●「MUCHACHITA」
りたくなるような演奏を「ソル・デ・ロス・アンデス(アンデスの太陽)」は繰り広げる。以前に確かこのカテゴリーで書いたが、3、4年前に大阪造幣局の桜の通り抜けを見に行った時、小雨が降ったりやんだりの中、天満橋のたもとで彼らの演奏に出くわした。



d0053294_1338220.jpgその時、50代くらいの眼鏡をかけた長身の男性が、たたんだ傘を片手にコーヒー・ルンバに合わせてソル・デ・ロス・アンデス(以下SLA)が演奏を繰り広げる眼前で踊った。見ている人はまばらで、演奏場所の前は広々としていたが、そこを縦横にくるくる回転しながら踊る。それがあまりに見事で呆気に取られた。曲が終わる頃に奥さんらしき女性がやって来て、男性は何事もなかったかのように、踊っている時と同じ無表情で橋をわたって行った。またその男性が踊っている時、SLAのふたりもその男性を注視するのでもなかったのが何とも印象的であったが、せっかくの花見で大勢の人が出るのに、雨混じりで投げ入れられるお金が少なかったのか。それはともかく、大勢の人に楽しんで見てもらうには、しみじみした調子よりも、快活な曲がよい。路上ミュージシャンの演奏に合わせて踊る人は、日本ではきわめて珍しいと思うが、踊りたい思いを抱いている人は案外いるのではないだろうか。これも以前に書いたが、ジョージ・ベンソンが舞台で演奏するのに合わせて会場で見ていた中年の女性が、何人も前に出て踊り始め、しまいには舞台に上がるライヴを見た。その流れがごく自然で、またとてもいい雰囲気であった。娯楽音楽はそうあるべきで、全身で反応して踊るのが正しい接し方だ。音楽とは本来そのように踊りと密接につながりがあった。そういうことをたまに人間は思い出す必要があるが、こんなことを言うのは年齢を重ねた筆者だけかもしれない。若者は踊りではなくても、ロックの演奏に合わせて体を揺らすし、またディスコ・ブームに乗って盛んに踊ったことのある中年も多いだろう。それに現在の70代は昔のダンス・ブームを知っていて、わざわざそうした踊りを教えてもらいに行くという人も少なくない。つまり、みんなそれなりに音楽と踊りをつなげて体感している。これは永遠に続くことだ。さて、そういう筆者は人前で踊る勇気がなく、そのために人が踊っている場面をよく記憶するのだろうが、同じように躍りたい思いはある。
 さて、先日京都四条大橋のたもとでSLAが演奏していたことを書いた。筆者が話したのは、ふたりのうち、エンリケ・ワイキだ。手に取ったCDは確か『RUCUERDOS DE MI TIERRA(わたしの地球の記憶)』だったように思うが、彼らのホームページを見ると、現在発売されていない。ワイキは筆者が手に取ったものを最新盤と言っていたから、それは2009年に出たワイキのソロ・アルバムかもしれない。だが、ジャケットが違うように思う。『わたしの地球の記憶』は彼らの3作目で、「コンドルは飛んで行く」以外はワイキのオリジナル曲だ。2003年の1作目は「コーヒー・ルンバ」や「花まつり」といった60年代初頭に日本でも大ヒットした曲を含め、2005年の2作目ではバッハの名曲からジプシー・キングスがヒットさせた「バンボレオ」や日本の歌謡曲「影を慕いて」をカヴァーするなど、手を広げた。そして3作目ではほとんどオリジナル曲で固めるという、なかなか計画性があって、少しずつ意欲も技術も増しているらしいことが伝わる。四条大橋で彼らを見かけたことを書いた直後、筆者は『わたしの地球の記憶』を中古で入手した。そしてそれを毎日聴いている。これがなかなかよい。ワイキの才能は、路上で埋もれさせるには惜しい気がする。最初聴いた時の印象がその後も変わらず、これは最初からストレートに楽しさがよく伝わる曲が揃っているからだ。それはかなり当初予想した音だが、思っていた以上に洗練されていて、アンデスの音楽の素朴な雰囲気を残しながら、全体にダンサブルに仕上がっている。そのダンサブル加減は、ディスコ調でもなく、またファンクでもない。筆者が思い浮かべたのはジェスロ・タルの音楽で、その次にアル・ディメオラの「ワールド・シンフォニア」だ。まず後者と比較すると、SLAはペルーから日本、しかも関西を主な拠点に活動しているところ、民族音楽の世界進出であって、アル・ディメオラが意図することと同じでしかも反対方向からの挑戦ということになる。つまり、アル・ディメオラはアメリカのジャズの歴史のうえに民族音楽風味を加えるが、SLAはアンデスの音楽を基盤に西洋の音楽を重ねる。両者が似た雰囲気をかもしても当然だろう。また、ワイキは日本で活動する中、どういう音楽が好まれているかを日々研究しているはずで、そこにはアル・ディメオラも含まれるだろう。そして、ジェスロ・タルも聴いていることを直感した。ケーナやサンポーニャの民族楽器の音は、タルのイアン・アンダーソンが奏でるフルートに近い。ジェスロ・タルの音楽もまたワールド・シンフォニア的なところがあって、スコットランドの舞曲を中心に据えながら、世界各地の音楽の要素を吸収する態度がある。その態度の中でイアンはアンデスの音楽も聴いていることだろう。だが、正確には知らないが、タルは南米、しかもペルーには演奏旅行をしたことがないのではないか。そこで思うのは、ワイキは滞日中あるいはそれ以前にタルの音楽を知り、かなりその手法を学んだのではないかということだ。そして、それが正しいのであれば、ワイキはなかなか侮り難い音楽家だ。『わたしの地球の記憶』を一聴して、筆者はそれをイアン・アンダーソンに聴かせてやりたい、そしてふたつのバンドが共演しればどれほど面白いかを思った。イアンが単独でひょっこり日本にやって来て、鴨川のほとりでSLAとジャム・セッションをする。そしてその様子を録画し、タルのDVDとして発売すると、SLAは一気に世界的に有名になる。また、鴨川でイアンがフルートを吹いても、ほとんど誰もそれがイアンだとは気づかないが、それも面白いではないか。
 『わたしの地球の記憶』を聴きながら、筆者は10年ほど前にアンデスのCDを1枚買ったことを思い出した。INKUYOという4人編成のバンドで、アルバムの題名は『LAND OF THE INCAS』という。これを数日前から数回聴いた。半分ほどがオリジナル曲で、SLAよりも素朴な音だ。ケーナとサンポーニャ以外に3種の木管を使っている。その中にはかなり低音のものがあって、SLAよりも多用する。これが素朴かつ時にかなり不気味に響く。そこがアンデスの音楽の面白味でもあるのだろう。また、ほとんどキャプテン・ビーフハートの音楽の源泉になったのではと思う曲も含まれ、アンデスの音楽がアメリカにどのような形で、またどのような深さで伝えられたのか、興味のある問題を提供している。ビーフハートはメキシコの風土に沿う音を好んだから、アンデスの音楽を無意識に取り入れたことは充分に考えられる。ビーフハートの奇妙奇天烈な音楽は、それだけを聴けばそうだが、遠く離れた民族音楽を添えると、とても自然に耳馴染むとことがあるのではないか。それはザッパの音楽もそうだ。あまりにもロックのジャンルだけで物事を捉え過ぎるため、その本質の一部を見落とす必要がある。アル・ディメオラのワールド・シンフォニアがワールド・ミュージック・ブームの最初なのではなく、ザッパやビーフハートが60年代にそれをやっていたという見方だ。そして、当然ザッパ以前にジャズ、そしてクラシック音楽は、同じことをしていた。つまり、いつの時代も音楽は他の地域の何かを摂取していた。それはさておき、INKUYOの演奏は、民族音楽の純粋性を尊ぶ人には歓迎されるだろう。全体に素朴なので、SLAの演奏のように一度で耳馴染むことはないが、これを逆に見れば、SLAの演奏は刹那的で俗化し過ぎていることになる。それはもちろんそうなのだが、どちらかかが音楽的に劣るというのではない。どちらもそれなりに持ち味があって、気分によって聴き分ければよい。また、両者にはもちろん共通点がある。それはアンデスの音楽の本質的な部分だ。それを失わない限り、ともにアンデスの音楽と言える。その本質的な部分は旋律や楽器の音色とは別に、舞踊のリズムだ。それはINKUYOの演奏にもあって、それがアメリカナイズしてSLAの演奏となっているという見方が出来る。
 SLAの曲がジェスロ・タルを思い出させるのは、木管の音色とは別に舞踊のリズムだが、タルがスコットランドの民族舞踊を引用するのに対して、SLAはアンデスのそれをベースに、タルの音楽に顕著な短い旋律の繰り返し、すなわちリフを多用する。そのリフの出所が、アンデスに本来あるものなのか、あるいは、タルなどのロック・ミュージシャンの曲から感化されたその模倣なのか、それがわからない。民族音楽はペンタトニックが多く、アンデスの音楽もそうした単純な音階で出来ているが、たとえばスコットランドとアンデスの音階は、ペンタトニック同士で似たものになるだろう。つまり、SLAはタルの曲を分析して学ばなくても、自分たちの風土に根差し、それを日本という先進国家に移植しただけで、タルに似た音になるのは自然という考えだ。これは作曲者のワイキに訊ねてみないことにはわからない。また、タルの音楽を聴いていないとして、SLAの曲がそれに似た味わいを持っているとすれば、これはひとつの面白い、現在の民族音楽の動き研究テーマになる。とはいえ、タルもSLAも民族音楽の部分をかなり失った西洋のポピュラー音楽として捉えるべきと主張する意見の方が多いか。『わたしの地球の記憶』は、多重録音による演奏で、木管のほかにチャランゴ、ギター、キーボードや歌など、なかなか多彩で、また音質がとてもよい。そういう部分がなおさらタルの音楽との共通性を思わせ、両者の共演はさほど難しいとは思えない。だが、SLAの演奏をタルの模倣のようにみなすのは、SLAにとって失礼に当たるし、そこには明確なアンデス性を認めなければならない。そして、SLAの演奏から伝わるアンデス性は、昔「花まつり」を聴き馴染んだことに直結している。それは「コンドルは飛んで行く」の物悲しさに通じるもので、筆者の貧しいアンデスへの知識と関心を最大限に呼びさましてくれる。こうして書いていて思い出した。これまた以前書いたことを繰り返す。筆者は10代後半で『LIFE』を定期購読していた。英語がすらすら読めるはずはないが、どういう理由からか、半年か1年ほどそれを続けた。中にはいい写真があって、それを切り抜いてアルバムに貼った。そういう1枚に、カラー写真でアンデスの幼い少女をふたり写したものがあった。ふたりは汚れた顔をし、舗装されない道に裸足だ。そして、背の高いカメラマンを見上げながら皿に載せた黄色の果物をいくつか捧げている。買ってほしいのだろう。カメラマンは少女を見下ろしながら写真を撮ったが、そこに写る少女の純朴さに打たれた。姉妹かもしれず、また美形ではないが、侵しがたい尊厳が見える。どこかおどおどはしているが、媚びているのではない。彼女たちは、外国人がやって来るとそのように果物を売るのだろう。買ってもらえずとも、近寄って行って皿を差し出す。この写真は筆者にとって、何か決定的なものを植えつけた。アンデスと言えばその写真を思い出すほどだ。カメラマンは何を思ったのだろう。見上げる少女の瞳に何を見たのだろう。貧しい者を見下ろすという態度がそこにはありそうでもあるが、カメラマンがそのような傲慢な態度だけではなかったと思いたい。その写真はそのままで美しく、人を打つ。
 『わたしの地球の記憶』からどれか1曲だけを選ぶなら、「コンドルは飛んで行く」の次に収録される「MUCHACHITA」を推したい。3曲目の「DUNAS」も同じほどによい。この2曲だけでもこのアルバムは価値がある。また収録される「コンドルは飛んで行く」はとても印象に強く、コンドルの飛翔が眼前に見事に広がる。ケーナが主旋律を奏でる間、対位法的にそのメロディより低音あるいは高音で別のメロディが縫う。そこにチャランゴが絡まる様子は、乾燥した青空を思い浮かばせ、聴いていて涙ぐむ。この曲はサイモンとガーファンクルがカヴァーした時は歌詞がつけられ、全体の3分の1の部分だけが演奏された。SLAは第1部を最初はスローに、次にその倍ほどの速度で演奏した後、一旦メンバーの対話を若干挟み、この曲本来の第3部に相当する部分を始める。それは、「花まつり」に似た舞踊的な素早いメロディで、ここでアンデスの人々の楽しい踊りの光景が眼前に広がる。それがとてもよい。そうした緩急陰陽の対比はアメリカのディキシーランド・ジャズに通ずるが、悲しみの後ではどんちゃん騒ぎでまた快活に生きて行こうということで、これは人間の本性を表わしている。この「コンドルは飛んで行く」は第1作の最初に含まれたものと違って再録と思うが、曲の終わりにまさにジェスロ・タルを想起させる短いメロディの挿入があるのが面白い。そしてその余韻がさめない間に次に奏でられるのが、「MUCHACHITA」だ。前曲「コンドルは飛んで行く」の後半と同じ素早いテンポで、しかもリフがきわめて印象的だ。筆者は最初「コンドルは飛んで行く」後半の人々の踊りの中から、さらに華やかな女性が踊る場面を想像したが、それは正しかった。「MUCHACHITA」とはスペイン語で「少女」のことだ。この曲には歌詞がついている。意味はわからないが、アパッショナータとかいう言葉が歌われ、少女の情熱を歌い上げているのだろうか。快活でしかも哀愁を帯びた踊りの曲で、この曲に合わせてアンデスの少女が舞う姿が目に浮かぶ。そして、この曲こそジェスロ・タルと共演するにふさわしく、タルのアルバムに混ぜても何の遜色もない。ワイキのオリジナル曲は全体にこの曲に似て、リフが印象的で、ロックを聴きなれた人にはすぐに馴染めるものがある。路上での演奏でこの曲がレパートリーに入っているのだろうか。今度演奏場面に出会えれば、この曲をリクエストしたい。その時はワイキさんのソロ・アルバムを買わせていただきます。
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by uuuzen | 2011-01-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪ | Comments(0)


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