきで最初に書いた投稿を検索すると、ヒットしない。「メキシコ 小銭入れ」で駄目で、「メキシコ」のみにしたが、これも駄目だ。それでだいたいいつ頃投稿したかを思い出し、順に去年の正月から始めて毎日の画面を見た。そうしてついに3月20日の投稿であることがわかったが、文章には確かに「メキシコ」も「小銭入れ」の言葉も使っている。にもかかわらずその投稿のURLが表示されないのはなぜだろう。グーグルが自動的にその日の投稿内容の中心的話題から外れるといった判断を行なっているのであろうか。このように、グーグルの検索が100パーセント正確ではないことを以前からうすうす感じていたが、この精度をもっと高める設定を利用者が出来ないものか。あるいは、グーグルの検索はパソコンの性能に順応しているのかもしれないが、別のパソコンでも同じ結果であることを知っている。投稿した本人が文章の細部を記憶しており、いつでもグーグルの検索でその場所を確認出来ると安心していたことが、実際はそうではなく、後で調べるのに大いに苦労するでは、検索の意味は半減する。また、筆者ですらそのようにおぼろげに覚えている内容を、他人がよく知っていることはまずあり得ず、筆者のブログはこうして毎日書きながら、筆者も含めて誰もが忘れてしまうものになりつつあることを今さらに思う。だが、それは真実であり、またそうであるからこそ、次の新しいものが日々刻々と生まれ出て来る。このことは昨日書いたとおりだ。先日門坂さんと話をした時、門坂さんは自作が残らなくてよいと語った。紙で出来た作品であり、遅かれ早かれ消滅するという考えでもあった。残る残らないかは、言い替えれば後世の人が価値を認めて残そうとするかしないかに大きく関係しているが、残す意志があっても、事故や風化からいずれなくなる。また、作家は自作を残そうという思いはあまり抱いていないのではあるまいか。死んでしまえば作品が残ったところで自分にはわからない。また、自作が残ってほしいと思っても、後の人に委ねるしかない。そう考えれば、作品づくりはむなしくなるかと言えば、それは違うだろう。何事も楽しいのであればよく、労苦が伴ってもそれがあれば報われる。そして、そういう思いで作った作品がより残りやすい気がする。
●嵐山駅前の変化、その79(広場、桜の林)_d0053294_1027910.jpg

 さて、今日は数か月前に作った掲載予定表によれば、去年7月14日撮影の写真を4枚掲げることになっている。そのため、段落は4つか5つ必要だ。今ひとつ書き終えたので、また話題を見つけて書き進まねばならない。何を書こうか、はたと筆ならぬ指が止まってしまった。そうそう、目薬は割合効いて、かゆみはかなり収まった。だが、今日はクシャミを連発し、何度もはなをかむので、濡れたティッシュの山が出来る。クシャミは出始めると10回近く続く。それが2、3時間おきに訪れる。そして耳の奥が痒い。また目頭もかゆくなる。目と耳、鼻がつながっていることが実感出来る。目のかゆみを目薬で抑えた分、花粉などのかゆみの原因が鼻の奥に移動し、それでクシャミと鼻汁が出るようになったのかもしれない。つまり、目薬はある程度効くには効くが、別の症状を誘因するという見方だ。これは案外当たっているだろう。つまり、目薬程度で、根本的な花粉アレルギーが消えないのだ。おそらくクシャミと鼻詰り用の薬を飲むと、今度はまた目が痒くなるか、別の症状が出る。薬とは所詮その程度のものだ。ではどうするか。ひたすた花粉が減少するのを待つか、アレルギー体質の改善を根気よく実行するかだ。筆者には後者は無理なので、前者つまり季節が変わるのを待つしかない。去年もそのようにして知らない間に治った。また治まってしまえば辛いことは忘れるもので、その意味であまり気にすることもない。また、これは不思議だが、ある程度緊張していると、鼻炎の症状が出ない。門坂さんと話している時や一昨日芦屋での画廊でも、目のかゆみはなく、クシャミも出なかった。あるいはこうも考えられる。自宅にいると決まってそうなるので、家の中の埃が原因かもしれない。これは大いにあり得る。ハウス・ダストがかゆみの原因であると、目薬を買った時にもらったチラシにもあった。となれば、家の中をこまめに掃除すべきだが、どちらかと言えば掃除嫌いの筆者は、あまり掃除機を使わない。それで思い出した。昨夜は胡粉を乳鉢で作ることもあって、3階を掃除機で簡単に掃除した。その時、ちょっとしたことで、ラジカセを引っくり返して床に落としてしまった。そういうところが筆者の荒っぽさだ。引っくり返った瞬間、壊れたかなと思ったが、案の定CDを収める蓋が閉まらない。そのメカニズムを調べると、留め金のプラスティックの突起が折れたようで、またそれがラジカセ内部に入ったようで、手の施しようがない。蓋が閉まらねばCDを演奏出来ないが、幸い蓋は手で閉められ、その上に重しを置いておけば蓋は開かない。そうしてCDをかけてみると正常に動く。乳鉢の底が割れ抜けたのはその後のことで、何だか自分の体も含めて壊してばかりいる。何かを作るためには壊す必要があるから、これで辻褄が合っていると思うしかない。
●嵐山駅前の変化、その79(広場、桜の林)_d0053294_10275657.jpg

 ラジカセで思い出した。1か月ほど前、ムーギョ・モンガへの途上にあるとあるスナックが、土日に限り、時間を区切って店内でフリーマーケットを開くようになった。誰でも出品出来るし、誰でも買えるが、店はそのようにして人を集め、夜のスナック営業につなげたいのであろう。店の窓に大きな貼り紙があることに気づいて、オープン2週間目に店を覗いた。その時面白い出来事、そして買い物をしたが、このことについてはまだ触れないでおこう。そのことがあって、毎週行くようになった。とはいえ、まだ3、4回だ。最初に行った時、小さなラジカセが500円で売られていた。筆者が使っているものの半分程度の大きさで、音はよくないだろうが、場所を取らないのがよい。次に来た時にでも買おうと思ったが、売れていた。また、同じに白地の油彩画用のキャンバスが5枚あった。15号サイズで、1枚500円と言う。これも次にと思っていると、かなり安くして一括で売ったとのことだ。そのほか、面白いジャンパーや石鹸など、とても安いものを見つけていたのに、みな売れてしまった。それで、仕方なしにじっくりと品物を見て回っていると、ステンレスのピーピー・ケトルがあった。数か月前、20年ほど使用した丈夫なアルミ製のピーピー・ケトルを床に落とし、蓋が壊れてしまった。針金でつなぐことも出来ないので、外れた笛としての蓋を本来の位置に置いて湯を沸かしていたが、口の部分が多少凹んだこともあって隙間が生じ、音はあまり大きく出ない。湯を沸かすのに不便はなくても、音が正常に出ないので、面白くなかった。それで新しいものを買う必要を感じていたが、ちょうどいい時に代わりを見つけた格好だ。しかも500円だ。それを見つけた時はバスに乗って終日回る必要があったので、来週引き取りに来ると伝えて置いてもらうことにした。そしてその日がやって来て引き取りに行ったが、ついでにまた売り物をつぶさに確認すると、茶碗やガラス製品、時計などにとても安いものがあるが、同じようなものはどの家の押し入れにも未使用のままたくさん眠っているものであり、買う気になれない。そして思ったことは、ほしいと感じたものは、迷わずにその場で買うことだ。自分以外にもいいと思う人は必ずいて、すぐに売れてしまう。5、6日の土、日はその店に行かなかったが、おそらく目新しいものはないだろう。何となくそんな予感がする。不要品はネット・オークションでさばける時代であるのに、パソコンの操作が出来ない人はまだまだ多く、またネット・オークションが苦手な人も多い。そのため、予想外の安さでこうしたフリー・マーケットで面白い物が買える場合がある。だが、ネット・オークションの方が安い場合もあって、どっちにもよさがある。
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 しょぼい話ばかりしているが、このスナックでのフリー・マーケットは、ネット・オークションと違って、人と話す必要があり、人物観察の場にはとてもよい。観察という冷静なものではなくても、筆者は出合って話す相手を自然と内面を見透かしてしまう。金持ち貧乏、若者老人、美人不細工、知的普通に関係なく、人柄を味わう。だが、これは誰しもで、向こうもそう思っている。その人物観察で思い出した。ムーギョ・モンガの近くには3つのスーパーがあったが、そのうちのひとつは先月閉店し、筆者は最近ムーギョ・モンガを中心に他の2軒もよく回るようになった。そこで面白いのはレジ係の態度の差だ。ムーギョ・モンガが一番下町っぽくて、ヤンキー風の若い女性が数人いるが、筆者はそれを一番好む。どう言えばいいか、愛想が自然でいい。全く女の美はそれに尽きる。そして作業が実にテキパキしている。それはマニュアルどおりのていねいさではなく、ごく普通の素振りだ。もう1軒は大型スーパーで、レジ係の教育は中年の女性が多く、3軒では最も行き届いて完璧だ。だがそれだけのことで、人間味があまり感じられず、仕事をいかにも仕事として、少しも楽しんでいる風はない。さて、残る1軒は京都では最も有名なチェーン店で、この10年の間に躍進して来た。この店のレジ係は若い女性がほとんどで、面接で選び抜かれたという印象をそれなりに与える。先の2店のちょうど中間の質といった感じだが、粒揃いというわけではない。中にひとり、とても派手な化粧の若い女性だが、プロ意識の欠如したのがいる。以前その女性の計算が間違っていて、翌日返金してもらいに行ったことがあるが、そのミス打ちがどうにも信じられないもので、しかも「すいませんでした」のひとことがなかった。そのあたりまえのことが出来ない女は、仮に美顔であっても、腹立たしい。そして事件がつい先日起こった。同じ女性が打った金額が、帰宅後調べると、ほとんど倍近い価格になっている。商品に貼ってある割引シールを確認せずに打ったのだ。だが、それはプロのすることか。ロボットに任せる方が正確で効率がいいではないか。愛想もなければ、金額も間違え、しかもそれを指摘しても謝りの言葉もない。相手はおそらく、『安物買いのうるさいおっさん! 多少の間違いでとやかく言うな!』と内心思っているに違いない。実際そういう顔と態度をしている。金をもらって仕事をしている身となれば、また客相手のレジ係ならば、商品の価格を間違いなく確認して正しい金額を打ち込むことは最低限の任務だ。それを理解しない若者が増えているということか。また、その店では、値引き商品のコーナーにあえてその値引きシールを貼らない商品を混ぜているらしいこともわかった。てっきり値引き商品だと思って買うと、元の高い値段としてレジに通る。帰宅後おかしいなと思い、商品をレジに持参すると、あったはずの値引きシールがない。「お客さん、これは値引き商品ではないですよ」と言われる。だが、その商品はその場にあったし、またどう見ても値引きの対象になる劣化状態で、消費期限もそうなっている。つまり、スーパーが割引きシールを貼り忘れたのだが、あえて貼らずに混ぜた疑いが濃い。というのは、同じことを何度か経験しているからだ。多少商品を割高にレジ打ちされても、男性客はレシートをつぶさに見ることは少ない。スーパーは万引きの被害に泣いているというが、一方で客を巧みにだますこともやっているのではないか。今までにつぶれて来た店は大なり小なりそういうところがあった。正直でないといずれ客は離れる。筆者はその事件があってから、一度もそこを覗いていない。そんな店では買ってやらない。
●嵐山駅前の変化、その79(広場、桜の林)_d0053294_1029032.jpg

by uuuzen | 2011-03-09 10:31 | ●駅前の変化
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