●嵐山駅前の変化、その73(売店、脇道から広場)
にはほとんど関心がないが、先日から、おそらく花粉によるのだろうが、鼻炎が始まった。それと同時に目がとても痒い。



鼻炎によるくしゃみはまだ我慢が出来る。だが目のかゆみは、目尻を強くこすり過ぎて目が真っ赤に充血し、眼球にはよくないだろう。目を洗っても効き目がなく、目薬を挿すと、驚くほど効果がある。半日とまでは言わないが、5、6時間はかゆみを忘れる。その目薬が数滴しか残っていないので、明日は買いに走ろうと思う。どこで買えば安いのか、どこの製品がいいのか、鼻炎との関係によるので、薬屋で質問する必要があるだろう。去年も鼻炎に苦しんだが、いつまで続いたのか記憶にない。いやなことは治った途端に忘れるからだ。去年の鼻炎でもかゆみがひどく、特に右目はあまり毎日強く目頭を押さえ続けたので、そこがケロイドに見えるように皮膚が変化してしまった。その傷は鏡を覗き込むたびに気づくほどで、鼻炎が残したとんだ後遺症だ。今年も同じ箇所を毎日こすっているので、その傷はさらにひどくなるだろう。そのなる前に目薬でかゆみを抑えねばならない。目薬は家内に射してもらっている。自分で出来ないことはないが、必ず最初は目の中に落ちない。ついでに書いておくと、耳クソも筆者は生まれて一度も自分でほじくったことがない。子どもの頃は母に、結婚してからは家内にしてもらっている。脱線ついでに書いておくと、右耳と左耳とでは、ほじくられる時に体の反応が違う。左耳はくすぐったいが、右耳では脇腹がくすぐったくなって、しかもそれを足をバタバタさせることで抑制しなければならない。足をバタつかせると耳も動くので、家内は穴をほじくりながら、危ないといつも言うが、それがよくわかりながらもそうせずにはおれない。耳の奥の神経と脇腹が強く連携しているようだ。ただし、これは右耳だけで、左はさっぱりそういうことがない。この差は、子どもの頃に左右どちらかの耳内部に傷がついたためではないかと想像する。耳掃除をしてくれる店があるようだが、そこに行けば筆者は台の上で両足をよじりながらジタバタすることになって、掃除する人はきっと変な奴とばかりに耳かき棒で内部を突くかもしれない。そんな恐怖もあって、家内にしかほじくってもらえない。自分でやればいいようなものだが、耳の中が見えないのに自分でほじくることは理解を超えている。目薬でさえも自分でうまく挿せないのであるから、耳掃除はもっと大事業に思える。
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 さて、今日からまた駅前の変化シリーズを始める。3か月ぶりだ。2か月少々続ける予定でいる。今日掲げる3枚は去年7月2日の撮影だ。現在は主にホテル建設現場の写真を撮り溜めている。去年の秋、MOディスクの故障によって、撮り溜めた写真の数枚をなくしてしまった。それらはパノラマ風に左右に分けて撮った片方で、残っているもう片方を没にするのは惜しいので、半分を活かして1回分の投稿に用いる。つまり、数枚なくなっても、投稿回数には変化がない。MOが壊れたことに危機感を抱いて、加工した画像はみなヤフー・フォトに保存していることは以前に書いた。だが最近、撮ったまま加工していない写真が溜まって来ている。それは加工の時間がないことが最大の理由だが、加工ソフトを起動しても、全部を加工する気になれない場合がある。このように、どんなことでも即座に処理するとは限らず、物事は気分にかなり左右される。サラリーマンのように規則正しい生活をしていればそういうことは少ないと思うが、筆者のように気ままに生活していると、生活のリズムが数か月単位で大きく波打っていて、いつもならすぐにこなしてしまうことがなかなかそうならない場合がある。これは最初に書いたように、鼻炎など体調の変化も影響しているし、また予期しない雑用をこなす必要があるためであろう。そうした雑用は、それをこなしただけで、何かいっぱしの仕事を終えた気分になって、本来の仕事に移る気分を削ぎ、すぐに新たな考えと動きが活発化するとは限らない。これもまた体調のせいと言うことが出来るが、長いスパンで見れば、老化に向かっているためと言えるかもしれない。ともかく、前からやって来る物事をひとつづつ順番に片づけて行けばいいようなものでも、現実には後回しにする事柄が多い。そのひとつに、こうして毎日書いているブログがある。毎日の比較的長い文章を書くことはさすが大変なことで、ここ数日はいつも1日後れとなっている。長文で書いておきたい内容はいくつもあるが、毎日順にこなすのはさほど簡単ではない。異なる話題を毎日煮詰めるには、書くための時間とは別の時間を要する。醗酵させるための時間と言ってよい。とはいえ、あまり月日を置くと、書く気が失せる。そのちょうど中間の頃合いを見定めるのが難しい。また、筆者の長文は、ブログを始めた頃と違って来ているのではないかとも思う。それは、ブログでは同じような情報が即座に得られるので、筆者とすればそうした1次的な情報を繰り返す必要はなく、2次的な、つまり全く筆者自身の内面による思いだけを書けばいいと考えるようになって来ていることによる。
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 その長文というのは、展覧会や思い出の曲のカテゴリーについてであって、このカテゴリーにこうして書いている長文は、時に駅前の写真に応じた内容としながら、投稿当日の全くの即興になる雑感だ。その意味では本当の日記と言える。「おにおにっ記」はかなり以前に書いておいた半ば創作の日記風物語で、それに対して今日からまた始めるこのカテゴリーは、リアル・タイムの日常的な思いで、何を取り上げ、どういう内容になるか、書きながら考える。簡単に言えば書き散らしで、半分以上は何の意味もない。Half of what I say is meaningless. これはジョン・レノンがビートルズ時代に歌った曲の歌詞だが、そう言えば、毎年2月から3月にかけての頃はこの曲を思い出す。陽射しがこの曲に登場する言葉を思わせるからでもある。梅が咲く頃の陽射しはとても好きだが、それを去年7月の真夏の駅前の写真を載せながら思うことは、1年のあらゆる瞬間を今こうして書いている内面において想起することであって、何だか変な気分でもある。その気分は、もうあらゆる陽射しを知って、人生に飽きたという思いにも多少はつながっている。人間のように写真を見て味わわない動物は、いつもその場その場を生きているだけで、人生に飽きることはないのではないか。だが、これは魚や鳥に聞いてみなければわからない。ともかく、人間は写真や映像によって過去に遡ったり、また実際には行ったことのない場所でも行った気になれるが、これは写真が発明された当初言われたように、人間の脳に重大な変化をもたらすもので、その変化が好ましいとばかりは思えない。それは頭だけが楽しむからだ。その頭の楽しみを求める意識がより強くなったところに、薬物中毒があるのではないだろうか。筆者は薬全般に関心がないので、よく言われるように、人を虫食む薬物にも無関心だが、ある個人の頭がどれほど気持ちよくなっても他人にはわからないことであるから、薬物使用を禁止する必要もないという意見に対しては、頭の内部の快楽が他人に危害を及ぼすことにつながらない保証はないという理由で賛成出来ない。もちろん他人への危害は薬物使用に関係ないところでも毎日各地で生じているが、遠いところで薬物的効果が関与している場合が多いと思う。そして、その薬物的効果は、薬物だけではなく、音楽や絵画、写真などもある程度関係しているのではないか。
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by uuuzen | 2011-03-01 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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